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23. あっけない幕切れ
秋野さんとの対決から数日。
2、3日の間は、何かとんでもないことを仕掛けてくるんじゃないかと構えていたけれど、その後も特に何も起こらない平穏な日々が続いた。
天利さんにも聞いてみたけど、周囲の変化はないらしい。自宅に来たりもしないみたいだし、社内の空気もこれといって変わってないように感じる。
(……逆に怖い)
嵐の前の静けさというやつなのかもしれない。
ちなみに天利さんには、秋野さんから言われたことを包み隠さず全て伝えた。
変に隠したり、誤魔化したりしたら、また以前のように誤解を招いてしまうかもしれない。それだけは避けたかったから。
でも、今考えても本当に酷いやり取りだった。
もし別れていなかったら、今も天利さんはつらい思いをしていたってことだもんな。
はぁ、と食堂でため息を吐くと、ぽんぽんと肩を叩かれた。顔を上げると、膳を片手に持った天利さんが心配そうな顔で俺を見ていた。
「疲れているな」
「いや、大丈夫です!元気ですよ!」
「隣、いいか」
「もちろんです!」
にこにこしながら椅子を引くと、ちょっとだけ照れくさそうに天利さんが口元を緩めた。可愛い。
「あのな、菅谷。伝えたいことがある」
「はい!何ですか」
「もう送り迎えはしなくて大丈夫だ」
「……えっ」
「そもそも俺も男だし、秋野が何か仕掛けてきても、返り討ちにするくらいはできる。護身術もかじっているし」
「護身術…!カッコいいです」
「ありがとう。……いや、そういう返しがほしいのではなく」
俺は天利さんと想いが通じ合ってから、毎日一緒に出社し、帰るときも同じタイミングで退勤した。
でも駅まで。さすがに家までついていくと迷惑かと思って、我慢してる。
「心配なんです」
「その気持ちは充分伝わった。ただ、俺と帰るために、無理なスケジュールを立てていることも知ってるんだからな」
「うっ」
確かに天利さんの言うとおり、仕事は無理をしてる。天利さんは仕事が早いから、それに合わせるとなかなか厳しい時もある。
「今日はまた打ち合わせがあるんだろう?」
「……はい。色々と言ってきたわりには何もしてこないので、また今日、何か言うか、するつもりなのかもしれません」
「お前が傷付くのは嫌だな」
「大丈夫です。任せてください!仕事の話もきっちりとしてきますので」
どん、と自分の胸を叩くと、困ったような表情をされてしまった。天利さんは優しいから、俺のことを思いやってくれてる。嬉しい。
でも、だからこそ俺は、あの人に負けるわけにはいかないんだ。
**
……と、勇んでいつもの喫茶店にやって来た。
扉を開く前に深呼吸。
大丈夫、俺は負けない。
ぐ、と力を入れて扉を開け、店員の人に迎えられる。相変わらず静かで落ち着いた店だ。陽気な洋楽のBGMが流れている。
「……あれ?」
いつもの半個室の席に通され、座ろうとする。
でも、座っているのは秋野さんではなかった。
見知らぬ人物を見て、席を間違えたのかと思って慌てて立ち去ろうとする。
すると、俺に気付いた見知らぬ人が、「菅谷さんですか?」と声をかけてきた。
「はい、菅谷です」
「はじめまして。今日は秋野の代理で参りました」
にこりと微笑みながら、謎の人物は名刺を差し出してくれた。俺も慌てて名刺を出す。
「ご丁寧にありがとうございます。ええと、河瀬…彰隆さん?」
「はい。これからよろしくお願い致します」
河瀬……ついこの間も、河瀬という名字の青年に会ったなぁと思い出す。
「ええと、秋野さんは何かご用事が?」
「辞職しました」
「なるほど、辞職……え?!辞職?!」
とんでもない事実に目を丸くする。
何日か前に「覚えてろよ」とか息巻いていたのに、突然辞めるなんて。一体どういうことなんだ?
「お恥ずかしい話なのですが……」
前置きをしながら、河瀬さんは声を潜めて話し始めた。
「秋野は、他社の専務の娘さんに手を出したそうです。しかもその娘さんはご家庭のある方でした」
「さ、最低だ」
「秋野は一時の火遊び程度の感覚だったのでしょう。でもお嬢さんを本気にさせた。ちなみにお嬢さんは夫と別れるつもりだったようですよ」
「ひぇー…」
「でも秋野は一緒になるつもりはなかった。だから別れることを伝えたらしいのですが…まぁ、お嬢さんが受け入れるわけもなく。別れ話がもつれにもつれた結果、専務の耳に入ったそうです」
「しゅ、修羅場すぎる」
「ええ。そして専務は激怒。秋野は辞めざるを得ない状況となりました」
今まで隠してきたことが明るみに出たわけか。
というか、お嬢さんにも天利さんにもちょっかいをかけていたなんて、本当に秋野さんは最低だと思う。
「ちなみに、秋野は職場でも横柄で、色々な人に害を及ぼす存在でした。このあと部下たちに訴えられると思いますよ」
「な、何か、色々重なったんですね」
「はい。そういえば秋野は、ここ最近何か『仕事以外のこと』で気にかけていたことがあったようですね。だいぶ躍起になってやっていましたよ、その『仕事以外のこと』」
「そう、なんですね」
「ええ。まぁ、辞職となったので、『仕事以外のこと』も不成功に終わるでしょうけど」
それはたぶん…天利さんや俺のことなんだろう。
一体何をするつもりだったんだ。ぞわりと背筋に悪寒が走る。
「……私は、『仕事以外のこと』に大いに感謝してるんです」
「え、どうして」
「だって何かに熱中する時、人は隙を見せますからね」
「隙…?」
「意外とガードが硬かったんですよ、秋野は。尻尾を出さないというか、上手く隠すというか」
河瀬さんが楽しそうに微笑む。
「でも、『仕事以外のこと』に熱中して、お嬢さんとのことで隙を見せた。そのおかげで追い出すことができました。本当にありがたい」
心の底から、という感じで、とても楽しそうに。
「ああ、失礼。話が長くなりました。仕事をしましょう。菅谷さん、あなたは話の上手な素敵な人だと上司から聞いています。頑張って企画を成功させましょうね」
俺は乞われるままに握手をする。
この人を敵に回すと大変そうだ…、なんて考えていたことだけ覚えてる。
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