⑵-①

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⑵-①

 さて狭い匣館のこと、つらつらと歩くうち、あっという間に宝来町に辿りついていた。 「どうしたものかなあ。秘密のカフェ―ともなれば、往来に看板など出ているはずもない」  流介は考えあぐね、お屋敷の立ち並ぶ一角をぐるぐる歩き回った。このあたりのお屋敷は和洋折衷の建物も多く、外見は和風でも中に洋間がしつらえられている事がある。そう考えると一軒一軒、訪ね歩いて聞きこむしかないのだろうか。  そんなことを考えていると、背後から「どうかなさったの、お兄さん」と声がした。  驚いて振り返ると、興味深げな視線がこちらに向けられていた。立っていたのは和装の若い娘で、流介はその美貌に思わず言葉を失った。  白い肌に大きな瞳、すっきりと通った鼻筋は、露西亜の血が混じっているのではないかと思うほどで、それが和風のいでたちに驚くほど似合っていた。 「いやあ、実は店を探していてね。僕は新聞記者なんだが、どうもここいらに「秘密のカフェー」なるものがあるらしい」  流介があけすけに話すと、娘は目を丸くして「まあ素敵だこと、匣館にカフェ―なんて」と言った。流介はさすがに若い娘だけあって、東京にやっとできたばかりの進取の店を知っているのだなと感心した。 「で、どこにあるんです、そのカフェーは」 「そこが厄介なんだ。秘密というからには、きっと外からはわからない造りに違いない」  流介の説明に娘は少しばかりしょげて見せた後、「もっともなお話ですね」と言った。 「君のような若い子が知らないのなら、きっと普通の店構えではないのだろう。地道に聞きこんでみることにしよう」  流介が自分に言い聞かせるようにつぶやくと、娘がふいに「実は私、酒屋で働いているんです。今度、お客さんに聞いてみますね」と唐突な申し出を口にした。 「そりゃあ助かるな。どこのお店だい」 「そこの通りを山の方に少し歩くと、土蔵造りの酒屋があります。すぐわかりますわ」  娘は朗らかに言うと「頑張って下さいな」と言い残し、流介を追い抜いていった。 「なるほど、カフェーが近くにあるのなら、店で出す酒を買いに来てもおかしくはない」  流介は娘の聡明さにひとしきり感心すると、谷地頭方面を目指して再び歩き始めた。                 ※ 「おい飛田君、聞いたかい。大事件だよ」  近頃人気の温泉に蕎麦の話を付け足した他愛のない記事を書き終えると、血相を変えた升三が姿を現した。 「どうしたんです、いったい」 「君がこの前、取材した外国人……ええと、何て言ったかな」 「フォンダイスさんですか」 「そう、そのダイスだかサイコロ氏だかが昨日、窓から落ちて亡くなったそうだ」 「えっ、本当ですか」  流介は目を見開くと、難しい顔で頷いている升三を見返した。 「それが妙な話でね、突然、二階で「その歌をやめてくれ」という叫び声が聞こえたかと思うと、いきなり窓から飛びだしたらしい。しかもその少し前にフォンダイス氏を訪ねてきたらしい外国人が階段から降りてきて倒れ、そのまま死んでしまったらしい」 「つまり一度に二人の人間が亡くなったってことですか」 「そのようだ。倒れた外国人は毒でも飲まされたのか、かなり苦しんでいたそうだ」 「じゃあ、フォンダイス氏が毒を飲ませたと……」 「そう考えるのが当たり前だが、その後で部屋の鍵をかけて窓から飛び降りたというのがよくわからない。殺人と言えば殺人だが、二人とも死んでいる以上、何があったのかはもはや永遠の謎だ」  ううむ、と流介は唸った。これなどはまさに奇譚と呼ぶにふさわしいが、あてずっぽうの推理を添えた記事をおいそれと書くわけにもいかない。 「奇妙な話ですね……」  フォンダイス氏の風貌とともに、店を訪れていた目の不自由な外国人の顔が浮かんだ。  毒で死んだのがあの外国人だとすると、金の無心に嫌気が射したフォンダイス氏が思いあまって殺したということだろうか。だがそうなると、その直後に自殺するという行動がどうにもちぐはぐだ。どうしたものか…… 「まあ、これでは記事にするのも難しいだろう。第一弾はカフェーの話で決まりだな」  升三の言葉に、流介は黙ってうなずいた。考えを切り替えようとしたその刹那、流介の頭に天馬の聡明な眼差しが浮かんだ。彼だったらこの事件をどう解釈してみせるだろうか。
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