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友哉は少し体を起こして、手探りで俺の顔に触れて来た。指先が頬に触れて、ちょっと驚いたように友哉の目が開かれる。
「……泣いているのか」
言われるまで、自分が涙を流している事に気付いていなかった。
「お兄ちゃん……おまじないして」
「よっし、まかせろ」
友哉の指先が俺の額に当てられる。
友哉自身は気付いてはいないだろう。血まみれのガラスに囲まれた薄暗い車の中で、友哉だけがうっすらと発光していることを。
友哉は笑顔で、子供向けのかわいいおまじないを唱えた。
「バクさん、バクさん、悪い夢を食べてください」
トントントンと友哉の指が俺のおでこを優しく叩く。
じわっとそこから温かくなる。
窓をひっかく音が止まった。
偽物はきょとんとして自分の手を見下ろす。その体のすべての傷が、魔法をかけたみたいに強制的に癒えていく。首から流れる血も、爪がはがれかけた指も逆再生するように治っていく。
途惑った目で、偽物は俺を見てきた。
うん、これは途惑うよな。すごくよく分かる。
友哉は恐怖と疑心暗鬼まみれの怪談をむりやり青春ドラマに変えちゃうし、逃げ場のないホラーな世界の中にむりやり童話の世界を割り込ませてきちゃうんだ。
しかも、すべて無意識に。
だって、怪談もホラーな事象も友哉の目には見えていないから。
「もう一回、おまじないして、友哉」
「うん。バクさん、バクさん、あきらの悪い夢を全部食べてください」
額の上でまたトントントンと友哉の指が動く。
窓の外の偽物はすっかり健康的な姿で太陽の光を浴びていた。俺の顔を見ると、ふっと一瞬だけ笑顔になって夏の日差しに溶けるようにすぅっと消えていった。
「まじで、消えた」
「バクさんは最強だからな」
俺はぷっと小さく噴き出した。
友哉もくすくすと笑いだした。
派手な呪文も、大掛かりな祈祷も、霊力のぶつかり合いも必要なかった。
俺の悪夢を祓うのは、いつだって友哉だ。
ただ、美しい絵本のページをめくるように、すんなりと世界は晴れていた。
助手席側の窓がコンコンと鳴る。
「久豆葉あきら、倉橋友哉、もう大丈夫だ。迎えに来たぞ」
いつも通りに偉そうな口調で、蓮杖ハルの声が聞こえて来た。
「ハルさん!」
友哉が嬉しそうに答えた。
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