頼む

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 そんな生活を続けながら紫は順調に進学し、就職した。その門出ごとに父に挨拶に行ったが、父はそうかと呟くだけで、気の利いた言葉など一つも吐かなかった。ただ無理に作る無表情の中の眼差しに優しさを紫は感じていた。父は父であるとしんじてこれたのもその眼差しだ。それでいい。年を重ねるにつれて、いつしか紫はそう思っていたが今日だけは言葉が欲しい。そう思える日が来てしまった。 「お父さん、偏屈だけど悪い人じゃないから気にしないでね」 「偏屈なのか……」 「うん。離婚してからだけどね」 「まぁ僕も分からないではないから」  就職して五年。それなりの付き合いを経て、この人とだったら結婚してもいいという人に紫は出会えた。母に紹介するのは簡単に済んだ。母は紫が選んだ人なら信じると紫が暁斗(あきと)を会わせたときにそう言った。  暁斗は母と二人暮らしだが、その母とも血の繋がりはない。血の繋がりのあった父は暁斗が幼いときに不慮の事故でこの世を去った。それは暁斗の父が再婚をして一年も経たないときだった。血の繋がらぬ親も持つ紫と暁斗は、お互いに理解し合えてしまい、緩やかなときの中で少しずつ近しくなった。  暁斗だからこそ父に紹介したいと紫は思い、桜がほころび出した温かな日、父に暁斗と一緒に挨拶に行くことを決めた。  春の陽射しは穏やかだが、紫の気持ちは軽く沈んでいた。父は暁斗に対しても冷たく接するかも知れない。暁斗の気を損ねるかも知れない。本当に父に紹介していいのだろうか。血の繋がりがなければ父ではないのだろうか。ないまぜの感情が紫を襲うが父の部屋には刻一刻と近づいていく。  父の部屋のドアの前に立ち、紫はインターホンを押した。返事はない。事前に会いに行くと言っていたからこそ留守にするはずはない。 紫はドアノブを回すとドアは簡単に開いた。 「お父さん、上がるよ」 「お邪魔します」  紫と暁斗は中へと入る。父はテーブルの前に座り、お茶を飲みながら新聞を読んでいた。 「お父さん、今日来るって言ったでしょ? 」  紫は呆れたように声をかけて父の前に座る。父は無言。部屋はそれなりに片付けられている。暁斗も紫の隣に座る。 「お父さん、前に話した暁斗さん。私たちね、結婚しようと思うの」  父は無言で新聞をめくる。 「紫さんのお父さん、許してくださいますか? 」  父はやはり無言で新聞をめくる。  紫と暁斗は目を合わせる。 「お父さん、私、お茶淹れなおすね。台所借りるよ」  紫が部屋から出る。暁斗はゴクリと生唾を飲んで紫の父に話しかける。 「僕じゃ役不足ですか? 」 「そんなこたぁない」  暁斗は気付いていた。部屋が片付けられているのは、自らがここに来るからこそ紫の父片付けたのだと。拒否されている訳ではないのだと。 「紫さんからお父さんのことは聞いています。僕も血の繋がらない母と暮らしていたので、紫さんがお父さんに僕を紹介したかった気持ちも分かるんです。せめて紫さんの話を聞いてくれませんか? 」
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