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ホッとする暇もなく、すぐにやつは別の窓の前に現れて、手のひらをバシンとぶつけてきた。
俺がギクッとするのを楽しむように、そいつは半分笑うような顔をしてこっちを見てくる。
狼が噛みつく。やつは消える。でもまた違う場所に現れる。いたちごっこだ。
「あけてー、あけてー、あけてー」
バシン、バシン、バシン……力はたいして強くないが、とにかくしつこい。
「だめだ……狼でも追い払えない」
「結界は、張れないな」
「うん」
俺がそばにいると、友哉は四季の結界をはれない。離れるには車のドアを開けなくてはならないが、その瞬間に奴は入ってくる。
「とりあえずドアを開けなければ入っては来られないみたいだし、本物のハルが来るまで車内に籠城するしかないかも」
「あーけーてー」
ハルの姿は少しずつ崩れて、目はつりあがり、口も裂けるように大きくなっていく。
執拗に叩き続けるやつの手のひらが破けて、次第に血が滲んでくる。人間なら痛みで叩くのをやめるだろうが、奴は人間じゃない。窓にいくつも赤い手形がついていく。
まるでホラー映画だ。
友哉には見えていないというのが救いだけれど、車体を叩く音だけはずっと聞こえているようで、奴の動きに合わせて首を巡らせている。
「琥珀! つゆくさ!」
式狼をさらに増やす。だが、俺の狼がいくら噛んでも、噛んでも、噛んでも、やつはパサリと消えてはすぐに復活して、車のまわりをぐるぐるとまわり続ける。
「あけてー、あけてー、あけてよー」
ハルの偽物はボンネットにまで登って来て叫び続け、叩き続ける。血の手形でガラスが埋まり、周りが少しずつ見えなくなっていく。手形の隙間からこちらを除く目が、常にぎょろぎょろと友哉をとらえている。
「なんだよこれ、すげぇ気持ち悪い……」
「他に一台も車が通らないな」
友哉がぼそりと言った。見えなくても、音で分かるのだろう。
ガラスが血で汚れ、奴の顔はもう見えない。でも、窓を叩く手はいつのまにか幼い子供のものになっていて、あけてーと叫ぶ声もハルの声から子供の声に変わっている。
窓を叩く手が、そして気味の悪い子供の声が、一人から二人、二人から三人と次第に増殖していく。右からも左からも、前からも後ろからも、同時にバシバシと音が聞こえてくる。
「もうとっくに、幻覚の中に閉じ込められていたりして」
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