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トランクを持て
叔父は、翌日ポート・アロナクスへ出ると言った。ただ、我が父の事件のこともある。地球学が認められるようになり時代は大きく変わったのだろうが、用心するに越したことはない。
「さあ、準備だ!行き先の目星は付いている。トランクに荷物を詰め込め!」
リデンブロック教授の興味を止められる者は、もう誰もいない。私は素直に、トランクを物置から取り出すと、厚く被った埃を払った。本当はトランクではなく圧縮チップに入れたいところなのだが、叔父が階段から飛び降りた衝撃で、H.A.N.Sを保存していた圧縮チップは折れてしまったのだ。それすなわち、必要最低限のものしか持ち運べない、ということだ。
ただ、悪いことばかりではない。不便さというものは、昔の人類と同じ道を辿るという意味でも重要なことなのだ。私はそう自分に言い聞かせながら、トランクに数枚のシャツと下着、日記、ペン、コンパス、父が遺したヴィンテージ品の電気銃を詰め込むと、蓋を閉じ、体とともにベッドへ放り込んだ。
翌日早朝、書斎の横の小さな私の部屋に一人で佇んでいると、「アクセル」と背後から機械音声が流れた。H.A.N.Sである。H.A.N.Sは上半身だけ反対を向いており、何やら隠しているようだった。私が彼に近寄ると、隠していたものを見せた。それは、グラウベンだった。
「いつもならまだ眠っている時間じゃないか」
「H.A.N.Sに起こしてもらったのよ。アクセル、あなたと目の前で会って記憶に残したくて」
ホログラムキネトスコープで会えるとはいえ、このあたたかな指に、頬に触れることができなくなるのはとても寂しい。私は、まだ眠たげな瞳に微笑んだ。「大丈夫さ。また必ず帰ってくるから」と。
グラウベンはH.A.N.Sの腕から降り、床に足をつけると私に抱きついた。
「このぬくもり、また抱きしめるまで忘れないわ」
「私もだ。グラウベン」
その時、階段の下からリデンブロック教授の大声が響いた。宇宙一せっかちであろう叔父は、出発時刻まで待てなかった。彼はH.A.N.Sがゆっくりと階段を降りる様を足をふみ鳴らしながら見ている。娘であるグラウベンに「ではな」とだけ告げると、甥の私を待たずに車に乗り込むと、思い出したかのように私の名前を叫んだ。
「いってらっしゃい、アクセル。帰ってきたときは、あなたの妻として出迎えます」
「ああ、行ってくるよ」
愛しのグラウベン。必ずまたここに帰ってきて、彼女に幸せな笑顔を浮かべてもらいたい。そして強く抱きしめて、おかえりなさいと言ってほしい。そう、強く願う。
少しだけ重いトランクの持ち手を握りしめると、私は叔父の待つ車へと乗り込んだ。
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