リデンブロック教授の帰宅

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リデンブロック教授の帰宅

銀河歴一八六三年春の二十日、私の叔父のリデンブロック教授は、惑星ハウラベンの最も古い町、ケルビック街十九番地にある小さな家に、あたふたと帰ってきた。 甥である私は、十年前に亡くなった叔母の代わりに食事の仕込みをしていたので、日照時間が長くなったのかと思ったのだ。この惑星、ハウラベンは奇怪な軌道に乗っているので珍しくも無いのだが、前回の軌道変動は昨年だったのだ。 活火山のように気難しく、普段は冷静だが怒りだすとなかなか止まらぬ教授に言い訳をするのは、私のような少し気弱な性格には向かないだろう。しかし、この小さな家にいる教授以外の生物は私しかいない。 「アクセル、上がってきなさい」 腹をくくった私が動きだすより前に教授は大声で階段を上った先、書斎から顔を覗かせていた。顔といっても、私のような人間の顔の上にペストマスクと呼ばれていたマスクを被っていたので、地球カラスのように鋭い鼻先をこちらへ向けていたのだった。 マスクの丸いグラスの向こうから、蒼い瞳が微かに見える。ペストマスクとふさふさの金髪、ピンと反った高い背によってかなり若く見えるが、実際は五十を超えている。並みの人間であれば寿命まで二十年であるのだが、教授はその限りではなさそうだ。ざっとまとめると、長生きしそうな古典的ゲルマン人の男である。 オットー=リデンブロック教授は、孤児の私の叔父であり、銀河系でも珍しい地球学の数少ない教授である。かつて栄えた人類の星は、今や近寄る者も、生物もいない死んだ星になっていた。我々人類は数千年前に宇宙の方舟によって人口爆発寸前の地球から散り散りに分かれ、現在まで生き延びている。宇宙、銀河の研究が進むにつれ他の種族、つまりは宇宙人とも接触するようになり人類と共に歴史を紡いできた。 人類の歴史から薄れかけていた地球。その星に再び着目したのは若きリデンブロック教授と、その兄である亡き我が父ハンスであった。 彼らは地図から消された星を探すために、現在では珍しい『本』と呼ばれる資料の媒体を集め、多くの知識と古代言語を身につけた。しかしある日、ハンスはいつものように訪れた惑星ポート・アロナクスで殺害された。身の危険を感じた教授は、自身の妻と娘、孤児となった幼い私を連れ、水の惑星アクアのニモ博士が地球学を称えるまで、この惑星ハウラベンでひっそりと研究を続けていたのだ。 叔父は、地球学という珍しい近代学問の教授であるがため、教授の中でも比較的貧しい身であった。しかし、かけがえのない宝を持っていた。それは今年十七歳になる娘、グラウベンである。 私は孤児であったが、叔父から教えてもらう地球の話でちっとも寂しくはなかった。 要するに、先程から催促している主人はせっかちであるが、悪い人間ではないのだ。そんな彼を私は尊敬している。もちろん、二階の書斎で大きく貧乏ゆすりをしないのであればそれに越したことはない。 私は、急いで叔父の待つ書斎へと赴いた。
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