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7. 一夜の過ち?(天利視点)
夜。
友人――來斗の店に訪れてから約1時間。
指を組み、額に当て、俯いている俺を何も言わずに座らせておいてくれるなんて、本当に良い友だと思う。
このまま迷惑をかけるわけにもいかない。
意を決して、目の前で鼻歌を歌いながら閉店作業をしている來斗に顔を向けた。
「お、話す気になったか」
「聞いてくれるか」
「ああ。というか、聞いてほしいから、わざわざ来たんだろ?」
「……はは、お見通しか」
苦笑し、目を細める。
少し体制を崩すと、腰がズキズキと痛みを訴えた。
自業自得とはいえ、ため息しか出てこない。
昨夜のことをひとつひとつ思い出しながら、か細い声で來斗に悩みを告げる。
「……好きな相手と、体を重ねてしまった」
**
俺は、菅谷のことが好きだ。
それは恋愛的な意味で。
元々、俺の恋愛対象は男で、菅谷の教育係として接していたこともあり、好きになるのは早かったと思う。
ただ、俺の性的指向は家族にすら話していない。知っているのは來斗と、高校時代に付き合っていた奴だけ。
來斗はいい奴だが、付き合っていた奴は最悪で、深々と俺の心に傷をつけて去っていった。
だから、正直好きだの嫌いだの、そういうのとは距離を置いていた。
……菅谷とどうこうなろうとか、そんなこと、考えていなかったんだ。
「体の関係から……っつーのも、まぁ無くはねぇだろ。良かったんじゃねぇか? お前は恋愛ごとは動きが鈍いし」
「良くない。あいつは、俺のことは好きじゃないんだ」
「……ん?」
そう。菅谷には「好きな相手」がいるらしい。
以前耳にした話によると、その相手とやらは、可愛らしくて仕事のできる、同じ部署の"女性"なのだとか。
今まで付き合ってきた相手も女性だけらしいし、俺に望みなんて欠片もないわけだ。
「その相手に言われたんだ。『好きな相手が振り向いてくれなくて辛いから、慰めてほしい』と」
「寂しさを埋めるためにヤらせろって?」
「……まぁ、その、そうだな」
「ふーん? そういうタイプには見えなかったがな」
「ああ、俺もあいつがそんなことを言うなんて思わず、……って、待て。俺はお前に好きな相手を教えた覚えはないぞ?」
慌てて顔を上げ來斗を見ると、來斗は渋い顔をしながら自分の顎に手を当て、首をひねりながら、眉間に皺を寄せた。結構怖い。初めて見た人は恐怖に怯えるかもしれない。
いや別に、この仕草は悩んでるだけであって、俺を威圧してるわけではないんだが。
「この前、店に連れてきた部下だろ。ほら、なんつったっけ、菅谷……だっけ?」
「ど、どうしてそう思うんだ?」
「一緒に連れてきた時点で、俺に紹介してくれんのかと思ったんだが。あと、明らかに上機嫌だったし、顔に締まりがなかったぞ」
指摘され顔を触る。
俺はそんなにあからさまな態度をしていたのか?
「で、その菅谷だっけ?そいつ、店で食ってる時は普通に見えたが。実は裏で遊びまくってるタイプだったってことか」
「普段もそんな素振りは……でも、そうだな、とても手慣れていたのは確かだ。俺が知らないだけで、そういう面があるのかもしれないな」
普段の菅谷を思い浮かべる。
仕事熱心で、たまに失敗をするが一生懸命に挽回しようとするし、褒めると嬉しそうな顔をする。
俺に屈託のない笑顔を向けてくれるし、誰に対しても分け隔てなく接する良い奴だ。
それなのに、昨夜の"あれ"は俺の知っている菅谷とまるで違う振る舞いで、動揺が隠せなかった。
そして動揺したまま、つい菅谷に「俺にだって好きな相手がいる」と言ってしまった。
本人を目の前にして、だ。
「つーか、そのまま弱みにつけ込んで付き合って、自分に惚れさせちまえばいいんじゃねぇか? 掻っ攫っちまえよ」
「そんな酷いこと、出来るわけがないだろう」
「いや、そもそも、そいつのやってることが酷いことだろーが。目ぇ覚ませ」
「やめろ、菅谷はそんな奴じゃない」
「おいおい……だいぶ入れ込んでんな。また昔みたいに痛い目を見るかもしれねぇぞ?」
「……それは…」
昔の苦い記憶が呼び起こされる。
浮かんだ顔をかき消すように頭を振ると、來斗に可哀想なものを見る目を向けられた。
「……あの阿呆と別れてからだいぶ経つが、まさかこの年になって色恋沙汰で悩むことになるとは」
「ま、いいんじゃねえか?大いに悩めよ」
「おい」
「お前は完璧すぎて逆に心配だったからな。人並みに悩んでる姿を見て、お前も人間だったんだなと思ったぜ」
「お、お前……他人事だと思って…」
「これでも心配してんだよ。珍しく、弟以外のことで悩んでるから」
確かに俺の悩みは大体、弟のことだ。
それは否定しない。年も離れているし、忙しい両親に代わって親のように接していたから、可愛くてしょうがない。最近は俺のことを鬱陶しそうにすることがあるものの、比較的仲は良い方だと思う。
……いや、待て、違う。今は菅谷のことだ。
「これから菅谷とどう接すればいいのか分からない」
「お前、ほんと恋愛に関してはポンコツだな」
「失礼な」
「ぐだぐだ悩まず、お前の素直な気持ちを伝えてやればいいさ。話したら意外と上手くいくんじゃねぇか?」
「それが出来たら苦労しない。俺は、伝えて関係がダメになるくらいなら、苦しくても今のままでいい」
「はぁ……そうかよ。あの馬鹿が残した傷は深いな」
やれやれ、と肩をすくめられ、來斗から目線を外す。
明日、どうやって菅谷と向き合えばいいんだろうか。
一応、忘れてやると言ったし……
いつものように、普通に接するしかないか。
ただ、菅谷のことだから、無理矢理に俺を抱いたことを後悔してるかもしれない。
正直、ものすごく、俺は気持ちよかった。
声を抑えないととんでもない声を出してしまいそうで、必死に耐えたが…菅谷はどうだったんだろうか。つまらなかったかもしれない。
菅谷の本心を聞きたいような聞きたくないような。
はぁ……と盛大なため息を吐きながら、明日が来なければいい、と久しぶりに思った。
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