惑星ヨウスド

1/1
前へ
/23ページ
次へ

惑星ヨウスド

リデンブロック教授の操縦は、お世辞でも上手いとは言えなかった。目は回り、胃の中がぐちゃぐちゃなった気がする。宇宙船の操縦は、近年では完全自動化されているが、このノーティラスにそんな機能は付いていない。ほとんど副操縦席の私が、無免許ながら操縦していた。ロボットの旧型、オートマタのH.A.N.Sが補佐で入ってくれなければ、私は捕まっていただろう。 H.A.N.Sの操縦の腕は大したものだった。旧型とはいえ、流石地球の発展を担ったオートマタだ。最初はぎごちなかったものの、途中から何かを思い出したかのように叔父の操縦桿を握っていた。 そして、なんとか惑星ヨウスドの輸送経路に乗り、我々は正規港の裏へとたどり着いたのだった。 生い茂る一面の緑。宙は水色に近く、雲も流れている。こんなに緑が広がっている様を見たのは初めてだ。地球の環境にとても近いのではないか、私はそう思った。 「さあ、H.A.N.S。何か思い出したかね」 せっかちな叔父は大地に降り立った瞬間、H.A.N.Sに声をかける。惑星ヨウスドの美しい景色も、空気も彼には興味の対象ではないらしい。そもそも、この星には何度も訪れたことがあるらしいので、この反応でもおかしくはないのだが。それでも一息はつくべきだ。ノーティラスに揺られた私の神経は落ち着く余裕がなかった。 「ネイ」 H.A.N.Sは一言、『いいえ』と答えると宙を仰ぐ。腕を広げて排気をすると、心地好さそうに遮光レンズを閉じた。真似するように私も腕を広げ深く息を吸うと、新鮮な空気が鼻孔を、肺を通り抜けていった。深呼吸と呼ばれる行為を我々は知らなかったのだが、H.A.N.Sはオートマタながら知っていた。遥か昔に地球の人間から教わった行為だと私は考える。 「叔父さん、あの低い山まで歩いてみましょう。あそこから見渡せば、彼も何か思い出すかもしれません」 視界に映った山を指差す。惑星ハウラベンにある禿山よりも多少高いのだが、見渡すなら絶好の場所だと思ったのだ。足腰に不安はあるが、まずは実行してみるのが一番ではないか、と考えた。 斜面に足を延ばすと、大地を踏みしめる感覚が足の裏に響く。シソウスギの幹に触れると、惑星ヨウスドと一体になったかのようだ。ふと宙を見上げると、緑の羽を持つ固有鳥ケタルコアルトが群れをなして飛んでいる。ああ、地球でもこのような光景が広がっていたのだろう。私の地球への憧れは強くなるばかりであった。 山の頂上にたどり着いたのは一時間後のことであった。叔父やH.A.N.Sはこの環境に慣れているのか、ずんずん進んでいく。私の目に映る光景は、あまりにも美しく、興味をそそるものばかりであった。山の中腹で息をあげる私を、H.A.N.Sは担いでくれた。「ありがとう」と声をかけると、「マハト ニヒツ」と、先を見つめながら応えた。 山頂からの眺めは、それはもう言葉では言い表せなかった。遠くで大きな川が、滝が、飛沫をあげて命の水を運んでいく。惑星ハウラベンの生活用水は地下水脈のものがほとんどである。川らしき川は初めて見た。 「H.A.N.Sも、こんな光景を見たことあるのかな」 私がそう呟くと、H.A.N.Sは考えるように遮光レンズを閉じた。 「ふむ。H.A.N.Sの反応は想像よりも悪いな。原生生物の多く住むヨウスドとは記憶のイメージが違うのか、それとも……」 リデンブロック教授も深く考え込む。私は立っているのが辛くなり、大地に身を委ねるように仰向けに寝転んだ。耳をすますと、ケタルコアルトの鳴き声、雫の滴る音、大地を踏み鳴らす音、けたたましい嗎。 (最後の音はなんだろう)と、私は思った。 はっと上体を起こすと、マスクの下で顔色を変えた叔父がこちらに腕を伸ばす。 「大型の奇蹄目、ガゼラの縄張りだったようだ!地球のライオンよりも獰猛で我々には手に負えん!」 「哺乳綱、奇蹄目、ウマ科、ウマ属、亜属不明」 H.A.N.Sが指差す先から地響きが聞こえた。急いで逃げなくては!私たちは一目散に川とは逆の方向に向かって走り、下山し始めた。遠回りになるが、逆の方向に走ったのはガゼラが水を飲みに川へ向かう可能性があったからだ。叔父は見事に足から滑り降りたが、山に慣れていない私は、転がり落ちるように中腹まで降りた。 山頂を見上げると、大型の影が伸びているのが分かった。体高は二mは超えるだろうか。群れのリーダーらしき雄の太く鋭い角が宙の光に反射し、その存在感を示しているようだった。通常は主にウシ科に生える角だが、進化の過程でウマ科であるガゼラにも生えるようになったらしい。雑食の彼らは、大型では珍しくしなやかな体と、強靭な顎を持つのだ。 何も武器を持たぬ我々には勝てぬ相手、ガゼラが視界から消えるのをただ待ち続けた。 何十分待っただろうか。あちらは我々を探すのを諦めたようで、群れごと川の方面へ向かった。 「こんな時でなければ調査をしたかったものだ」と、少し残念そうに肩を落とす叔父を横目に、私は胸を撫で下ろした。 一度、宇宙船ノーティラスで休憩をしようと着陸地点へ向かう。そこで目にしたものは、なんとも残酷なものだった。 小型の肉食動物、ジャネックの群れが襲われた跡が残っていたのだ。ガゼラに襲われたのだろう。肉が食いちぎられ、骨が露呈しているものがほとんどだった。 「哺乳綱、食肉目、ネコ科、属不明」 H.A.N.Sは一点を見つめ、音声を流す。その先に叔父が向かうと、ひょいと小さな子供をつまみ上げた。 「まだ生きているぞ」 私は駆け寄り、心臓に耳を当てた。おお、まだ生きている! 「どうします?このまま放っておけば、またガゼラに襲われます」 叔父は「自然に任せるのみ」と一言呟くと、近くに停めてあるノーティラスに乗り込んだ。ノーティラスは光学迷彩で隠れていたので無事だったのだが、私は子ジャネックのことが気がかりだった。 「H.A.N.S、何か思い出したかね」 叔父が船内でコーヒーを飲みながら尋ねる。 「にゃあ」 その声に驚いた我々は、思わず口に含んでいたコーヒーを噴き出した。H.A.N.Sの肩の収納部分に、なんとさっきの子ジャネックがいるではないか! 「H.A.N.S、もしかして連れてきたのかい?」 私が尋ねると、彼は首を縦に振り肯定した。なんと、なんと人間らしいオートマタなのだろう。私は、何もしてやらなかった自分の行動を悔いた。子ジャネックに指を伸ばすと、彼は鼻をふんふんと鳴らし匂いを嗅いだ。私に敵意がないことを確認すると、喉をゴロゴロと鳴らして指を頬に持っていく。 なんて可愛らしいのだろう。 「叔父さん、彼を今回の旅に連れてはだめですか?」 叔父は「自分で考えろ」と言わんばかりにそっぽを向いた。 H.A.N.Sの手の中で丸まる彼を、私は二度見放すことはできなかった。 「ヨウスドで見つけたから、君はヨースだ」 H.A.N.Sに撫でられたヨースは「にゃあ」と応えた。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加