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人斬りの夜
男の持つ刃の陰影は、夜空に浮かぶ満月を真っ二つに分断している。鬼のお面をまとった奇人は大きな刃を肩にかけるように持っている。
上半身裸にて廃れた、きっと歴史の流れと共に誰も使わなくなったであろう門の瓦の上に、デデンと座る、その男。刃というのはおっかない。さらに、鬼の面をかけた男の持つ刃というのはおっかない。とても恐くもあり、美しくもあろう。さらには、はかなくもあろうね。そんな刃。透き通った透き通った、まるで何物も斬ったことがないような美しい刃を男は有している。そんな絵。
※
何故、わしに近付くのか? 愚かであるのか? ここが人斬りの住処であることなどこの近隣に住む者なら知っておろうに。わしの、この長い刀が見えぬか? 過去、何人も何人も人を斬ってきた。数多の者を傷つけてきた。そのわしが怖かろう? なのになぜ逃げぬ? お主はなぜ逃げぬ? この人斬りからなぜ逃げぬ? この門からおりて、お主を叩き斬るぞ? ほら逃げろ。
ふむ、逃げもせぬのだな。 変わった阿保だ。きっと長生きはできるまい。ふふふ、雲一つない夜空だな。綺麗すぎて泣いてしまいそうだ。ふふ、綺麗な夜空は残酷だ。雲を一つだけでも渇望するわしはわがままなのだろうかな? やれ、アマガエルの鳴く声のうるさく、そして、セミの鳴く声のうるさい夜だ。なぜ、こんな夜更けにこの辺鄙な場所にあるこの門まで来たのだ? 戦乱の音が耳障りな夜だな。ああ、この戦乱から逃げてきたのか。そしてここまでたどり着いたのだな。ああ、とてもきれいな月夜も濁ってきたような気がするなぁ。
だが、お主は運がない。戦乱から逃げてたどり着いたのが、この人斬りの鬼の住処であったとはな。かっかっかっかっか。運の無い者じゃな。だが、少しだけは運がある。今日は戦乱がうるさくあるが、月夜の綺麗な夜だ。こんな夜はわしも気まぐれに人を斬りたくなくなってしまうというものだ。だから、お主は運が良い。本来なら、わしに出会った瞬間、真っ二つになるところ、わしの気分一つで生き永らえた。かっかっかっかっか。ほんに良かったのう。だから、行け。戦乱がなく、さらにわしのおらぬところに行け。さっさと行け。わしの気が変わらぬうちにな。
ああ、ああ、ああ、ああ、何故行かぬ? 何故わしを見るのだ? 何故だ? 残っているのであれば気が変わったわしに叩き斬られるということぞよ? なぜ逃げぬ? なぜ逃げぬのだ?
かっかっかっかっか。お主は面白いな。わしを恐れぬか。それも良い。いや、それこそ正解なのかも知れぬな。かっかっかっか。わしは恐くないだろうな。こんな立派な刀をまとい、さらに鬼の面をかぶってもまだ、わしは恐くないのだろう。何故かわかるか? 人斬りを名乗るわしは人を斬ったことがないからじゃろうて。ああ、そうじゃ。一度も、斬ったことがないよ。何故か? 不思議なことを聞く者じゃ。斬られたら嫌じゃろう? だからわしは人を斬らぬのだ。当たり前のことだ。本に当たり前のことだ。ならば何故、こんな格好をしているのかって? 傷つけられたくないからだな。ふむ? なぜそんな怪訝そうな顔をする? わしは人に傷つけられたくない真の臆病者なのだ。だからこそ、この格好をしている。この格好をしている限り、人間はわしに近付いてこぬ。もっとも、お主のような恐怖心の欠如した輩以外だがな。
いや、お主は優しいのだろうな。だから、わしの姿を見ても臆さぬのだろうな。人間は己の姿を投影させて他人を見る。とても心清らかなお主は、わしが鬼の面をかぶり、この刀を持ったとて、まだ優しく見えたのだろうな。かっかっかっかっか。とてもかわいそうになぁ。きっと、お主の今生は苦しいであろうな。その優しすぎる性根ゆえに騙されてきただろう。かっかっかっかっか、お互い、運がなかったと思おうじゃないか。
火薬と血の匂いが鼻につく。きっと、今日は人が多く死んだ夜であろう。人があまりに多く死に、それを弔う坊主が間に合わなくなると、その死はひっくるめて一つの歴史となり、後世に語り継がれるようになる。今日は、一つの歴史となる夜であろう。だが、とても悲しい歴史だ。忘れてはならぬ歴史であるよ。どちらの軍が勝った負けたではなく、人が多く死んだという歴史だ。これほど悲しきことはないよなぁ。
もうじき、この門にも戦火が向かってきそうだ。逃げようか。この鬼の面を被り刀を持つことで、常人はわしを避けるようになった。だが、戦争で狂った常人はきっとわしを見て一層その闘争心を掻きたてよるだろう。行こうか。この門はなかなかに気に入っていたのだが致し方あるまいな。命あっての物種であろうよ。かっかっかっかっか。この世はかくも苦しいなぁ。ああ、かくも苦しいなぁ。きっと、わしは、いや、わしとお主は、優しすぎたのであろうな。残念なことだ。ひどくお主もわしも運が悪いな、かっかっかっかっかっかっかっか。
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