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3. その人、誰ですか
天利さんが連れてきてくれたのは、町の商店街にある小さなお店だった。普段通っている道のはずなのに、ここに洋食屋があるなんて知らなかった。
「俺の知り合いが経営しているんだ。小さな店だが、味は保証する」
「隠れ家的な店なんですね」
「そうだな。じゃあ、行こうか」
天利さんは上機嫌に店の扉を開いた。
すると、「……いらっしゃい」という低音ボイスが耳に届いた。じろりとこちらを見た刈り上げの男性は店員さんなのだろうか。ラフな半袖から、はちきれんばかりの筋肉が見えていて格闘家のようだ。
でも身につけているエプロンは可愛らしい花柄。その温度差に脳内処理が追いつかない。
「來斗。遅くにすまないな。二人だ」
「おう、彰良か。お前が誰か連れてくるなんて珍しいな」
えっ!お互いに名前呼び?!?!
誰ですか、その人あなたの何なんですか天利さん…!
突然知らされた天利さんの新しい交友関係に情けなく動揺してしまう。
「菅谷は俺の部下だ。菅谷、こっちにおいで」
「あ、はい」
心の中が大変なことになっていたけど、天利さんに優しく手招きされ引き寄せられるように後ろを着いていく。というか、呼び寄せ方可愛すぎませんか。
「來斗は中学の時の同級生だ。強面だが、料理の腕は確かだし、意外と涙もろくて優しいところもある」
「おい、それは褒めてんのか?」
「もちろん」
二人の間に流れる和やかな空気を肌で感じ、本当に仲がいいんだなと思った。
いいなぁ、俺も天利さんともっと仲良くなりたい。
「來斗、今日のおすすめは?」
「カツレツだな。いい肉が入った」
「なるほど。じゃあ俺はそれにするかな。菅谷はどうする?」
二人をじいっと見つめていた俺は、突然話を振られてビクリと体を震わせてしまった。天利さんたちが不思議そうに俺を見る。
「あ、えっと、その、俺もそれで!」
慌てて伝えると、天利さんの同級生だというその人は静かに頷き厨房へと向かった。
しばしの沈黙。
目の前に恋する相手がいる、という状況を改めて実感して、何だか緊張してくる。
店員のお姉さんが水を持ってきてくれたので、軽く会釈をして受け取り、どくどく鳴っている心臓を落ち着けようとコップに口をつけた。ひんやりとしたレモン風味の水だ。美味しい。
「あ、あの、天利さん」
「ん?」
「今日は本当にありがとうございました。天利さんが手伝ってくれなかったら、徹夜だったかもしれません」
「困っている部下を放ってはおけないさ」
「うぅ……ありがとうございます。あの、俺に出来ることがあったら何でも言ってくださいね。お礼がしたいです!」
と言っても、天利さんは何でもできてしまう完璧な人だ。俺に出来ることなんてあるのだろうか。
そういえば、この前二人きりで泊まったときに似たような話題になった気がする。
「あの、約束した件……あれです、飲みの席。言ってくれれば、本当についていきますからね」
「礼など気にしなくていい、と言いたいところだが…実は今度、取引先の上役と接待があってな。その人が酒に強いらしい。早速で悪いが、手助けしてくれるか?」
「ぜひ!」
ついつい食い気味で答えてしまった。ああ、ほら、天利さんに笑われてしまった。でも笑顔が素敵だから笑われるのもいいかも。
「先方に、お前の顔も売っておきたいし」
「ご期待に添えるようにがんばります!」
「はは、肩の力は抜いてな」
やっと会話の糸口を見つけたと思ったら、天利さんの鞄が振動した。スマホかな?
「っと、すまない」
「大丈夫ですよ!緊急かもしれないので見たほうが」
天利さんは申し訳なさそうにスマホを取り出し、画面を見た瞬間、ふっと表情を緩めた。あまり見たことのないその顔を見て、何だかモヤモヤした。今日は色々な天利さんを見ることができるけど、それはどれも俺に向けられた感情ではない。
「緊急ではないようだが、少し返事を打ってもいいだろうか」
「はい、大丈夫ですよ」
「ありがとう。……なぁ、菅谷なら何をもらったら嬉しい?」
「もらったら?うーん、そうですね、実用的なものは嬉しいかもしれません。文房具でもいいし、ネクタイとかも。って、突然どうしたんですか」
天利さんは優しい表情のまま俺と目線を合わす。さっきまで違う人に向けられていた表情を俺にしてくれるのは素直に嬉しい。
「連絡をくれたのは弟なんだ。知り合いにプレゼントを贈りたいらしい。年上の男性だから、俺の意見も参考にしたいと」
「あ、なるほど」
「菅谷の意見も取り入れよう」
「わ、待ってください。もっとちゃんと考えます!」
天利さんは弟さんを大切にしてるみたいだし、ここは真剣に考えて役に立ちたい。ん?というか……
「そういえば弟さんと仲直りできたんですね!良かった」
俺の言葉を聞いて、今度は苦笑いをされた。
……はっ! そういえば弟さんのことは「聞かなかったことにしてほしい」と言われてたんだった。
慌てて口元を押さえたものの、言ってしまったことを再び飲み込むことはできない。
「す、すいません、俺……」
「はは、構わないさ。今さらお前に弟とのことを取り繕っても仕方ないしな。弟とは仲直りできたよ。心配してくれてありがとう」
大人の対応をされた。さすが天利さん。
それなのに俺ときたら……。これじゃあ、いつまで経っても天利さんと並び立つことなんて出来ない。
「菅谷には情けないところを知られてしまったから、挽回しないといけないな」
「え。天利さんはいつもカッコいいですよ」
「はは、おだてても何も出ないぞ?」
本当なのになぁ。そもそも、情けないところを知ることができたのは嬉しいし。
この店の同級生さんや弟さんは天利さんのそういう部分を知ってるのかな。知らなかったらいいのに。
(待ってるだけじゃ、ダメだ)
自分から動かないと意識なんてしてもらえない。知らない表情だって見られない。まずは約束した酒の席でいいところを見せよう。頑張れ、俺!
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