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5. 酒は飲んでも……
――数日後。
天利さんとの約束通り、取引先の上役の人と飲む日がやって来た。
とにかく天利さんに良いところを見せたい。
それだけを考えて今日という日を迎えた。
まぁ、天利さんの件を抜きにしても、先方は会社にとって大切な取引先だ。気を引き締めていかないと。
「今日はよろしく頼む」
「はい、頑張りますね!」
「まぁ、ほどほどにな。俺も飲めないわけではないし」
その言葉を聞いて、以前、あのホテルで缶ビールを飲んだあとの天利さんを思い浮かべる。
(……そりゃ、飲めてはいたけど、だいぶ大変なことになっていたような)
と、そんな俺の気持ちが顔に出ていたのか、天利さんはバツが悪そうな顔をして「……あれは、忘れろ」と呟いた。恥ずかしいのか、ちょっと耳が赤い。どうしよう可愛い。
「と、とにかく!任せてください。天利さんには一滴も飲ませませんよ」
「いや、そういうわけには」
「俺はそのために来たんですから!」
「そう言ってくれるのは助かるが、無理はするなよ」
「はい!」
天利さんは心配症だなぁ、なんて思っていたその時の俺は、かなり浅はかだったと思う。
**
「いただきます!」
「おい、菅谷。あまり飲み過ぎると……」
「わはは!いい飲みっぷりだな!もっと飲むといい!」
先方の上役の人は気のいい人で、飲みの席は和やかに進んだ。でも確かに、かなり酒を飲む人だ。
俺は勧められるままにぐいぐい酒を飲み干していたけど、正直そろそろ限界に近かった。
でも、ここで天利さんに良いところを見せたい。
そんな気持ちばかりが先行していて、許容量を越えて飲み続けてしまった。
……隣で天利さんがハラハラしたような顔で見ていたなんて知らずに。
「専務、そろそろ……」
上役の秘書らしき人が声をかける。天利さんもこくりと頷き、会を終わらせてくれた。助かった。
どうやら会計も天利さんが済ませておいてくれたらしい。飲み会での立ち回りも上手だなんて、さすが天利さん。
いや、というか俺、本当に飲んでただけだったな……。
立ち上がると地面が揺れた。何これ、足元がふわふわしてる。こんなになるまで飲んだのは初めてかも。
とにかく先方を見送らないといけないから、揺らぐ頭をぶんぶんと振り、何とか意識を保ちながら出口まで歩いていく。
「今日は楽しい酒が飲めたよ。ありがとう」
上役の人はニコニコと上機嫌だった。
対する俺は、立っているのもしんどい。
でも、天利さんが背中をそっと支えてくれているのが分かって、嬉しい気持ちと倒れるわけにはいかないという気持ちと、ちょっと寄りかかりたいかもという甘えた気持ちがごちゃまぜになった。
そんな疚しい気持ちを持ちつつ、上役の専務が車に乗り込むところを見届け、その車が見えなくなるまでその場に立つ。
……で、見えなくなってすぐに目の前がぐわんぐわんと回り始めた。
「ここは地面が柔らかいですね……」
「いや、石畳だぞ。大丈夫か?」
心配そうに天利さんが俺の顔を覗き込んできた。
あー、ほんと好みの顔なんだよなぁ。可愛いなぁ。
「っ、おい」
ぼやけた頭のまま、ぎゅう、と天利さんに抱きつく。すると、天利さんは戸惑った声を上げながらも、しっかりと受け止めてくれた。可愛い上にカッコいいってどういうことなんだ。好き。
「……菅谷。いくらなんでも飲み過ぎだ」
「んー……あったかい…」
「全く、本当に俺に一滴も飲ませなかったな。助かったが、こんなになるまで飲まなくても良かったんだぞ?」
「だって……約束しましたから」
「律儀というか、良い奴というか。純粋過ぎて、誰か悪い奴に騙されないか心配になるな」
「大丈夫ですよー、だまされません」
「それならいいが。とりあえず今日はもう帰って寝ろ。家の鍵は持っているんだろうな?」
「持ってます、持ってますよー。ん?あれ?どこ入れたっけ……ここ? それともここかな?」
「おいおい」
天利さんに問われ、ポケットを漁ったものの、鍵が見当たらない。
「一応、タクシーは呼んであるが……お前が家に入れないなら必要なかったか」
「大丈夫、だいじょうぶですってー」
よろよろしながら、やって来たタクシーに乗り込み、持っていた鞄を漁る。でも、見つからない。
「無い、けど……ま、いっか」
なかったらなかったで、どうにかなる。
俺は安易にそう考えていたのを何となく覚えてる。
あと、天利さんが頭を抱えていたっぽいことも、ぼんやりと覚えてる。
「仕方ない。俺も乗ろう。ほら、菅谷、どこまで行けばいいんだ?」
ぽやーっとしながら家の近くまでの道を伝える。
細かいところは天利さんが補足してドライバーの人に伝えてくれた。
そのおかげで、スムーズに家までたどり着けた。
料金を払って、車を降りる。
見慣れたマンションだけど、隣に天利さんがいるからか、不思議といつもと違ったようにも見えた。
「天利さんに送ってもらうの、申し訳ないです」
「今さらだな。家の扉の前で寝て風邪でも引かれたら困る。お前を酒の席に連れてきたのは俺なんだし、責任は取るよ」
「責任……」
本当に良い人だなぁと思いながら鞄をごそごそと漁っていると、天利さんも一緒になって探してくれた。
そしてやっと鍵が見つかると、天利さんが先にそれを手に取る。
「開けてやるから」
「ふぁい、ありがとうございます」
「あ、こら、寄りかかると重い。自分で立て」
「んん」
頑張って自立すると、よしよしと頭を撫でてくれた。優しい。
……ここで俺が鍵を見つけていたり、そもそも酔ってなかったりしたら、たぶん、この日の出来事は変わっていたと思う。
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