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女は乱れた法衣を引きずりながら、車の後部座席に近づいて来る。
「私に倉橋友哉を寄越しなさい。私にくれるというなら助けてやるぞ」
『友哉は俺のものだ。誰がお前なんかにやるものか』
「愚か者め! 状況が分かっていないようだな、倉橋友哉はこのま……」
「離れてくれ! 拝み屋にかまっている暇はない!」
雪華が乱暴に女を突き飛ばして、また運転席に向かう。
「そのままでは死ぬぞ!」
女が叫んだ。
ぎくりと雪華が足を止める。
「死ぬ?」
「大妖狐に噛まれたのだ。まずその穢れを祓わねば何をしても死ぬ。大賀見雪彦、お前も術者の端くれならそのくらい気付け!」
「なっ……!」
雪華が慌てて後部座席のドアを開いて友哉の様子を見ると、悔しそうな顔で女を振り返った。
「状況を理解したか、大賀見雪彦!」
どや顔で女が問いかける。
『なに? どういうこと? 友哉は?』
「かなり悪い……。あきら、なぜ友哉君を噛んだ」
『道連れにしようと思ったから』
正直に言うと、雪華は俺を睨んでから女に向き直った。
「あなたなら救えるのか」
「救える! この蓮杖ハルになら救える!」
女は断言して近づいて来る。
雪華は気圧されたように道を譲ったが、俺はその前に立ちふさがった。
女が不遜な顔で俺を見上げてくる。
「どきなさい、久豆葉あきら」
『お前に友哉は渡さない』
「倉橋友哉が死んでもか」
『たとえ死ぬとしても渡さない』
「あきら! 友哉君のためだ!」
雪華が横から俺の体にすがりついてくる。
『友哉は俺のものだよ。他の誰かに取られるくらいなら、頭からバリバリ噛み砕いて食べてやる』
「あきら! お願いだ!」
『お願いはこの女にしたら? おかしな交換条件を撤回しろって』
女が俺を見上げ、睨みつけてくる。
「ケダモノめが!」
『ケダモノだよ。だから、人間みたいな考え方はしない。俺は何があっても友哉を手放さない』
女はぎりっと唇を噛んだ。アーモンド形の目が俺と友哉の間を揺れ動き、切れた唇から血が垂れてくる。
「蓮杖さん、お願いだ。友哉君には何の罪もない。友哉君を助けてくれ」
雪華の哀れな声の懇願に、女は目を閉じて眉根を寄せる。
やがて、諦めたように大きく息を吐いた。
「分かった……」
女は姿勢を正し、俺に頭を下げた。
「私に倉橋友哉を寄越せという交換条件は撤回する。こんなにきれいな魂の持ち主をむざむざと死なせたくないのだ。頼む、私に彼を助けさせてくれ。倉橋友哉を救わせてくれ」
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