⑴-②

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⑴-②

 飛田流介が地元、匣館新聞の記者になったのは三年前、二十歳の時だった。  匣館は北開道(ほっかいどう)の南端の町で、その歴史は鳴事維新(めいじいしん)のはるか以前にまでさかのぼる。  港町である匣館は古くから海運の要所として栄え、教会や領事館など異国風の建物も珍しくない。そんな時代の風が吹き抜ける町で、巷の出来事をいち早く記事にして庶民に届けるのが流介の仕事だった。 「数年前の大火の後、匣館は日を追うごとに新しい街並みになってきている。ご一新からかれこれ二十数年、幽霊や化け猫の出る時代はもう忘れ去られているといっていい」 「そうですね。こんな北の地ですら鉄道が張り巡らされているんです。怪談だってそりゃあ出番が減るでしょう」  流介は升三に調子を合わせた。ご一新の前年におぎゃあと産声を上げた身としては、残念ながら得戸(えど)の世は遠い昔だ。 「しかしだな、芝居でも講談でも、怪談は常に一番人気だ。こればかりは世が変わろうともびくともしない」 「そうでしょうね。でも今どきの世にあった怪談なんてあるんでしょうかね。しかも新聞ともあろうものが、堂々と幽霊話なんぞやった日にゃ、笑い物になりかねませんよ」 「うん、そこでなんだが、僕が本当にやりたいものは実はただの怪談じゃない。君は探偵小説という物を知っているかね」 「探偵小説?」 「まあ一種の捕物帳と言ってもいい。イギリスにアーサー・コナン・ドイルという新進気鋭の作家がいてね。シャーロック・ホームズという探偵が活躍する小説が大人気なのだそうだ」 「へえ。それは面白そうですね。読んでみたいところですが、あいにくと外国語はからきしでして。どんな話かさわりを聞かせてくれませんか」 「うん、例えば内側から鍵のかかった部屋で人が死んでいるとする。どうやら殺されたらしい。じゃあ下手人はどこから入ったのか?……とまあこんな怪事件を探偵が鮮やかに解き明かすってわけだ。面白いだろう?」 「確かに面白いですね。犯人は幽霊か、物の怪かってところですけど、本当に解き明かせるんですか?」 「解き明かせるとも。そこでだ。君にはこの探偵小説に倣って、謎が謎を呼ぶ奇妙な話をできるだけたくさん、収集して欲しいんだ」  あまりに無茶な要求に、流介はささがきにした牛蒡(ごぼう)を喉に引っ掛けそうになった。 「ちょっと待ってくださいよ。そんな珍しい話、そうそう巷に転がってるわけがないでしょう。仮に見つかったとして、いったい誰がその謎を解くんですか」 「君だよ。君が謎の答えを推理するんだ。読者が思わず膝を叩くような推理をね」  流介は目の前で美味そうに麦酒を干すこの先輩記者が、狐狸貉の類であることを祈った。 「ではうかがいますが、この平和な港町のどのあたりに怪談があるとお思いです?私にはさっぱり見当がつきません」 「まあ、そうだろうな。……なあ女将さん、ここいらで不思議な話がないか、探してるんだが聞いたことはないかい」  升三が話を振ると、品のよさそうな年配の女将は「そうですねえ」と小首をかしげた。 「聞かないこともないですけど……お客さんから聞いた話を右から左に漏らしてちゃあ、商いが成り立ちません。どうか察して下さいまし」  美しい女将にぴしゃりと言われ、升三はそうかそうか、すまなかったと頭を掻いた。 「……とはいえ、私も不思議な話には目がないたちでございます。こんな話はいかがでしょう。聞くところによると宝来町(ほうらいちょう)青柳町(あおやぎちょう)のあたりに知る人ぞ知る秘密のカフェ―があるのだそうです。なんでも外からは決してカフェーとわからず、入るのは容易ではないとか」 「それは面白い。飛田君、まずはその「秘密のカフェー」とやらを探すことから始めてはどうかね。うまく見つけられれば、その先にさらなる謎が待っているに違いない。謎は謎を呼ぶというじゃないか」  上機嫌で麦酒を口に運ぶ升三を見ながら、流介はこの話自体が夢であればいいと願った。
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