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滅多に緊張しないオズワールは、今日は珍しく緊張していた。
自分の隣に立つ女性が、服装も化粧も髪型も着飾り、いつもよりも数倍美しく見えたからだ。
「もしよろしければ、このあと一曲踊りませんか?」
オズワールよりも年上で紳士的な男性にダンスの誘いを受けると、彼女は男性の手を取らずに薄く微笑んだまま、オズワールの腕に両手を回した。
「ごめんなさい、今夜は相手がいるんです。」
彼女が柔らかく断ると、誘ってきた男性は残念そうに肩を落としその場から離れていく。
本日何度目か数えきれないほど繰り返されるやりとりであったが、ワインレッド色のマーメイドドレスを着たテレサの手が腕に絡みつく度に、オズワールは体を固くさせる。
「……もう少しリラックスしていただけませんか? パートナーだと思われないですから。」
「わ、わかってますよ……。」
そう言うオズワールの表情は固い。
オズワールはせっかくいつものヨレヨレの白衣をビシッとしたスーツに、目が隠れるほどの長い前髪とボサボサの髪をオールバックにしてキッチリとキメているのに、これでは台無しだとテレサはため息をついた。
対抗戦のイベントの1つであるダンスパーティーでは、生徒だけでなく教師や生徒の家族、さらに貴族や政界・芸能界などの著名人も集まる大人では社交界の場となっていた。
なぜなら国を超えて集まれる機会はあまりなく、権力がある者ほど貴重な人脈作りや情報収集の場となっている。
そのため、華やかなダンスを楽しむ子供たちとは少し離れた場所で、目をギラギラとさせた大人たちが話したり食事をしたりダンスを踊ったりしていた。
「エスコートって言うから、単純についていくだけかと思ったんですよ。これじゃ恋人みたいじゃないですか。」
「むしろ他に何があるんですか?」
27歳のテレサに25歳のオズワール。
十分大人とも言える2人がエスコートしてもらうのに、”ただついていく”だけだと思っているオズワールにテレサは呆れた。
もちろんテレサにはオズワールに恋愛感情など一切なく、恋人役として傍にいてもらっている以外ない。
「男性が傍にいてくれれば誘いを断るの楽なんですよ。少ない言葉でも察してくれますし。」
「……そりゃこれだけお誘いがくれば断るのは大変でしょうけど。」
すでにげっそりとするオズワールにテレサはシャンパンを差し出し、オズワールはシャンパンを受け取るとお礼をこめて少しグラスを掲げてから一口飲んだ。
「今日は情報収集のために参加したんです。余計なことに時間を使いたくないし、そもそもこういう服装は苦手です。」
「……へえ、意外ですね、すごく似合ってるのに。」
オズワールがそう言うとテレサはオズワールのことをジトリを睨んだ。
褒めたはずなのに睨まれたオズワールはわずかに肩を跳ねさせる。
「それと今日は私のことネスリーではなく、コゼットと呼んでください。」
「コゼットって、え、そこそこ有名な貴族の名前ですよね?」
「……ネスリーは母方の姓です。もともとはコゼットが私の姓でした。除名されたおかげで名乗れなくなりましたが。」
「じょ、除名……?」
「勘当されたんです。私が男性よりも女性が好きだから。」
瞬間、オズワールの足元にボタボタと水滴が落ちた。
飲もうとして口に含んだシャンパンをテレサの発言に驚いたオズワールが勢いよく吹き出したからだった。
「……え、え? なん……?」
「私は長女だったので、婿を迎えて家督を継がせる役目があったんですが、男性を愛せないと知った父が激怒しまして、家を追い出されました。」
動揺するオズワールにテレサはハンカチを差し出した。
オズワールはハンカチで濡れた顔と服を拭きながらも、テレサの発言を受け入れることができず目をぱちぱちと何度も瞬かせていた。
「父には縁を切られましたが、それでも、恵まれているとは思いますよ。母は今でも私を気にして姓を名乗ることを許してくれますし、教職の仕事も呪術の研究も私にとってはやりがいのある仕事です。……だからこそ、あの子たちを見ていると自分の力不足を感じます。」
テレサのわずかに沈むような声色に、オズワールはテレサの顔を見た。
テレサはおいしそうな食事を食べたり華やかに着飾る大人たちを見つめたまま、その瞳に暗い影を落とす。
「あなたが言ったように日々生徒たちは成長します。とくにルネッタさんや李くんの年頃は、体も心も大人に向かって行く大切な時期です。きっと今この日々が、あの子たちの将来に大きく影響を及ぼすのだろうと思います。ですがあの子たちは、私たち大人でも音を上げるような運命をその背にのせている。しかも背負わせてしまっているのは私たちのような大人です。」
テレサが持つシャンパンがわずかに震えていた。
「本来なら、私たち大人があの子たちを守ってあげなければならないと言うのに……。」
無理矢理月のカケラを埋め込まれ、自分とは別の人格に飲み込まれつつあるルネッタ。
呪いをかけられ、父親を奪われ、自身も満月の夜を歩けなくなった小焔。
過酷な運命を背負わされた2人に、さらに周りの大人たちが私利私欲のために追い込んでいく現状にテレサは嘆いていた。
「私にできることがあればあの子たちの力になろうと思っています。ですが、力が及ばなくて……とても、はがゆく思います。」
常に冷静沈着なテレサが強く握りすぎてグラスが小さくヒビが入るほど感情を露わにする姿を見て、オズワールは言葉を失う。
そしてかつて自分の婚約者を救うためルネッタに月のカケラを取り込ませてしまったこと、小焔の父親への想いを利用して月の魔女復活を促したことを思い出し、胸が締め付けられた。
オズワールは、テレサからすれば自分も目の前で笑い合う大人たちと同じなのだろうと思うと嫌悪感が湧き出た。
ジッと睨むようにパーティーを楽しんでいる彼らを見ていると、一部大人たちが集まる人だかりの隙間から、杖をついた紳士的な男性を見つけた。
30代後半ぐらいの男性はその見た目からオズワールは直感的にマリアの関係者ではないかと思った。
そう思った瞬間、オズワールは無意識に一歩踏み出していた。
「……俺も同じです。」
「オズワール先生?」
「俺も、あいつらには明るい未来を生きてほしいと思います。」
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