⑶-⑥

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⑶-⑥

「わかりました。……安奈、「例の物」は受け取ったかい」 「ええ。遺族ですって言ったらすんなり渡してくれたわ」  安奈は天馬と謎のやり取りをかわした後、手にした巾着から丸い物を取り出した。 「それは……」  流介は、安奈が掲げ持った品を見て思わず声を上げた。それはフォンダイス氏が所有していた懐中時計だった。安奈は懐中時計の蓋を開けると、中の写真を外国人女性に見せた。 「ここに写っている子供はあなたですね、ソフィアさん」  安奈が問うと、女性は硬い表情で頷いた。安奈は写真を流介と天馬の方にも向けた。写っていたのは若く美しい女性と、赤ん坊だった。 「時計の持ち主がフォンダイス氏だってことは、あなたは氏のお嬢さんなんですか?」  流介が問うと、天馬が「いえ、違います。その時計はフォンダイス氏の物ではありません」と言った。 「では、誰の物です?ほかの人の懐中時計をなぜ、フォンダイス氏が持っていたんです?」 「時計の持ち主は、メアリー・セレスト号の船長です。フォンダイス氏は船に残された時、甲板に落ちていた船長の懐中時計を持ち去ったのです。アルコールが船に充満して脱出せざるを得なくなった時、フォンダイス氏は漂流を覚悟しました。積み荷を持ちだすことはもはや不可能であり、フォンダイス氏は生きのびた時のために漂流の邪魔にならない金目のものを一つでも持って行こうとしたのです」 「船長の娘が生き延びたことを知らずに……」 「そうです。何かのはずみで中の鐘が音を立てるたびに、阿片で濁ったフォンダイス氏の頭にメアリー・セレスト号の亡霊が蘇ったのです」 「それが「メアリー」だったのか……ということはソフィアさんはこの二十年、両親を殺害した犯人を探し続けていたわけだ」 「フォンダイス氏の足跡を追って匣館に辿りついたソフィアさんは、かつての乗組員と偶然、知り会って復讐に協力することを約束しました。乗組員がメチルを持ってフォンダイス氏を訪ねた日も、ソフィアさんは店の前で復讐が首尾よく遂げられるかどうかをうかがっていました。しかし仲間が返り打ちに遭ったのを見て、ソフィアさんは意外な行動に出ました。階段を上がり、廊下にあった木箱をフォンダイス氏の部屋の前に移動したのです」 「あ、あの木箱か。……しかしなぜ?」 「フォンダイス氏を閉じ込めるためです。木箱を扉の前に据え、さらに箱ごと扉を身体で押して出口を塞ぎます。阿片で思考が鈍っているフォンダイス氏は、ドアが施錠されていると思いこみ、「鍵を開けようと」して必死で「鍵をかけて」しまったのです。そして押しても引いても開かない扉と格闘していた氏の耳に、ある歌声が聞こえてきたのです」 「歌……?」 「子守唄です。それは二十年前にメアリー・セレスト号でまだ二歳だった娘のために、船長の妻がよく口づさんでいた歌だったのです。フォンダイス氏は記憶の向こうに微かに残っていた子守唄が蘇り、自分が殺した船長の妻が扉の向こうにいるのだと思いこみます」 「それで窓から逃げようとしたわけか」 「その通りです。子守唄を歌っていたのはもちろん、ソフィアさんです。……そうですね?」 「……はい」  ソフィアは長い睫毛を伏せると、短く答えた。 「この事件の関係者で一人だけ、若すぎる人物がいました。メアリー・セレスト号の遭難から二十年が経っていることを考えると該当するのはただ一人、当時赤ん坊だった船長の娘以外にはあり得ません。盲目の男がフォンダイス氏の殺害に失敗したことで、結果的にあなたは自分の手で復讐を遂げることができました。しかも、両親と自分を助けに来なかった乗組員もある意味、罰を受けた。さまよえる幽霊船の呪いは、遠い異国の地でやっと解けたのです」  安奈はソフィアの手を取ると、懐中時計をそっと握らせ「これはあなたの物よ。ご両親もようやく安心して眠れるはず」と言った。 「見てください、ソフィアさん。この東洋の海はメアリー・セレスト号が漂っていた海に続いています。あなたの人生は、この港から再び始まるのです」  天馬の言葉にソフィアは「ありがとうございます」と深く頭を下げた。それにしても、と流介は思った。なんという奇怪な事件であろうか。二十年の長きにわたり、暗い海の上を漂っていた謎と憎しみを、この美しい若者たちはいとも簡単に解いてしまったのだ。
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