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「いや、あれは……」
いつのまに近づいたのか、雪彦の声が横から聞こえる。
「あれは敵じゃない」
カラカラカラと戸の開く音がする。
ふわっと風が吹いて、草の匂いがする。
ずっと向こうで、最初に見た大きな銀色の犬がこちらを向いている。
「敵じゃないって、じゃぁ……」
あきらが何かを言いかけた時、キッチンの方角からパタパタとスリッパの音が聞こえた。
「どうされましたか? 何かございましたか?」
女性の声だ。
山田か佐藤か、どちらだろう?
「何でもない。キッチンに戻りなさい。呼ぶまで来なくていい」
雪彦の冷たい声がして、女性の声がすいませんと言って離れて行った。
彼女の声には、動揺が無かった。すぐそばで威嚇するように毛を逆立てている大きな二匹の犬が見えなかったのか?
「おい、あれは何だよ。俺には叢雲と碧空と同じものに見える。式狼じゃないのか?」
俺を抱えたままで、あきらが低い声を出す。
しきおおかみ?
「あれは銀箭……私の式狼だったものだ」
「だったもの?」
「二ヶ月前、命じられて呪詛を作る時に使った。呪詛返しにあったために私から離れてしまったものだ」
二ヶ月前?
呪詛返し?
意味の分からない会話について、ちゃんと説明して欲しい。
でも、今一番教えて欲しいことは……。
「どうして、俺の目に見えるんだ……?」
「見える?!」
「何が見えるんだ?」
あきらと雪彦が声を上げた途端、向こう側にいた大きな一匹がぱっと走り出した。
「待て! 銀箭! 待ってくれ!」
雪彦の足音が離れて行って、あきらは俺を抱え込んでいた腕をやっとゆるめた。でもその拍子に俺はよろめいてしまい、結局あきらの腕に寄り掛かってしまう。
「あ、ごめ……」
「友哉、見えるってどういうこと?! 何が見えるの?!」
すごい勢いで聞かれ、俺はすぐ前にいる大きな犬を指で順番に示した。
「銀色の大きな犬が、二匹」
そしてもう一匹が去った方角も示す。
「あと、もっと大きい一匹が、あっちに走って行った」
「まじで……?」
「まじで。真っ暗な中に、犬だけが見える」
息を呑む気配がして、あきらに両肩をつかまれた。
「それってどういうこと? 友哉って何者なの?」
「何者って言われても、俺のことはあきらが一番知っているだろ。親よりも」
「それは、確かに」
もう十年以上も一緒に生きて来た。
あきらは俺の全部を知っている。
商社勤めの父とファミレスのパートの母、高校生の俺。
変わった経歴も特技も能力も無い、普通の高校生……のはずだ。
失明した瞳には、なぜか犬だけが見えているけれど。
「俺って、何者……?」
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