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ファミレスを出てすぐに那貴は若菜と別れた。彼女の気遣いなのだろう。帰路は同じはずだったが、寄る所があると言って若菜は別の道を選んで帰って行った。
道に迷ったような頼りない足取りで、那貴は自宅に辿り着く。
靴を脱いでリビングへ行くと、そこには先客が居た。
「あ、おかえり」
ソファに寝そべっている唯愛が振り返った。
それには何も返さず、那貴はテーブルを挟んだ向かい側、フローリングに直接腰を下ろす。
「話がある」
「何?」
今無視されたこと含め、不機嫌であり不満があることを声音と表情で最大限に示しつつ、唯愛がソファの上で身を起こす。
「どうしてその義手にした? もっと生体に近いデザインのものもあっただろ」
「急に何?」
怪訝そうにしながら、唯愛が義手に視線を落とす。動きを確かめるように手首を捻り、指先まで動かしていく。
「似せる必要はないから。前と同じ形をしてなくても、あたしであることに変わりないから」
確かめるように唯愛が義手で拳を握る。
「あたしがあたしであることを、ちゃんと知ってるから。あ--あと単純にカッコいいから」
重要なことを思い出した、と唯愛が最後に付け足す。
「どれもこれも、唯愛が言いそうなことだな」
平坦な声で言い捨て、冷めた目で唯愛を見る。
その冷たい視線を唯愛が睨み返した。
「あたしは相佐唯愛だよ。他の何に見えるって言うの?」
「相佐唯愛に見えるな。事故で多くを失って、それでも生きている唯愛に見える」
「だったら--」
「だとしても!」
那貴は唯愛を見ている。唯愛の姿を揺れる瞳で、それでも逸らさずに見ている。
「仕草を真似て、同じ声で、同じ顔で、お前が振る舞う姿に、勝手に俺が唯愛を見出してるだけだ。俺の錯覚だ。お前が唯愛である訳じゃない」
荒げた呼吸を整えるように那貴が息を吐く。
「覚えているんだ。あの日、唯愛がどんな状態だったか。脳も脊椎も駄目だった。全部、全部駄目だったじゃないか」
「だから機能しない部分を人工物で補った。普通のことでしょ」
「体や臓器の話ならそうだ。でも、人工心肺で脳を生かすことはあっても、脳を置き換えて心臓を生かすなんて……そんな話は無いだろ」
「脳だって臓器。信号の伝達を化学物質でやってる。脳の機能や仕組みも解明された。それを私は機械的な電気信号に置き換えているだけじゃない!」
今度は唯愛が気を落ち着けるように息をついた。
「今までこんな話が無かったのは、やらなかったからじゃない。出来なかっただけ」
諭すように唯愛が続ける。
「自分の体を任せられる脳が用意できるなんて無かったんだから。だけど私にはお父さんが居た。子供の頃からずっと研究の手伝いをしてきたから、完全な私の脳のモデルが用意できた。それだけだよ」
二人の父、敦也は補助脳の開発の一端として個人の脳をモデル化する研究を行っていた。脳という人の意思決定基幹に干渉する補助脳は、画一的な規格であってはならなかった。患者の脳に適合した、パーソナライズされた補助脳でなければ、脳に歪みが生じてしまう。その前提の元に推し進められた個人の脳の厳密なモデル化。その研究成果は補助脳の実用化への道筋を確かに付けたと言われている。
那貴は自分と同じように振る舞うことの出来る機械の脳に気持ち悪さを覚えて、父親の手伝いを止めた。
一方で唯愛はその研究が価値有るものだと信じ、父親にデータ提供を続けてきた。
そして補助脳の一つ先へ、父親と娘は既に踏み出していた。
一筋、唯愛のまなじりから頬を涙が伝う。
「他人の体を奪う訳じゃない。他人に体を押し付ける訳でもない。あたしがあたしを生かすだけ。それの何が悪いって言うの」
唯愛の体を有した、唯愛の脳モデルが那貴に訴える。
「あたしの心臓は、まだ動いてるんだよ。この心臓が脈打つから、ここにいる。こうして生きてる」
「それは認められていない。誰も認めるはずがない。それを認めたら、何を、人と呼べばいいんだ」
「那貴が認めてよ!」
悲鳴だった。立ち上がって、那貴に向けて叫ぶ。
「他の誰が認めなくてもいいから。お兄ちゃんが、あたしを唯愛って呼んでよ!」
那貴は、肩で息をする唯愛を言葉無く見上げていた。
短くはない時間そういしていたが、やがてゆっくりと那貴が立ち上がる。
「昔はさ、仲の良い兄妹だって言われてたんだよ。妹がくっついて回るから、何となく良い兄貴になろうなんて思ってたな」
テーブルを周り込みながら、那貴は懐かしむように言う。
「ところが気づくと、妹は生意気なこと言うようになってた。おまけにどこに行っても、しっかり者の姉と出来の悪い弟なんて見方まで付いて回る。外向きの立場はすっかり逆転。気づけば兄を捕まえて那貴と呼び捨てにする始末だ」
那貴が足を止める。唯愛が目の前に立っている。
「ただ、たまに昔の唯愛が顔出すんだよな。大抵のことは自分で何とかするし、こっち頼ってくることもないけど、本当にどうしようもない時だけ言うんだよ」
共に生まれてきた妹が那貴の前で泣いている。
「俺は……お前を、唯愛の振りが出来る機械だとずっと思ってきた。昔、俺の脳モデルを見た時からずっと、人の真似ごとをする機械だと思ってきた」
那貴の声を聞きながら唯愛は何も返すことなく、ただ涙だけを溢れさせていた。
「……最初からずっとそうだったな。お前は唯愛としてしか振る舞えなかった」
那貴は唯愛の頬に手を添える。
「どんなに否定したって、どうしたって、俺にとって、どうしようもなくお前は唯愛だったのに」
そっと濡れた頬を拭った。
「おかえり、唯愛。ごめんな、遅くなって」
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