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食堂には俺が入って来たのとは別に大きな扉があり、勢いよく両手で開け放つとそこには大階段があった。磨かれたように艶々とした木の柱が四本立っていて、くねくねした蔓が彫刻された手すりが左右対称に上まで続いている。
「友哉、どこだ! 友哉!」
俺の叫び声が階段の上までわんわんと響き、すぐに静まり返る。だが、ひそひそと話す声やくすくすと笑う声が、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
俺の目には霊もあやかしも見えるはずなのに、この家の中では気配だけしか感じられなくて気味が悪い。
階段を上るかどうか迷ったが、まだ奥に見ていない部屋があるので、俺はまず奥へと向かった。
三つ又になった葉っぱが浮き彫りされたドアを開けると、そこは女性の支度部屋のようだった。繊細な形のガラス瓶が並んでいる三枚鏡のドレッサーと、臙脂色のクラシックな革張りのソファがあり、蔦模様のハンガーラックには数々のドレスが掛けられている。フランス窓のように人の出入りできそうな大きな窓があるが、厚いカーテンが閉められていて室内は暗かった。
やはり誰もいないので引き返して階段へ向かおうかと思った時、かすかに歌声が聞こえてきてハッとした。
それはまったく聞き覚えの無い古い歌謡曲のようなメロディーだったが、歌っている声は俺のよく知っている少年の声だった。
「友哉……」
焦燥感でずっと息苦しかった胸が、声を聞いただけでほわりと温かくなり、肺の奥から空気が吐き出されてくる。
はぁーっと長い長い安堵のため息を吐いてから、 俺は急いでフランス窓のところまで行ってカーテンを開いた。
誰だよ、食べられたなんて言ったのは。
ちゃんと生きているし、上機嫌で歌っているじゃないか。
「とも……」
声をかけようとして、俺は途惑った。
友哉はいる。
すぐそこにいる。
燦燦と注ぐ陽光を浴びながら、猫足のバスタブに体を沈めて、うっとりと目を閉じて鼻歌を口ずさんでいる。
けれど、そこにいる友哉は、まったく友哉らしくなかった。
その細い手を持って丁寧に爪を磨いているのは人間ではなかった。その華奢な足を持って踵を優しくこすっているのは、影のように存在の薄いものだった。その伸びかけた髪を櫛で梳きながらオイルをもみ込んでいる影も、その傍らにタオルを持つ影も、派手なガウンを持って控えている影も、俺には顔が見えなかった。
集中して目を凝らすと、影が着ている服は見えた。神職が着るような白っぽい着物だ。でも、その顔はどの角度から見ても暗くぼやけてみることは出来なかった。
友哉は当然のような顔をして、人ではない影どもに傅かれている。
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