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7つ目 “フロラシオンにて”
文化祭直前の土曜日。午前11時。
美彩は電車を降り、隣街である矢広町(やひろちょう)に到着した。
改札を出て、真っ直ぐに東へ歩く。
人が多い。今日は土曜日だもんね。
―――矢広町は、私の住んでいる天音市(あまねし)に比べて比較的田舎の町だ。
しかし、小中高と学校が多く、
最近は都市開発が進み、都会っぽく変化し初めてきている。
商店街へと歩き、その途中にある3階建てのテナントビルの自動ドアをくぐる。
両隣を美容院と雑貨屋に挟まれた、ビルのその1階。
フラワーカフェ、“フロラシオン”。
ここが美彩のバイト先だ。
入ったとたんにふわりと香る花の香りが鼻をくすぐる。
『いらっしゃ‥‥‥あ、美彩ちゃん』
『おはようございます』
カウンターに立つ女性に挨拶する。
このお店の店主、蓮実 日菜花(はすみ ひなか)さんだ。
長い黒髪がとても綺麗で、左目の下の泣きぼくろが色気があって、
スラッとしてる体型で姿勢も良いし、
色っぽさとミステリアスさを纏う大人の女性。
『おや、そろそろ忙しくなる時間かな』
私がカウンター横の扉の向こうの事務所に向かう途中で、
カウンターに座っていた男性のお客さんが呟いた。
『お勘定を』
立ち上がったお客様は、20代くらいの男性の方で、綺麗なベージュのコートを着たその姿からは落ち着いた雰囲気が感じられる。
どこかのブランドの茶色いカバンから財布を取り出し、会計を済ませると
男性は日菜花さんに礼を言った。
『お花も紅茶も、とてもいい香りで実に良い時間を過ごせました ありがとうございます』
『こちらこそありがとうございます コンサート、頑張って下さいね』
日菜花さんが言った、コンサートという言葉。
音楽関係者なのだろうか。
『ああ、あなたもありがとうございます』
とか思ってたら私にも話しかけてきた。
何のことかわからずにいると、
その男性は少し間を置いてから笑い、
『いや、やっぱり何でもないですよ それでは』
『?』
よくわからないことを言い残し、一礼して店を出て行った。
何だろう?
嫌な感じはしなかったけど。
『日菜花さん、今のお客さん‥‥‥』
『気付いた? 有名なピアニストの宍戸(ししど)さんよ』
そこでようやく名前が脳裏をよぎった。
宍戸 旋律(ししど せんり)。
私でも名前は聞いたことくらいはある有名なピアニストだ。
旋律って漢字の名前だし、覚えやすい。
『すごいよね あれでほとんど目は見えてない方だなんて』
『え?』
『宍戸さんはなんとかって病気で‥‥‥、実際、鍵盤は全然見えないらしいのよ』
『‥‥‥』
超人、天才、
そのような言葉が脳裏を駆け巡る。
だが同時に、疑問が浮かんだ。
『‥‥‥どうやって演奏しているんですかね』
『ほら絶対音感とかあるじゃない?きっと宍戸さんもそれよそれ すごいよね~』
にこにこしながら頷いている日菜花さん。
確かにそうか。
目が見えない人は他の感覚が鋭くなると言われているし、
そういうものなのかもしれない。
『さて、じゃあ美彩ちゃんも来たことだし、お花にお水をあげましょうか』
『はい』
ここ、フロラシオンは喫茶店でありながら
花屋さんでもある。
毎月店内に飾る花は変わり、
気に入れば、種や花束を購入することもできる。
花を見ながらのティータイムを売りにしている為か、女性客が多い。
ちなみに男性客もそこそこ多いが、多分何人かは日菜花さん目当てだ。
日菜花さんは私の母の知り合いで、生け花教室の生徒と先生という関係から仲良くなったらしい。
なので、日菜花さんのことは昔から知っている。
だから名前で呼んでいるんだけど。
日菜花さんがここを初めたのは1年前。
私は中学3年生だったから、
高校生になったらバイトさせてくださいとお願いし、
ついに今年、それが現実になった。
私も花は好き。
綺麗だし。
それにここ以外でバイトするイメージがあまり湧かない。
――――私は制服の紺のドレスエプロンに着替え、今月の花たちの鉢にじょうろで水をあげる作業を初めた。
11月は、カランコエやビオラなどが飾られている。
ちなみに季節を過ぎた花たちはここの2階や3階に移し、そこで育てている。
種1つ、花びら1枚足りとも捨てたりはしないのが日菜花さんのポリシーだ。
今日は特に何もなく、忙しすぎず暇すぎずの普通のバイトだった。
閉店は午後8時。
私は閉店作業が終わり、二人で紅茶を飲んでいたタイミングで日菜花さんがふと言った。
『あ、そうそう 美彩ちゃんさ、気になる男の子できた?』
『ど、どうしてですか!? できてないですけど‥‥‥』
『夢を見たのよ』
日菜花さんは、んーっと伸びをしながら言った。
『美彩ちゃんが私に恋の相談をしにくる夢』
日菜花さんの夢は9割現実になる。
前なんて、私がケガをする夢を見て、
実際にその2日後に体育のバスケの授業で突き指した。
しかし、今回は恋の相談などしていない。
つまり
『今はまだいないかもだけど、近いうちに美彩ちゃんは気になる人ができる‥‥‥んじゃないかな』
『私に‥‥‥?』
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