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⑵-②
宝来町の酒屋は、教わった通りに歩いただけで難なく見つけることができた。
土蔵造りの店先を覗くと、先日出会った娘が一人で店番をしていた。
「あら、いらっしゃい」
美貌の少女は流介を見るなり、表情を崩した。ものの覚えがいいのだろう。
「言われた通り、来てみたよ。何かめぼしい噂はあったかい」
流介が訊ねると少女は黙って頷き、立ちあがって一升瓶の並ぶ棚の前へと移動した。
「おいおい、酒を見繕って欲しいんじゃない、秘密のカフェーの話を聞きに来たんだ」
流介が質すと、少女は棚の継ぎ目に手を掛け、力任せに引いた。重い音と共に棚の後ろから現れたのは人一人が通れるくらいの四角い穴と、地下に向かって伸びる階段だった。
「なんだこりゃあ」
思いもよらない成り行きに声を上げると、少女が「何かご不満?」と笑みを浮かべた。
「まさかこの先が、秘密のカフェーとか言うんじゃないだろうね」
「さようでございます。……さ、どうぞお入りになって。通行手形は必要ありません」
少女はそう言い置くと、あっけに取られている流介を尻目に階段を降り始めた。
階段を降り切るとほら穴のような狭く薄暗い酒場が現れた。天井が低くテーブルが四つほどしかない造りはまさに秘密のカフェーにふさわしい風情だった。
「私、上のお店を閉めてこちらの準備を致しますので、お席で待っていてくださいな」
少女は謎めいた笑みを残すと、とんとんと軽やかな足取りで階段を引き返していった。
流介は仕方なく、ランプの灯がぼんやり照らす席の一つに腰を据えた。やがて階段の上の方から複数の足音が近づいてきたかと思うと、突然、見知った顔が目の前に現れた。
「やあ、飛田君じゃないか。君がここを知っていたとは驚いたな」
そう言ってシルクハットを脱いでみせたのは何と実業寺の住職、日笠だった。日笠が身にまとっていたのはいつもの袈裟ではなく、英国紳士を思わせる洋装だった。
「ハウルの旦那、紹介しよう。彼は匣館新聞の社員で飛田君と言う記者だ」
日笠がそう声をかけたのは、数日前に天馬と親しく語らっていたハウル社の社長、ウィルソン氏だった。ウイルソンは流介に歩み寄ると、いきなり握手を求めてきた。
「こんにちは、飛田さん。以前、お目にかかりましたね」
ウイルソンの口から出たのは流ちょうな日本語だった。どうやら天馬とはあえて英語で話をしていたらしい。
「あら、今日は珍しいお客さんがいらっしゃってるのね」
落ちついた口調と共にウィルソンの陰から現れたのは「梁泉」の女将、浅賀ウメだった。
「お、女将さん……」
ウメのいで立ちを見た流介は思わず目を瞠った。いつもは上品な和装を隙なく着こなしているウメが、ここではレースの飾りが山ほどついたドレス姿だったからだ。
三人の来客が流介を囲むようにテーブルにつくと、階段の方からさらなる人影が近づいてきた。そのたたずまいを見て、流介は「これはいったい、どういう趣向なんだい」と声を上げた。テーブルの前に現れたのは、欧風の衣装を身にまとった店番の少女だった。
「あらためまして、ご挨拶させていただきます。わたくしこの店の主、安奈でございます」
そう言うと安奈と名乗る少女はテーブルの一同を見回し、うやうやしくお辞儀をした。
「飛田君、この店は我々、謎を愛する者たちの集まり「港町奇譚倶楽部」の本拠地なのだ」
「えっ、じゃあカフェーに集まる秘密の客というのは、みなさんのことだったんですか」
「さよう。そしてこの店はその集会のためにしつらえられた秘密のカフェー「匣の館」だ」
呆然とする流介を尻目にほかの三人は額をつき合わせ、なにやら小声で相談を始めた。
「よろしい、では今日のホストは女将さん、謎の提供者は飛田君ということに決定しよう」
さも当然というような日笠の口調に、流介はとんでもないと顔の前で手を振った。
「そんな、急に言われても困りますよ。僕はただ、カフェ―の取材に来ただけです」
中身を知らないまま、謎の集団に組みこまれてはたまらない、そう告げるとウィルソンが「ここを訪れた時点で、すでに倶楽部に加わっているのですよ。飛田さん」と言った。
「そんな、皆さんにお聞かせするような話なんて僕は……あっ」
ふと頭の隅に、編集部で耳にしたフォンダイス氏の事故が蘇った。
「どうしました。何か気になることでも?」
「いえ、実は数日前に取材したばかりの方が事故に遭われまして、とても不思議な死に方だったものですから」
流介が話のさわりを口にすると、一同がどよめいた。
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