冷たい人

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私は、とある地方都市の中規模の商事会社にて部長として働いている。 新卒として採用されて以来、早いものでもう三十年以上もこの会社で勤務している。 二十代半ばで結婚し、二人の子ども達は数年前に成人して家を出た。 二階建ての家は夫婦二人だけで暮らすには広すぎるような気がして、よく若い部下を招いては飯を食わせ、そして泊まらせたりしている。 家事が得意な妻も、五十歳をとうに過ぎた私だけが相手では、その料理の腕を持て余しているらしく、私が連れてきた若い社員達に対して嬉々として大量の料理を振る舞い、目を白黒させながらも喜んで平らげる彼らの様を嬉しげに見つめているものだ。 先日に私の部下として配属された冨澤は、中途採用とのことだった。 二十代後半とのことだが、その立ち居振る舞いから、あまり若々しさは感じられなかった。 その態度はどこか諦念を感じさせ、その声色はひどく個性を欠いていた。 けれども、彼の雑談は至極面白かった。 技術的な事柄について、幅広く、そして深い知識を持っているようであり、何時間でも聞いていられるほどの面白さだった。 それのみならず、所謂「社会の裏側」についても矢鱈と詳しかった。特に「保険」について非常に詳しく、そう遠くない将来に定年を迎える可能性のある私は、老後に向けた「保険」のかけ方について、色々と相談に乗ってもらったものだ。 ただ、彼には幾つか気になる点があった。 まず気になったのが、彼の出社・退社の際に、必ず送迎が付いていることだった。 それも、最早装甲車と言ってもいいほどのアメリカ製の頑丈な車に、屈強なSP紛いの男性が何名か付き添いで。 冨澤は平社員なので、会社が送迎など付ける訳がない。 部長の私ですら自分の自家用車での通勤なのだから。 そして、もう一つ気になったのは、彼の手が矢鱈と冷たいことだった。 冨澤が私の部に配属された時、彼から挨拶を受け、そしてよろしくねと握手を交わしたのだが、握ったその手はゾッとするほど冷たかった。 ただ、それらの点さえ気にしなければ、社員としては頗る優秀だった。 物覚えも早く、人間関係も円滑にこなし、そして、様々な方面の知識が豊富であり、それは何かと業務にも役立った。 そんな彼を労おうと思い、例によって彼を私の家に招き、歓待しようと思ったのだ。 こんな言い方もなんだが、私はこの会社の中では結構な力を持っている。 次期社長の目も無い訳ではない。 実は、私は現社長に対し、密かな不満を抱いている。 経営にしても、その方向性自体には秀でた部分はあるものの、肝心な部分で情報収集が甘かったり、あるいは詰めが不十分だったりして、結局は失敗してしまうことが往々にしてある。 私が社長になったならば・・・と思うこともしょっちゅうだ。 そのため、将来有望な社員に目を掛け、密やかに手なずけ、それとなく自分の支持者に仕立て上げるように振る舞っている。 妻の手料理を食べさせるために家に招く、というのも半ば方便だ。 私から家に招かれる社員も薄々はそのあたりの事情を察してはいるので、断られることは無い。 しかし、冨澤は私からの誘いに難色を示した。 おかしい。 彼くらい察しがいい人間ならば、これがどういう意味なのか分かる筈なのだが。 そして、仮に断ったとしたら、社内での立場が決して良くはならないことくらい理解できるだろうに。 やや気分を害した雰囲気を醸しつつ、理由を尋ねる私。 そんな私に対し、冨澤は妙な質問をしてきた。 「部長のご自宅って、火災保険とか入られていますよね?」と。 また、こんな質問もしてきた。 「もうお子さんも家を出られて、今のご自宅って広すぎる感じですよね?」と。 二つの質問に対し、私はその通りだと答えた。 すると冨澤は、私の家を訪れることを了承した。 とある土曜日の夕方。 冨澤は例によって装甲車もどきの車に送られて私の家を訪れた。 車を降り、SPもどきの付き添いと少し言葉を交わした後、冨澤は私の家へと招き入れられた。 久々の来客に妻は上機嫌だった。 ここぞとばかりにボリュームたっぷりの、そしてカロリーがいかにも高そうな料理を次々と振る舞う妻。 そして、それらの料理をいかにも美味しそうに、次々と平らげる冨澤。 よく食べる二人の息子達が家を巣立って以来、妻が料理の腕を思う存分に奮えるのも、私が若い社員を連れて来た時くらいなものだ。 ふくよかな自分の下っ腹を見遣り、妻の料理を最早存分には堪能できなくなった自分に罪悪感も抱きつつ、私は冨澤と話をする。 話の内容は、冨澤の雑談が主だった。 やはり、冨澤の話は面白かった。 会社だと仕事の合間にしか雑談もできないが、こう腰を落ち着けて彼の話をじっくり聞くと、やはり、実に面白かった。最新の電子制御技術、人工知能、様々なセンサー技術、人工筋肉、そして新たな金属材料や化学繊維といった材料工学的な話題など、専門家もかくやと思わせるほどの内容だった。また、技術的なことのみならず、「社会の裏側」的な話も、身を乗り出して聞き入ってしまうほどに面白かった。特に面白かったのは、昨今のホテル業界の経営状況の話だった。資金繰りに苦慮するホテルなどは、様々な怪しい手口でやり繰りしているといった話は、まさに驚きの連続だった。 妻も途中から私と一緒に冨澤の話に聞き入っていた。 冨澤の話はあまりにも面白く、結局、日付が変わる頃まで話し込んでしまった。 そろそろ冨澤さんにも休んで頂かなきゃ、という妻の声で我に返った。 もう遅い時間であったため、今夜は泊まっていくよう冨澤に言う。 冨澤のために客間に布団を敷き延べ、そして私たちも就寝してから程無くして、件の爆発が起きたのだった。
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