3-(4) キツネとオオカミ

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 雪華は次に友哉の左耳に口を寄せて、また何事かを囁き始める。  友哉の顔に変化は見られない。  俺が凝視する中で、雪華は右の人差し指を自分の唇の上に置いて、また何かを囁き始めた。  必死に耳をそばだてると、『この息は神の息』というフレーズだけが聞き取れた。 「倉橋友哉、安心して戻って来なさい。あなたの体はここにある」  慈愛に満ち溢れた優しい声で言うと、雪華は友哉の顎を持ち、静かに口を付けて息を吹き込んでいく。  春の庭からピンクの花びらが舞って、そのいくつかが二人の上にはらはらと落ちた。  雪華が友哉から口を離すと、友哉のまぶたがピクリと動き、まつげが震えた。 「友哉……!」 「もう少し待って」  駆け寄ろうとする俺を、雪華が手で制する。 「風は凪ぎ、窓は閉められる。北の窓、西の窓、南の窓、東の窓……すべての窓は閉じられて、庭ははるか向こう側へ……」  雪華の言葉通りに庭がひとつひとつ消えていき、すべて消え去った後には元通りの病室が戻って来ていた。雨音がやけにはっきりと聞こえて来る。 「どうぞ、あきら様」  雪華は友哉からすっと離れ、俺は友哉の体にすがりついた。 「友哉、友哉!」 「ん……」  まるで昼寝から起こされた時のように、友哉は少し顔をしかめてから目を開いた。 「友哉、大丈夫? 友哉」 「あれ……あきらか……?」 「うん、俺だよ。あきらだよ。友哉、体は? どこもなんともない?」 「んん……」  友哉は視点が定まらず、寝惚けているかのようにぼうっとしている。 「友哉、分かる? 起きられる?」 「あきら……」  友哉の右手がゆるゆると持ち上げられる。俺はその手をぎゅっとつかんだ。 「どうしたの、友哉。どっか痛い?」  友哉はぼんやりとした顔のまま、首を振った。 「なぁあきら、どうしてこんなに暗くしているんだ?」 「え?」  外は雨のせいで薄暗いが、まだ夕方だ。  部屋の中にはLEDの照明がついている。  友哉はうーんと伸びをして、きょろきょろと首を回した。 「ここどこだ? 電気付けてくれよ、あきら」
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