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経済的余裕。
両親の言っていたその言葉の意味がよく分かった土曜日だった。
父さんの書斎だった部屋には、もとからあった机と本棚のほかに新しいベッドと新しいタンスが置かれ、もちろん新しいテレビとパソコンも用意された。
それから着替えとこまごまとした生活用品、それとスマートフォンまで買いそろえて、二人はあきらをうちに迎え入れた。
子供がひとり増えるって、けっこう物入りだ。
『俺達はもう大人だ』発言は、あきらを落ち着かせるために言ったものだったけど、両親に聞かれていなくて良かったと思う。実際に俺達はまだまだ親の世話になっている。
「ここ、俺の部屋?」
キラキラと目を輝かせるあきらに、父さんと母さんは嬉しそうにうなずく。
「足りないものがあったら遠慮なく言うんだよ」
「そうよ、あきら君はうちの子なんだからね」
両親はそう言ったが、あきらは正式には倉橋家の養子にならなかった。消えた母親が戻ってきた時に、母親と同じ姓の『久豆葉あきら』のままで会いたいと本人が望んだからだ。
あきらが母親への想いを口にするのを、俺はその時初めて聞いた。
失踪して10年以上連絡のひとつも寄越さない母親なのに、あきらは当然のように再会を信じている……。
同情と憤りとやるせなさを感じたけれど、俺は何も言わなかった。何を言ってもあきらを傷付けてしまいそうで、うまい言葉が見つけられなかったからだ。
俺は子供の頃にたった一度だけ、あきらの母親に会ったことがある。癖のないまっすぐな黒髪をなびかせた気の強そうな美人だった。俺は彼女と何か約束をした気がするんだけど、どこで会ってどんな話をしたのかはさっぱり覚えていない。黒々とした深い色の瞳が俺を見つめていたことだけが、強く印象に残っていた。
「おじちゃん、おばちゃん、ありがとう」
あきらは瞳を潤ませて、父さんと母さんに抱きついた。二人とも感極まったような顔をして、ひしっとあきらを抱きしめた。
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