ツンデレ事件簿

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 これといった人の目を引く才能、特徴、素質なんて類のものは、持ち合わせていない。   偏差値が高くも低くもない公立高校にあって、文系の教科では平均点をやや上回り、理系の教科ではわずかに下回る。昨年度に行われた校内のマラソン大会では、手を抜いたのもあって一年男子142人中97位という戦績だったが、十六年間生きてきたこれまでに、自分の運動神経に絶望した記憶はない。  クラスで背の順に並べば、大体、真ん中より二、三人分前寄り。外見は、三、四年前までは長姉の友人たちに「かわいい」と騒がれることもあったが、最近は特別に褒められた覚えもない。  自己でも他己でも「ごく平凡」の評価が定着している男子高校生、多和田優治(たわだゆうじ)は、それでも、わかりにくいながらも、誰もが持っているというわけではない長所を自分が有していると、密かに自負していた。  その長所とは、「人に、特に女性(女子)に嫌われないところ」だ。  優治の自己分析によると、それは前述の通り、出る杭になりようもない天性の平均的能力値から、そして、姉二人の顔色を窺いながら生きてきた後天的な努力により、生まれた長所だった。  そんな優治の長所が、最近は、あまり上手く機能していない。そう感じるようになったのは、優治がくじ引きで学級委員の一人に選ばれ、そうして、もう一人の学級委員が小柴陽鞠(こしばひまり)に決まってからだ。  二人が、共にクラスのリーダーたる学級委員となったのは、高校二年に進級してから間もない、水曜日の放課後のHRで、だった。  優治の通う高校では、伝統的に学級委員は一クラスにつき男子女子各一名が選ばれる。男子代表の優治が、くじ引きに負けて役目を押し付けられたのに対し、女子代表の陽鞠は、友人からの強い他薦によって学級委員に選出された。  その時点では、優治は陽鞠とは同級生になってからまだ数日しか経っておらず、彼女の性格など知りようもなかった。ただ、優治はパッと見で、真面目で頭が良さそうな女子という印象を陽鞠から受けた。そして、彼女が友人たちから学級委員に推されたことから、頼りがいのある人物らしい、というイメージも加わった。  それらの陽鞠の人物像は、嫌々学級委員を押し付けられた優治の相方として、大変に都合が好く思われた。リーダーの素質など微塵もない自分がクラスのまとめ役だなんて、荷が重すぎると感じていた優治だったが、もう一人の学級委員がしっかり者ならば、自分は補佐役に徹すればそれで充分だろうと、随分、気楽な気分になった。幸い、女子に顎で使われるのは、私生活で慣れに慣れ切っているので得意中の得意なのだ。  優治は男子の集団から離れて陽鞠の座る席に近付くと、赤い印が付いた細い短冊を彼女に見せた。 「こういうことで、男子の方は俺になったから、小柴さん、よろしく」  「あんたって、いつもそうやって、へらへらしてるよね」と次姉に酷評されている表情で、優治は陽鞠に挨拶用の笑顔を向けた。そうして、陽鞠の返事はといえば、下を向き優治に目を合わすことなく低い声でボソリ、「よろしく」と呟いただけだった。  優治は一瞬、彼の予想していたのとは違うその陽鞠の態度を、どう受け取っていいのか、わからなかった。だが、そういえば、優治の下の姉などは今の陽鞠のように、彼に雑な返事を返す時もなくはない。むしろ、しょっちゅうだ。そういう時は大体において、弟の優治に何か落ち度があった訳ではなく、ただ単に次姉の虫の居所が悪かっただけ、だったりする。  「小柴さん、今、機嫌悪いんだな」と、それだけ思って、優治は通常営業の愛想笑いを浮かべたまま、彼女の居場所から離れた。直後に後ろで女子数名が騒ぐ気配がしたのは、なんだったのだろうか。  その後、その陽鞠の反応が、その場その時の彼女の気分によるものではなかったことを、優治はすぐに知ることになった。  そもそもの優治の思惑、陽鞠にクラスのリーダー役を担って貰い、自分は使い走りに回ろうという考えは、その半分は実現した。HRでの話し合いの議長役も、隔週で行われる校内会議での報告係も、陽鞠が万事一人でこなしてくれたのだ。  ただ思っていたのと違ったのは、陽鞠が頑なに、どんな雑用さえも優治に手伝わせなかったことだった。議事録のまとめも、配布資料のコピーも、特別教室の予約も。何か手伝えることはないかと、ことある毎に優治が聞いても、陽鞠は「別にない」の一点張りだった。そもそもが乗り気でない学級委員職ではあったものの、こうもすることを奪われてしまうと、優治の居場所がない感は半端なかった。  いつも、とりつくしまなく会話を打ち切る、その態度。優治は、自分が陽鞠に嫌われている気がした。少なくとも確実に気のせいではなく、彼女に避けられてはいた。  しばらくの間、陽鞠の頑なさを持て余しつつ、なんとなく日々をやり過ごしていた優治だったが、二か月ぶりに実家に帰ってきた長姉と台所で鉢合わせをした時、つい、弟は愚痴まじりの相談をした。 「嫌われる心当たりは……なくはないけど。そっちにリーダー役やってもらおうって気が、透けて見えてたのかも。…いや、やっぱ違うな。最初にまともに挨拶した時点でもう、そっけなかったし」 「その子、他の同級生にもそんな感じなの?いじめっ子気質とか?」  風呂上がりの頭をタオルで包んだ長姉が、ビール片手に尋ねた。この人、実家にいた学生時代より、確実に酒量が増している。 「そういう傾向は、ない。それが逆に、何で俺だけって落ち込む。あの大抵の女子に避けられてる大輝(だいき)とだって、小柴さんは普通に話してるし」  大輝とは、優治の中学時代からの親友である富田(とみた)大輝のことだ。悪い奴ではないが、変に自意識過剰のところがある彼は、女子を前にすると無駄にぶっきらぼうになってしまいがちな、ある面でちょっと残念な男だ。  その親友はこれまで、日頃から女子たちとまぁまぁ上手くやっている優治を若干妬ましく感じる部分もあったらしいが、最近の陽鞠の優治の扱いを見て、そこそこに溜飲が下がったらしい。 「お陰で、大輝に『女子に敵視される側の気持ちが、ようやくお前にもわかったか』とか喜ばれるし。でも、俺は、あいつみたいに傷付けるような態度してないのに、わけわからん」 「聞いてみれば?なんで、そんなに突き放す態度するんだって。その、小柴さんて子に」  優治は、それはしたくないと思った。自分が意識していない欠点を指摘されでもしたら、落ち込んでしまうに違いないからだ。 「……聞いて、解決することかな?」 「しないかも」 「なんだよ、それ」 「人間のサガってヤツかも、しれないしねぇ」  なにやら曖昧なことを言いながら、長姉は父が秘蔵のあたりめをしゃぶった。かつて高嶺の花的女子大生だった彼女は、社会人三年めの今、立派におじさん化が進んでいる。 「あんたってさー」  突然、台所に背を向けたソファの奥から声がした。 「うわっ、いたのかよ?!……話、聞いてた?」  ソファの背から、ピョコン顔を覗かせたのは現役女子大生の次姉だった。 「いたよ。聞いたよ。あんたって本当に、『女子の気持ちなんて、僕、お見通しです~』って顔して、実際、全っ然だよね。あと、大輝とかにそういう相談しても、無駄。むしろ、害」  簡潔に弟と弟の親友とを批判した次姉は、バスタオルとスマホを手に、外股で居間から出て行った。  姉に相談を聞かせた後も、優治は陽鞠に対し何の行動も起こせず、遠慮しつつ距離をとりつつのままだった。二人の関係は、同じ時間を重ねる毎に軟化するどころか、緩やかに悪化していっているように見えた。  一学期が終わろうかという頃、優治はついにクラス担任に捕まり、「小柴ばかりに学級委員の仕事を押し付けるな」と小一時間説教されるはめになった。そうして、なにもかもが消極的な成り行きにより、優治はいよいよ行動を起こさねばならない立場へと追いやられた。  その日、優治のクラスでは授業終わりのHRで、校則改善に関するアンケ―トが実施された。  回収したアンケート用紙ひとクラス分を持った陽鞠が教室を出ようとする直前に、優治はすかさず声を掛けた。 「アンケートの集計、コンピュータ室でするの?」  「うん」とは、いつも通り目を合わせずの陽鞠の返事だった。 「俺も行く。あ、これ、俺が持つよ」  優治が陽鞠の持つアンケート用紙の上端を掴むと、陽鞠は妙な力強さで下端を引き戻した。 「……いいよ、私がやっておくから」 「……二人でやった方が、早く終わるから」 「………合算の手間考えたら、一人でやるのとあんま変わらないから」  確かに、そうかもしれない。あと、まだ教室に居残っている数人の帰宅部組の、もめごとかとこちらをチラチラ見る目も気になる。そんなこんなで、いつもだったら、このあたりで引き下がる優治だったが、この日は違った。 「………自由回答のテキスト入力もあるし」 「…………た、多和田くん、コンピュータ室の予約とってないし、いいよ」  陽鞠からこうして名前を呼ばれたのは、いつ振りか。もしかして、もしかしなくても、初めてではないだろうか。 「そんなの、今すぐ職員室行ってとってくるよ」 「いいから、私がやるから!」  それまでよりひと際力を込め陽鞠がアンケート用紙を引っ張った瞬間に、紙束のうちの七割が、教室と廊下の床に散らばった。陽鞠はすぐにしゃがみ込み慌てて紙を拾い始めたが、優治の方は棒立ちに立ちすくんだままだった。 「いい加減にしろよ」  陽鞠は、声のした頭上を見上げた。陽鞠のすぐ近くに立った優治は、彼女を見下ろせる位置に頭があったが、彼女の方を見ることなく、言い放った。 「俺のことを小柴さんが嫌いなのは、それは別にいい。でも、知ってる?周りがあれこれ勘ぐってきたり、先生が俺にあれこれ言ってきたりしてんの。こっちにも立場があんだよ」  いつかは陽鞠と話し合わなければとは、優治は考えてはいた。でも、こんな風にただ不満を彼女に投げつけようと思っていたのじゃない。自分の何が気に入らないのか、これからお互い気持ちよく仕事をしていくにはどうすればいいのか、そういう建設的な話をしたかった。その筈だったのに、どうやら思っていたよりも、自分はずっと鬱憤を溜めていたらしい。優治の口から出る陽鞠への非難の言葉は、止まらなかった。 「嫌いなヤツと同じ委員になったのは気の毒だけど、ただの役割だろ?個人的な感情は、ある程度割り切るべきだとは思えないのかよ」 「ちがっ…」 「そこまで言わなくても、いいじゃん」  突然、割って入ってきた声は、いつの間にかアンケート用紙拾いに加わっていた陽鞠の友人…確か、森嶋とか言う女子のものだった。 「陽鞠が多和田くんにつっけんどんなのは…」  なんと、猛烈な速さで、陽鞠は体当たりするが如くに森嶋の口を塞ぎにきた。 「わーっ!やめてやめてっ!それ以上言ったら、殺す!!」  大人しそうな女子の口から思ってもみない剣呑な単語が紡がれ、面喰らった優治であったが、それでも、陽鞠を責める気持ちは収まらなかった。 「だから気に喰わないからだろ、俺のこと。それはいいから」 「違うから!そうじゃなくて、多和田くんの方こそ、くじ引きなんかの決め方で嫌々学級委員になって、しかも私なんかと一緒で…」 「『なんか』って?あ、くじ引きのほうじゃなくて、私なんかって?」 「だって多和田くん、可愛い子が好きだから」  可愛い子、好きだ。普通に大好きだ。でも、それって普通じゃないか? 「えっと、そうだけど、別にそれをクラスの女子に求めてはいないけど?」 「そう、なんだ」  陽鞠は安堵したような、それでいて、がっかりしたような顔をした。なんなんだ!  自分の中から怒り……に見せかけた悲しみの気持ちがいつの間にか薄らぎ消えかかっていることに気が付いた優治は、しゃがみ込み、陽鞠と視線の高さを同じにした。途端、陽鞠に身じろぎされ、また少し傷付いた。 「そりゃ、学級委員は嫌々なったけど、もう決まったんだから仕方ないって思ってるし、小柴さんが一緒なのが厭とかは全然ないから」 「そう…」  せっかく、平行に目線が合う位置まで優治が下がってきたというのに、陽鞠はひとり俯き、忙しなくアンケートを拾うばかりだった。自分の気持ちが通じたのかどうなのか、はっきりはしてもらえない状態で優治は、これ以上なにを言えばいいのかわからず、彼もまた、床に散らばった紙に手を伸ばした。 「き、嫌いじゃない」 「え…」  優治は陽鞠の顔を見たが、床ばかりを見ている彼女の表情は長い前髪で三分の二以上隠れ、確認はできなかった。 「わたし、たっ多和田くん、き、嫌いではないです」  なにか、モヤッとした言い草だった。今までの態度が態度だ。嫌いじゃない、とは?その中には、でもやっぱりちょっとは嫌いとか、見てると苛立つとかムカつくとか、そういうネガティブな気持ちもいくらかは含まれいるのだろうか?つい、優治は可笑しな問い詰め方をしてしまった。 「じゃあ、好きなの?」  陽鞠は床に屈んだ姿勢で大きくひと揺れした後、三秒間、完全に停止した。そうして、再起動した時には、優治に手にしていたアンケート用紙を投げつけていた。 「多和田くん、アンケートの集計、よろしく。いままで私が全部、学級委員の仕事してきたんだから、やってくれてもいいよね?」 「それはいいけど…」  いいけど、でも、何故にせっかく拾った紙を投げつける? 「じゃ、お願いします」  立ち上がった陽鞠は、優治に背を向け廊下を歩き去って行ったが、途中で引き返し、教室まで自分の鞄を取りに戻ってからまた廊下を、今度は走り去って行った。  紙を拾いもせずに唖然としていた優治の肩に、アンケート用紙の束が載せられた。振り返ると、すぐ横に森嶋がいた。 「罪な男だねぇ」  何が罪なのだと優治は聞きたくなったが、聞いても彼女は絶対に教えてはくれないだろう。二人の姉を持つ弟の勘が、そう告げていた。
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