1.突然の辞令と失恋

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瑞穂(みずほ)……これ」  人には会社では名前で呼ぶなと言っておいて、自分は私を名前で呼ぶのかと、喉まで出かかった厭味(いやみ)を呑みこみ、私は顔を上げる。  だからお前は可愛げがないんだと、いつもどおりの口喧嘩になるのが嫌で、言葉を呑んだのに、雅司が手渡してくれた一枚の書類に目を落とした瞬間、私の口からは、やっぱり『可愛げ』なんてない言葉しか出てこなかった。 「……何これ」  雅司がまた、はあっとため息を吐いて、椅子から立つ。 「辞令だよ、辞令。お前には今日から、山の上出張所へ行ってもらうから」 「はああっ?」  思わず大きな声が出てしまった。  雅司は顔をしかめて、今すぐ部屋から出て行けというふうに、私を手で追い払う仕草をする。 「仕方ないだろ、社長が決めたことなんだから……急に欠員が出たらしくて、その補充だそうだ。山の上だから利用客も少ないし、週に三日しか営業してない楽な主張所だから……な?」  確かにその紙には、『芦原瑞穂殿』という宛て名と、『御橋市山の上出張所勤務を命じる』という文面と共に、『稲盛雄三』と社長の名前が書いてある。  雅司の父親である社長の名前と、雅司の顔を、私は何度も見比べた。 (喧嘩の理由はなんだったか、ちょっと忘れちゃったけど……つまりは社長の息子の権限を使って、私に仕返しってわけ……?)  私の中で、何かがぷつんと音をたてて切れた。
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