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7-(1) 約束
知らない人について行ってはいけません。
家でも、幼稚園でも、近所の公園でも、知っている大人が口をそろえて警告を発する時期があった。俺が4歳か5歳、幼稚園の年中さんだった頃の話だ。
それは、漠然とした架空の犯罪者から子供を守るための決まり文句ではなく、具体的な被害から子供を守るための切迫した警告だった。
御前幼稚園の年中ひまわり組に通っていた俺は、れんくんが中学生のお姉ちゃんから聞いたという話を怖がりながらも興味津々で聞いていた。れんくんには年の離れたお姉ちゃんがいて、ひまわり組の誰よりも世の中のことを知っていたからだ。
最近、たった数週間の間に、御前市内のほかの幼稚園に通う子供が、立て続けに野犬の被害にあっていると、れんくんのお姉ちゃんは学校の先輩から聞いてきた。噛まれて怪我をした子は一様に、『幼稚園に知らない綺麗な女の人が来て、一緒についてくるように言った。ついて行ったら綺麗な子供がいて、その子と遊んでいたら犬に噛まれた』と証言したらしい。
でも、野犬に噛まれた子供以外は、誰もその女の人を見ていないし、防犯カメラにもそれらしき女性は映っていなかったそうだ。
『その女はきっとオオカミツキの家の者だ』『あそこの家には誰も手が出せない』『きっとこの先も被害は続くだろう』と、大人がこそこそと話していたのをれんくんのお姉ちゃんの先輩は聞いている。
伝聞の伝聞に信憑性は無いと思うが、その頃の俺は大人みたいに話すれんくんを尊敬していて、その日もれんくんの話を夢中になって聞いていた。れんくんはお姉ちゃんの真似をして難しい言葉もたくさん知っていたのだ。
「おおかみつきってなぁに?」
れんくんに聞いてみたけど、物知りのれんくんもそれはよく分かっていなかった。
「お姉ちゃんは、多分一番美味しい餌を探しているんだって言ってたよ」
「えさ?」
「うん、その女の人は子供を食べる化け物なんだって」
「ええ、たべられちゃうの?」
「今までに噛まれた子供達は、みんなひとくち味見してみて、ぜんぜん美味しくなかったから無事だったんだって。でも、もしも美味しい子がいたら、頭からぜーんぶ食べられちゃうんだって」
「うう、こわい」
「だから、どんなに綺麗な人が呼んでも簡単について行っちゃダメなんだって」
「うん、わかったぁ。ついていかない!」
返事だけは元気よくしたのだが、俺は大人達の警告もれんくんの忠告も忘れて、あっさりと女の人について行ってしまう。れんくんとその話をした次の日のことだった。
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