⑶-⑤

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⑶-⑤

「船長が飛び込んだのを見て、他の乗組員も彼らを助けようと次々に海に飛び込みました。フォンダイス氏は船内のどこかに身を隠し、全員が鮫の餌食になるのを待っていたのです。やがて海が静かになったころ、甲板に出たフォンダイス氏はもう一人、船員が残っていたことを知ります。それが例の「目の見えない外国人」です。彼は泳ぎが苦手だったか、体調不良のどちらかで海に飛び込むのをためらってしまったのです」 「そういうことだったのか。でもなぜ再び自分の前に現れたとき、フォンダイスはそれがかつての乗組員だということに気づかなかったのだろう」 「おそらく顔かたちが、同じ人間とはわからないほど変わっていたのでしょう。とにかく、フォンダイス氏は生き残った乗組員に積み荷の横流しを手伝うよう、持ちかけたのです」 「なるほど、もう一人はそれを承諾したわけか」 「しかしフォンダイス氏にはそんな気は毛頭なかったのです。氏は積み荷のアルコール……おそらくメチル・アルコールを酒に混ぜてもう一人に飲ませ、殺害しようとしました」 「メチル・アルコール?」 「そうです。メチル・アルコールが体内に入ると、場合によっては失明することがあるのです。氏の謀略を知った乗組員は怒り狂い、羅針盤を破壊します。そしてもみ合いになった挙句、海につき落とされたのです」 「信じられない。そんな恐ろしい人物だったとは」 「しかし幸運にもその乗組員は漂流の果てに無事、生還を果たしました。一人になったフォンダイス氏はそのことを知らぬまま航海を続け、途中で暴風雨か何かに見舞われたのです。船は大きく揺さぶられ、氏は樽から漏れたアルコールの臭いに恐怖して自分も海に飛び込んだのです。こうしてメアリー・セレスト号は無人の幽霊船となったわけです」 「つまりフォンダイス氏も生き延びたってことか。その後、色々あってこの匣館に流れつき、そこでやはり生き延びた乗組員が偶然、この匣館で別人を装って現れたというわけだ」 「そうです。メアリー・セレスト号の模型を職人に作らせ、フォンダイス氏に送りつけたのもおそらく、彼でしょう。商人を装って氏と接触した彼はまず、氏に商売の話をもちかけました。匣館を入り口にしてこの国に阿片を売りこめないか、と」 「阿片を?」 「そうです。しかし実はそれも、別の目的を果たすための口実にすぎなかったのです。乗組員は商談をするふりをしてフォンダイス氏を少しづつ、阿片中毒にさせていったのです」  天馬の話を聞いて流介は思わずあっと叫んだ。そう言えば話をしている最中、フォンダイス氏は汗をぬぐったり苦しそうにしていた。あれはもしかすると阿片のせいだったのか。 「途中から男の正体に気づいたフォンダイス氏は、どうにか殺害できないものかと機をうかがっていました。そんなある日、男が酒を手にやってきました。目的は阿片の代金を受け取ることですが、実はフォンダイス氏を自分同様、盲目にすべくメチルの入った酒をふるまいに来たのです。そのことにいち早く気づいたフォンダイス氏は男に気づかれぬよう、グラスを入れ替えました。結果、男は一度ならずメチルを飲まされ、苦しんだ挙句に部屋を飛びだしたというわけです」 「まさかあのフォンダイス氏がそんな極悪なことをするとは……」 「さて、ここまで一応、何が起こったかという説明は済みました。ですがフォンダイス氏が懐中時計の鐘の音になぜ、怯えたかがわかっていません。それを説明するには登場人物がもう一人、必要なのです」  天馬がそこまで言った時だった。階下でドアを開け閉めする音が聞こえた。はっとして部屋を見回すと、いつの間にか安奈の姿が消えていた。 「どうやら、最後の欠片となる人物がおでましになったようです」  天馬の視線を追ってゆくと、ちょうど螺旋階段から安奈が現れたところだった。安奈に続いて二階に上がってきた人物を見て、流介は思わず声を上げていた。 「あなたは……」 「紹介します。ソフィアさんです。日本語も少し、わかるそうなので続きを聞かせてあげて下さい」  安奈の傍らでは、あの二度ほど見かけた外国人女性がうつむき加減にたたずんでいた。
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