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「蘇生の術に狼は使わない。狼を使役する者は、狼を排除できる力も持っているんだ。そうでなければミイラ取りがミイラになりかねないだろう」
「ダメだ。俺は出て行かない」
「わがままを言わないでくれ」
「また友哉から引き離されるのは御免だ」
雪華はわざとらしいため息をついた。
「お願いです、あきら様」
「様なんて付けて呼んでもダメなものはダメだ」
「だが」
「俺はこのドアの前にいて、そっちには近寄らないことにする。それ以上は譲歩しない」
睨みつけると、雪華はふっと息を吐いた。
「……分かった。ではそこから一歩も動かないでくれ」
「OK」
雪華はうなずき、左腕の袖をめくって腕時計に目を落とす。
「時間が関係あるのか?」
「いや、関係あるのは方位だ。これにはコンパスが付いている」
「なるほど」
ベッドの横に立ち、目を閉じて、ふううっと雪華は息を吐いた。ベッドのヘッドボードの方へ体を向けると、両手を合わせ、人差し指と人差し指、親指と親指をくっつけて菱形を作り、その中を覗き込むように顔に近づける。そして大きく息を吸うと、低く渋い声で詩のようなものを唱え始めた。
「東の窓には春の庭、梅桃桜に沈丁花」
東の方角に薄い青の風が吹き、蜃気楼のようにふわりと春の庭が現れる。
息を呑む俺の前で、雪華は体を病室の窓の方へ向けた。
「南の窓には夏の庭、あやめ、姫百合、金蓮花」
南向きの窓の前に薄い赤の風が吹き、眩しい夏の庭が現れる。
俺は目を見開いて南側にできた庭をみつめた。
庭の向こうには本物の窓がうっすらと透けていて、雨粒がガラスに当たっているのが見えている。
「西の窓には秋の庭、桔梗に竜胆、女郎花」
俺が驚いている内に西側には白い風と共に秋の庭も現れていて、雪華は次にゆっくりとこちらを向いた。
「北の窓には冬の庭、雪に覆われ凍る岸」
黒い風と共に凍てつく景色が目の前に現れ、俺の存在を拒絶するように冷気が流れてくる。
雪華はそっと友哉の胸に手を置いた。
「天と大地に清浄の風。清めたまえ、守りたまえ。天と大地に清浄の風。清めたまえ、守りたまえ」
中央には金色の風が吹いて友哉の前髪をかすかに揺らした。
雪華が友哉の右耳に唇を寄せ、何かをこそこそと囁き始める。聞き取ろうとして身を乗り出すと、ぴゅうと冷気が顔にかかり、俺は慌てて体を戻した。
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