⑶-①

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⑶-①

「……うん、やはり蕎麦は更科に限るな」  謎のカフェー「匣の館」での推理合戦から二日後、流介は取材の合間に谷地頭の「梁泉」を訪れ、蕎麦を啜っていた。 「いかがです、飛田さん。謎は解けまして?」  蕎麦をあらかた平らげたところで、ふいにウメが姿を現した。さすがにカフェ―でのいで立ちとは異なり、いつもの和装だった。 「いやあ、どこから手を付けたものかさっぱりで、降参しようかと思っているところです」  流介が思わず弱音を口にすると「あら、そんな弱気でどうするんです」とウメが窘めた。 「いつものように、碧血碑(へっけつひ)のところに行って、無心になられたらいかがです?ひらめきという物は、必死で追うのを止めた時にふと、降りてくるものですよ」 「そういう物かな」  ウメの提案に、流介はなるほどとうなずいた。碧血碑ならいつもの散歩場所だ。 「じゃあ、行ってみます。ごちそうさまでした」  流介は一礼して箸を置くと、勘定を済ませて店を出た。匣館山の方に向かってしばらく歩くと上り坂になり、やがて緑に囲まれた細い山道になった。人里から近いにも関わらず、ここはいつ来ても不思議な静寂がある、と流介は思った。少しばかり息が切れ始めた頃、唐突に石段と縦長の石碑の一部が見えた。ここが目的の場所、碧血碑なのだった。  石段を上り始めて間もなく、流介はおやと思った。碑の前でたたずんでいる人物の背に、見覚えがあったからだった。石段の上にたどり着いた流介は、人物に近づいていった。 「あら、飛田さん。珍しい場所でお会いしますね」  振り向いたのは、安奈だった。「匣の館」の洋装ではなく、品のよい和装に戻っていた。 「安奈さんこそ面白い場所に来ますね。僕は考えに詰まった時、いつもここに来るんです」  流介が言うと、安奈は碑に振り注ぐ木漏れ日を眩しそうに見つめた。 「梁川様の奥様が幼馴染の親戚に当たるので、子供の頃よく、一緒にここに来てたんです」 「へえ、そういうつながりがあるんですね」  流介はひとしきり感嘆の声を漏らした。そもそも碧血碑とは中国の「忠義を貫いて死んだ者の血は三年経つと碧い宝石に変わる」という故事に由来しており、匣館戦争で亡くなった旧幕府軍の兵士たちを悼んで建てられた碑である。    梁川様とは「梁泉」の主でもある梁川隈吉翁のことで、翁が五稜郭戦争後、賊軍とされて埋葬を禁じられた旧幕府軍兵士の遺体を危険を顧みず埋葬したという出来事にちなんで建てられたものだった。 「ところで飛田さん、例の謎は解けまして?」  いきなり問われ、流介が返答に窮していると、安奈はなぜか忍び笑いを漏らし始めた。 「どうかしましたか。僕の頭の鈍さに呆れているんですか?」  流介が問うと、安奈は首を振って「いいえ、とんでもありません」と言った。 「もしお嫌でなければ、私の幼馴染の知恵を借りてみてはいかがでしょう」 「あなたの?しかしどうしてまた」 「私が言うのも何ですが、きわめて明晰な頭脳の持ち主なのです。あるいは今、飛田さんが難儀している謎も解いてしまうかもしれません」 「どうかなあ。……確かに誰かの知恵を借りてでも、解き明かしたいところではあるが」 「なら今から行ってみましょう、幼馴染のところへ」 「今から行くって……一体どこへ行くんです?」  流介の問いかけに対し安奈が口したのは、思いもよらない場所だった。 「匣館港です。彼は今、海の上にいるんです」
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