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22. 負けたくない
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「本当にいいのか? 俺も一緒に……」
「大丈夫です!」
ぐ、と拳を握りながら告げると、天利さんは困ったように眉尻を下げた。
あ、ちなみにお互いの想いが通じ合ったあと、俺たちは、……驚くほど健全に一夜を過ごした。
誓って何もしていない。
嘘です。手はつなぎました。
(いや、誰に弁明してるんだか)
天利さんをあの人に会わせたくなかったのもあり、その日は俺の家に泊まってもらった。
俺は床で寝るって言ったのに、天利さんは頑としてそれを認めてくれなかった。だから、同じベッドで眠った。でも手を握ったくらいで、他は何もしていない。
だって、あんな話を聞いたあとに体を求めるなんて出来なかった。ただでさえ天利さんは俺の言動を誤解していたんだし。
―――そして現在、会社にて。
「いってきます!」
「ああ。気をつけて」
俺はまた秋野さんとの打ち合わせに向かうことになった。大丈夫、今ならどんなことを言われても揺さぶられたりしない。
心配してくれる天利さんの気持ちをありがたく受け取りながら、俺は会社を出発した。
「手離す気になった?」
開口一番、秋野さんはにこやかにそう言った。
相変わらず天利さんを物扱いしているような発言に腹が立ったけど、我慢。ここで怒ったら相手の思う壺だろう。
「なりません」
この間と同じ喫茶店の、同じ席。
俺は座りながら、なるべく冷静に言葉を返した。
「君が彰良を満足させられるとは思わないけど」
「俺は、あなたが満足させられてたなんて思いませんけど」
「へぇ。何、俺とのこと聞いた?」
「聞きました。天利さんをこれ以上傷つけないでもらえますか」
「あいつが俺を望んだんだ。俺は、それに応えただけ」
店員の人が水を持ってくる。
会話を中断し、飲み物を頼む。
そこからしばらく沈黙。
「…置かせてもらいます」
書類とペンを机に置き、圧に負けないように背筋に力を入れる。
アイスコーヒーが運ばれてくる。それを半分くらい飲み干し、ふぅ、と深呼吸を一つ。
「俺が天利さんの手を離すことはありません」
目の前に置かれた書類は開かれることがなく、置物と化している。そもそも、本来の業務そっちのけでプライベートな話をするなんて、この人は何を考えているんだ。
「……腹立つなぁ」
「俺の決意は変わらないので、仕事の話をしましょう」
「俺、この会社の跡取りなんだ」
「…。それが何ですか」
「君とは社会的地位が違う」
「何が言いたいんですか」
「俺に逆らったら、君も彰良もただでは済まないってこと」
今度は権力をちらつかせてきた。
どこまでも最低な人だ。
「どうしてそこまで天利さんにこだわるんですか」
「俺にも色々とプレッシャーがあるんだよ。君には分からないだろうけど」
「それと天利さんに何の関係が……」
「彰良はさ、好きになったら盲目で、従順になる。俺がどんなに理不尽に振る舞っても、受け入れようとする」
それは…きっとそうなんだろう。
好きだから、自分が不利益になるようなことをされても相手を諦められない。自分が我慢すればいいと思ってしまう。
天利さん本人は、「自分に自信がないから、だな」と言っていたけど、それ以上に、とても優しい人だからなんだろうなと感じた。
「だから彰良がまた欲しくなった」
「天利さんは優しい人です。そんな素敵な人を振り回すようなこと、しないでください。というか、捨てたのは秋野さんですよね。それを今さら」
「あいつが俺を忘れられるわけがない」
アイスコーヒーをまた口に含む。冷静になれ、俺。
確かに天利さんは忘れてなかった。
当たり前だ。あんな酷いことをされて、忘れられるもんか。
「天利さんは俺のことが好きだって言ってくれました」
「それはもういいって。付き合ってるなんてどうせ嘘なんだろう」
「本当です。俺も天利さんのことが好きで、あなたなんかよりずっとずっと大切にできるので、渡す気はありません」
真っ直ぐ見ながら伝えると、秋野さんは眉をひそめて口を引き結んだ。
「天利さんに何かしたら許しません」
「君に何ができる。俺はあいつの社会的地位を叩き落とすことだって出来るんだぞ」
「天利さんは"完璧"な人なので、叩いてもホコリなんて出ませんよ」
「男と付き合ってた、なんて格好のネタだろ?」
ほんっとうに最低だ。天利さんが周りに隠してきたことをバラそうってことだもんな。
確かにそうされたら、天利さんは傷付くだろう。困るだろう。
「俺の言うことを聞けないなら、あいつも君も、今の会社に居られなくしてやるさ」
「……。」
「渡す気になったかな」
目線を落とし、拳を握る。
天利さんは、高校時代にこんな風に酷いことを、理不尽なことを言われ続けたんだろうか。
それを思うだけで苦しくなる。
でも、
「証拠、ありがとうございます」
「…は?」
「天利さんや俺への侮辱、恫喝。ちゃんと録音したので」
そっと机に置いたペンに触れる。
「!お前、まさか」
「これをしかるべきところに提出したら、困るのはきっと、あなたですね」
秋野さんは驚いたように目を見開く。
何の対策もしないでここまで来るわけないだろ。
再び沈黙。
カラン、とコップの氷が小気味よい音を立てた。
「……覚えてろよ」
舌打ちをしながら、秋野さんが吐き捨てるようにそう言った。
冷たい視線を受けながら、ぐっと踏みとどまる。
負けるもんか。こんな人に、絶対に天利さんを渡さない。
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