⑴-⑤

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 さて、くだんのフォンダイス氏が間借りしているのは、主に昆布などの海産物を扱っている問屋、大森商店の二階であった。レンガの壁面が目を引く土蔵造りの建物の前で立ち止まった天馬は、下から上までしげしげと眺めて小鼻を膨らませた。 「立派な家ですねえ。フォンダイス氏はあまり外出を好まないとのことですが、この中でいったい、どんな生活を営んでいるのでしょう」  流介は遊びにでも来たかのような天馬の様子に、やれやれと肩をすくめた。これではどっちが新聞記者だかわからないではないか。やがて天馬は表の引き戸をがらりと開けると、臆する風もなく大声を上げた。 「ごめんください。匣館新聞社から来た者ですが、社長さんはいらっしゃいますか」  よく通る声で天馬が叫ぶと、はあいという返事と共に日本髪を結った年配女性が姿を現した。 「私がこの店の主ですが、何か御用でしょうか」 「はい、用です。取材にうかがいました。こちらの二階にフォンダイスさんという外国の方が間借りしてらっしゃいますね。その方にお話を聞きに来ました」 「あら、そうでしたか。じゃあフォンダイスさんにはもう、お話が通っているのですね」  女主人がそう問い返すと、天馬はにこにこと笑顔のまま横に首を振った。 「いえ、残念ながら、訪問の予定は伝えていません。先ほど氏の噂を耳にしたばかりなものですが、不思議な話と聞いていても立ってもいられず、ついうかがってしまいました」  天馬の流れるような弁舌に女主人はただ、口をぽかんと開けたまま聞き入っていた。 「では、とりあえず都合を聞いてみるということでよろしいかしら」  女主人の戸惑いを含んだ返答に、天馬は「はい、お願いします」と玄関中に響く大声で礼を述べた。  店先の商品見本などを眺めながらぼんやり待っていると、とんとんと小気味よい足音と共に奥の階段から女主人が戻ってきた。 「フォンダイスさん、お会いになられるそうです。このところお具合がよろしくなかったようなので、断ってくれとおっしゃるかと思っていたのですが……」  女主人は流介たちにそう告げると、階段の方をちらと見やった。 「ありがとうございます。やはり来てみるものですね。……行きましょう、飛田さん」  天馬は肩越しに流介を振り返ってそう言うと、いそいそと階段を上り始めた。  やれやれ、これでは本当に僕の方が助手みたいだ。流介はこんなことなら外国語くらい嗜んでおくんだったとぼやきつつ、天馬の後に続いた。階段を上がり切ると、二階は洋風の造りになっていて廊下の片側にドアが二つほど並んでいた。 「ふむ、たぶん手前の部屋だろう。奥の部屋は空き部屋か納戸に違いない」 「なぜそんなことがわかるんだい」 「見てください、ドアの近くに木箱が積んである。あの位置だとドアの開け閉めの邪魔になる。しょっちゅう人が出入りするところにあんな物をわざわざ置くはずがない」  言われて目を向けると、確かにドアの近くに木箱らしきものがあった。よくそんなことに思いが至るものだ、と流介は天馬の整った横顔をなかば呆れながら眺めた。 「こんにちは、フォンダイスさん」  天馬がドアを叩きながら発したのは、驚いたことに日本語だった。 「……入りたまえ」  ドア越しに聞こえた片言の日本語に、流介は全身から力が抜けるのを感じた。なんだ、これならわざわざ通訳を雇うまでもなかったではないか。……しかしなぜ、天馬はフォンダイス氏が日本語を解する人だと見ぬいたのだろう。 「失礼します。匣館新聞記者兼通訳の、水守といいます」 「……ええと、その助手の飛田と言います。はじめまして」  天馬の調子に合わせ、流介はその場でこしらえたような自己紹介をした。  室内は簡素な洋間で、大小の洋風文机と書棚、洋酒の瓶が並んだ飾り棚などがあった。 「私に話が聞きたいということですが、どのような話ですか」  フォンダイス氏は片言ながら、思いのほか流暢に日本語を操った。外国人としては小柄だが、やり手の商人を思わせる隙の無い目をした人物だった。
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