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あきらはうちのキッチンの食器の場所も把握しているので、いつも使うカップをふたつ用意しながら、クラスメイトの失敗談なんかを楽しそうに話し始めた。
高校に入学して俺とクラスが別になった時には、この世の終わりみたいな顔をしていたくせに、もうすでに何人も友人が出来ているらしい。あきらは無自覚に人たらしだ。関わる誰もがあきらを好きになる。俺ももちろん、例外ではないけれど。
「でさー、ミコッチはアホだから話に夢中になって女子にくっついて体育前の教室に入って行っちゃって」
「まじ?」
「まじまじ。それで、キャー痴漢!って着替え中の女子達に騒がれると思うでしょ?」
「違うのか?」
「違うの。あ、ごめんねで許されちゃうの。ミコッチは特別なの」
「なんで?」
少しするとコーヒーメーカーからこぽこぽと音がしはじめ、香ばしい匂いがキッチン中に広がっていく。俺はあきらの話に相槌を打ちながら、用意されたふたつのマグカップに淹れ立てのコーヒーを注ぎ、そのひとつだけにミルクと角砂糖を三個ぶち込んだ。
「あのね、ミコッチにはお姉さんが二人いて、妹も一人いて、しかも姉妹全員がミコッチと仲良しで、ミコッチは女子の色んなことに知識があるんだって。それでね、クラスの女子から相談も受けていたりするんだって」
「それは……すごいな」
俺なんて小学校でも中学校でもほとんど女子と話をしたことが無いのに。
みんなあきらを好きになるから、俺は邪魔ものみたいによく睨まれていた。高校に入ってもそれは変わっていない。
「だよね、すごいよね。ミコッチにはそーゆー武勇伝がいっぱいあって……あ、もう一個入れて」
「糖尿になるぞ」
「このくらいでならないって。俺、普段の食事はすげぇ質素だもん」
「そっか」
あきらには父親がおらず、母親はあきらが5歳の頃に失踪した。今の保護者は叔母なのだが、経済的にギリギリの生活をしているらしい。
俺は複雑な気持ちでもうひとつ角砂糖をぽちょんと落とし、マグカップを差し出す。あきらは嬉しそうに受け取って、スプーンでカチャカチャかき回しながら、マグカップにふーふーと息を吹きかる。
「今日おばちゃんは?」
「多分パート」
「そっか」
あきらは俺の母さんを『おばちゃん』、自分の保護者である叔母を『早苗さん』と呼ぶ。その呼び方に距離感がうかがえるが、深く突っ込んで家庭内のことを聞いてみたことはない。俺も何度か会ったことがあるが、あきらの叔母の早苗は顔が綺麗なのにあまり印象に残らない感じの、影の薄い女性だった。
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