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地底旅行
整えられた道は、一本道だった。この不自然な道を、リデンブロック教授は「観光地だったのではないか」と仮説を立てながら歩く。私は地下に向かえば向かうほどマグマに近付き、バルケニアのときのような目に遭うのではないかと怯えていた。その背を押すのはヨースである。ランタンで彼を照らすと、目を輝かせていた。H.A.N.Sは先頭で暗闇を水色の光で切り裂いている。迷いのない彼の足取りに、不安を覚えていた。
どれほど歩いただろうか。突然、壁からチョロチョロと水の流れる音が聞こえた。足元を見ると、小さな川のような水の流れが先に続いている。喉が渇いていた私は壁を流れる水を右手で掬い、口にした。鉄の味が口いっぱいに広がり、喉を潤す。この水でコーヒーを淹れたら一体どんな味になるだろうか。
「叔父さん、この水を汲んでも良いでしょうか?」
私が空の水筒を取り出すと、叔父は「そうだな。水分の確保は重要になるだろう」と、許可した。
いっぱいになるほど汲んだこの水筒は、命の水だ。私が肌身離さず持つことにした。
しばらく道なりに沿って進んだ。代わり映えのない整備された道が、突然誰の手も入っていないような自然の洞窟へと変化したのだ。私は思わず振り返る。すると、今まで歩いてきた道までも自然へと戻っていた!ついてきていたはずのヨースも消えている。足元を流れていた水もだ。
「叔父さん!」
前を向き直す。前を歩いていたH.A.N.Sや叔父までも消えている!なんてことだ!私は走った。一本だったはずの道が幾つにも分かれて私を惑わす。躊躇っていると、真ん中の道から鈴のような音色が聞こえてきた。ああ、きっと叔父が鳴らしてくれているのだろう!そう思った私は、真ん中の道を走り出した。しかし、走れど走れど叔父のランタンの灯りは現れない。そればかりか、道はどんどん狭くなり、遂に途絶えた。それでも、鈴の音は壁の向こうから聞こえる。
不安と恐怖がどっと押し寄せてくる。それはまるで、バルケニアのマグマのようにゆっくりと。しかし、確実に私を飲み込んだ。
「叔父さん!H.A.N.S!ヨース!」
私は彼らの名前を叫び、壁を叩き続けた。足元に置いたランタンの灯りが消えていたことに気付いたのは、右手が濡れていることに気付いた後のことである。
私の心の糸がぷつりと切れた。私は狂った。右も左も分からないまま、走り出した。頭をぶつけようが、転けようが、私は走り続けた。その様は、恐怖にピアノ線で操られていたかのようだった。体を強く打ちつけ、岩が肌を切りつける。痛みが走るが、止まれない。そのうち、私は倒れた。
暗闇の中、誰かの手が私の頭を撫でる。グラウベンのように優しいその手は私を軽々と持ち上げた。動けなくなった私を抱きしめると、背中を指先で軽く叩く。
「会いたかったよ、アクセル」
それは、父の声だった。暗闇にかき消され、顔が見えない。だが、私にとって見た目などどうでも良かった。父だ。父が迎えにきてくれたのだ。
「お父さん。ぼく、地球に辿り着いたんだよ」
私は自分の声に驚いた。この声は、幼い日の私のものだ。父の首元にしがみつくと、自分の手の小ささに再び驚く。
「今日も冒険したんだね。父さんも地球に行きたいな」
その声は笑っていた。私は、ふと思い出した。父が亡くなる前、幼星学園の帰りにこんな話をしたっけ。懐かしい。
昔の記憶が、不安と恐怖を押し流す。私は、心地よい眠りについた。
目を覚ますと、柔らかな日差しと風が私の髪をなびかせた。ちくりと痛む額に右手をあてると、包帯が巻かれている。その右手にも巻かれていた。
「やっと起きたか、アクセル」
叔父が日の差す先から現れる。すると、枕だと思っていたものが蠢いたので思わず触れてみる。それはヨースのたぷたぷのお腹だった。
「にゃあ」と甘えた声をあげると、私の顔を大きなザラザラの舌で舐める。
「しかし驚いたな。巨大水晶を眺めていた時、突然正気を失って走り出したのだぞ」
「なんですって?私は叔父さんたちが突然消えたので探していたはずなのですが」
(様子がおかしいぞ)と、私が首を傾げる。叔父は「頭を打って混乱してるのではないか」と、私を寝かせた。
私たちの声を聞いていたH.A.N.Sが岩陰から現れた。
「慟哭の間」
それだけ言うと、私の横に立った。なるほど。私に記憶はないが、その水晶の間は『慟哭の間』と呼ばれているらしい。私が再び眠ろうとすると爽やかな風が吹いた。
「ここは外ですか?風が心地よいです」
その言葉を聞いた叔父は首を横に振る。「ここは外ではない。地球の中心なのだ!」と声高々に語った。
「では、アルネ=サクヌッセンムの示した場所は……」
「そう、ここだ」
「ヤー」と、H.A.N.Sが元気良く応えた。
H.A.N.Sが我々を連れてきたかった場所。ここにはどんな秘密があるのだろうか。私は胸の高鳴りとともに、今までの謎を思い返していた。
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