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月明かりの舞踏会
カストリア魔法学校の寮にある共有スペース。
全寮制のカストリア魔法学校の寮は女子寮と男子寮に分かれており、共有スペースが唯一の異性交流の場となっている。
パーティー間近はカップルができることが多く、共有スペースも多くのカップルで占領されてしまっていたが、ダンスパーティー真っ只中の今ではルネッタと鎌鼬のクリスピー以外誰もいなかった。
カストリア魔法学校の生徒は他校に比べ孤児が多く、様々な理由でパーティーに参加していなかったが、ほとんどが自分の部屋にこもってしまっていた。
対抗戦中は空間移動・カーテンなどでパーティー会場とつながっているせいか、会場の音楽が学校中にわずかに漏れて聞こえていた。
ダンスパーティーがある今夜はクリスピーにいつも食べれない特別な木の実を与えると、クリスピーは満足そうにソファの端で大の字で寝てしまった。
ルネッタも本を読みながらクリスピーのそばでソファに座っていると、暖炉の暖かさでうとうととうたた寝をしそうになった。
「ルネッタ。」
ふいに声をかけられてルネッタの体がびくりと揺れた。
聞き馴染みのある声にそろりと振り向くと、そこにはオズワールが立っていた。
「先生……?」
若干息を切らしているのが気になったが、いつもよりも綺麗な姿しているオズワールにルネッタの心臓がドキリと跳ね、息を切らしている彼のことはすぐに気にしなくなった。
「ここにいたのか……探した。」
「私をですか? なにかあったんですか?」
「それが……、」
そう言いかけてオズワールは言いよどんだ。
ここで自分が知ったことを言えば、テレサが言っていた"重い運命を背負わせる"ことになるのではないかと頭をよぎる。
(きっと知ればルネッタは自分を追い詰める……それでいいのか……?)
なにかを言いかけてそのまま黙ってしまったオズワールにルネッタは首をかしげた。
あどけなくこちらを見つめてくる少女が悲しみにくれる姿を想像すると、オズワールは言葉がでなかった。
「……ルネッタはダンスパーティーにはでないのか?」
「はい……私、ドレスを持っていないので……。」
そう言うとルネッタは表情を暗くして下を向いた。
固く握りしめた拳にルネッタの感情を汲んだオズワールはすべてを察する。
「……踊るか? 俺と。」
「……え?」
「ダンスは授業でやったんだろ?」
「そうですけど、私ドレス着てないです……。」
「そんなのどうだっていいだろ。」
オズワールがパチリと指を鳴らすと共有スペースの明かりが一斉に消えて、窓から入り込む月光が青白く共有スペースを照らした。
月光が共有スペースにある家具の金属に反射してキラキラと柔らかく辺りを包む。
オズワール座るルネッタに手を差し出した。
普段は粗暴なオズワールももとは貴族出身でもあるためか、その立ち振舞いは今の身なりも相まってとても絵になった。
見惚れたルネッタは思わずその手をとると、オズワールがリードしてルネッタを立ち上がらせる。
遠くに聞こえていたパーティー会場の音楽がいつの間にかすぐそばで流れているような気がした。
月明かりに照らされた2人。
ルネッタはオズワールにリードされながら、ゆっくりと音楽に合わせてステップを踏み始めた。
オズワールは片手はルネッタの手に、もう片方はルネッタの腰にあたっているためルネッタもはじめは緊張で動きがぎこちなかった。
けれど時々小声で誉めてくれるオズワールに幸せを噛みしめるルネッタは笑顔を見せるようになり、体も柔らかく動くようになった。
ステップを踏み、ときにはくるくると回り、目が合うとお互いに笑みがこぼれる。
ショーウィンドウに飾られるドレスに憧れを持ち、ダンスパーティーに出られない惨めさを抱いていたルネッタは今では、好きな人と人生初めてのダンスを踊れて幸せだった。
オズワールもルネッタが年相応な無邪気な笑顔を見せる度に、その笑顔を守っていきたいと思いを固める。
ルネッタはこの時間が永遠に続いてほしいと心から思った。
***
音楽が止み、オズワールとルネッタは足を止める。
オズワールがルネッタから離れようとすると、ルネッタは名残惜しそうにわずかにオズワールの腕を掴んだ。
「ルネッタ……?」
辺りが月光で包まれる空間ではルネッタの顔色をオズワールは把握することができなかった。
しかし顔を上げてこちらを見つめてくるルネッタの碧い瞳が、月の光でより一層美しく光って揺れていた。
「オズワール先生、私……先生のことが好きです。」
オズワールは突然のことに目を見開き、ポカンと口を開けた。
かつてはルネッタのことを犠牲にして、月の魔女を復活させようとした自分に好意を抱くなどありえないとオズワールの頭を一瞬よぎる。
「え……。」
「好きなんです。」
しかし自分の腕を掴むルネッタの手が熱をおび、弱々しく震えているのを感じると、本気なのだと伝わってきた。
「ルネッタ……。」
オズワールは自分の腕を掴む手を優しく掴み、ゆっくりと離れるように促す。
「……ありがとう。でも俺には他に幸せにしたい人がいる。」
ルネッタの瞳はじわじわと潤い、やがて涙をためた。
オズワールの返事にルネッタが声にならない声で「はい。」とうなずくと、その振動で涙がルネッタの頬を伝う。
婚約者がいるオズワールにはふられてしまうことがわかっていたが、憧れのダンスを好きな人と踊れて想いがあふれた。
そしてその想いが決して後悔のないものだと心の底から思っているかのように、ルネッタは泣きながらも笑顔を見せた。
「オズワール先生、もう一曲、一緒に踊ってください。初恋の思い出にしたいんです。」
「……ああ、喜んで。」
初めて人を好きになり、恋をして、想いを伝えられた。
かなわない恋だったけれど、ルネッタは今日この日のことを生涯忘れることはなかった。
***
時を同じくしてカストリア魔法学校の男子寮の廊下ではパーティー会場から戻ってきた小焔が歩いていた。
もうパーティーに戻るつもりがない小焔は襟首まできつく止められていた漢服のボタンを数個外し、首元を緩めと深いため息を吐いた。
煌びやかで明るいパーティー会場とは真逆に、明かりを消された男子寮の廊下はいつもよりも暗く小焔には見えた。
そんな暗い廊下で人影を小焔は見つける。
廊下に設置された椅子にうなだれるように座る人影に、小焔は警戒しながら近づいた。
「グランツ……!」
「なんだ……李、君か……。」
重そうな頭をあげて小焔の姿を確認したノアはいつもの茶化してくる様子とは程遠く、嫌味もなければ覇気も全くなかった。
「向こうへ行ってくれ。僕は今、君の相手をする気分じゃないんだ。」
「俺はいつでもお前の相手をしてるつもりは……ってお前もしかして酒飲んでいるのか?」
ノアからわずかに香る臭いに小焔が顔をしかめると、ノアは持っていたグラスと瓶を小焔の目の前でちゃぷちゃぷと揺らして見せた。
「父様の荷物からこっそり貰ってきた。安心しろ、酒にしてはだいぶ弱い。」
「俺たち未成年だぞ……。」
「今日だけだ……今日だけだよ、父様の言いつけを破って酔いたい気分なんだ。」
弱いというが随分酒が回っているように小焔には見えた。
いつもの傲慢な態度はどこへやら、随分と語尾が弱々しくて逆に怖くなってくる。
「僕はルネッタ・リンフォードに告白した。見事に玉砕したけどね。わかってはいたが、それでも気分を紛らわせたかったんだ。」
小焔は内心「ルネッタに告白したのはお前だったのか。」と驚きのあまり口から出そうになった。
しかし勝ち目がないのに告白をしたこと、相手の意志に反して強引にせまることなくあっさり身を引いたことに、小焔の知っているノアの人物像が合わなかった。
「……お前らしくないな。」
「君の言いたいことはわかるよ李・小焔。でも僕は今夜、僕の婚約者とダンスをしなければならなかった。」
貴族の出身であれば、フィンと同様ノアにも幼い頃に決められた婚約者がいるのは当然のことだった。
そこに恋愛感情はないとしても家を守るために必要なことだと、ノアはフィン以上に理解し、受け入れていた。
「父様からの受け売りなのさ。自分が守らねばならない女性を生涯守り、自分が愛した女性は心から幸せを願えって。そうなるためには、僕は自分の気持ちに落とし前をつけなければならなかった。」
そしてうまく片付けきれない感情はこうして酒に酔うことで流そうとしていた。
グランツ家の家訓はノアも、ノアの父も、そのまた父も教えられたことであり、そのためかグランツ家は他の貴族の中でも珍しく夫婦仲は良好で有名だった。
「僕はちゃんとふられて、グランツ家のために生涯を捧げるのさ。」
相変わらず嫌味っぽく笑う癖は変わらないが、そこには小焔の知らないノアの心理が見え隠れしていた。
小焔はノアが手に持つ酒瓶を奪うと、ノアの前で揺らした。
「……俺にもくれ。」
「君は飲む必要が……」
「俺もふられたんだよ。飲みたい気分なんだ。付き合え。」
小焔は共有スペースで踊るルネッタとオズワールのことを見ていた。
ルネッタに失礼なことをしたことを謝ろうとしたが、オズワールにふられたルネッタが今まで見たことがないような笑顔をしているのを見て、小焔は声をかけることができなかった。
ルネッタの恋は実らなかったのに、自分の心も敗れたように痛かった。
「君が……? まさかリンフォードに……?」
「俺じゃ、あんなふうに笑わせてあげることはできない。」
小焔はそれ以上何も言わなかったがノアは何かを察したかのように笑う。
そしてノアが杖を振ってもうひとつグラスをだすと、小焔がふたつのグラスに均等に酒を注いだ。
キンとお互いにグラスをぶつけ合い、2人は同時に酒を喉に流し込む。
初めて飲んだ見たこともない銘柄の酒は、2人の少年の喉に冷たく苦く染み込んでいった。
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