いつもの流れ、そうじゃない出会い

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いつもの流れ、そうじゃない出会い

 和也は商店街の中にある恵実駄菓子店という古い駄菓子店兼住宅に、曾祖父母と祖母と一緒に住んでいる。建物は絵に描いたような日本家屋で、駄菓子店を営んでいるのは、家を入ってすぐの広い土間のスペース。そのスペースに木造の棚を並べて、駄菓子を販売している。  駄菓子店ではあるが、駄菓子のみではなく自家製の野菜やお弁当の販売も行していて、野菜も弁当も朝早くに売り切れ御免。優しい味付けで栄養バランス抜群の弁当には、今朝恵実家の畑で収穫した野菜を使用。店に置いている野菜は弁当に使用されているものと同じ時間に収穫したものなので、飛ぶように売れてあっという間に完売となることがほとんどだ。  駄菓子店と居住スペースは廊下とガラス戸で仕切られていて、ガラス戸の向こう側は居間。畳が広がる居間の左側を囲うように縁側があり、小さな庭には季節の花が咲く。縁側と居間を挟んだ向かい側には、曾祖父母と祖母の部屋として使用している小さな和室が二部屋並んでいる。その並びに風呂とトイレがある。居間と駄菓子店を遮る廊下を右方向に進むと、広い台所があり、そこで毎日弁当の仕込みをする。  和也の部屋は、台所から伸びる地下室への階段を降りた先。祖父の残したグランドピアノを置いている場所が、和也の部屋。コンクリート打ちっぱなしの部屋には、グランドピアノと楽譜を置いている棚に洋服タンス、七畳ほどの畳スペースに布団と机が置いてあるのみ。コンセントも一つついているが、携帯の充電と掃除機をかける時以外はほとんど使うことはない。  和也はこの場所を拠点として、駄菓子店の手伝いやお使い、畑仕事に勤しんでいる。生活の基本はこの部屋であり、ピアノだ。  和也の生活リズムは、盆と年末年始の店が休みの日以外は、ほぼ変化しない。早朝に曾祖父母と畑に出て、野菜の世話を終えて祖母と一緒に店に出す弁当作り。休憩を挟んだ後、大神牛乳店でアルバイトをしに出掛け、昼前に帰宅して録画したクラシック番組を聴きながら休憩。昼食後はお使いを頼まれるまで、地下の部屋に戻ってずっとピアノを弾いている。  これが和也の生活リズム。このリズムを第三者からいきなり崩されることを、和也はとにかく嫌う。突然の訪問客や急な予定の割り込みなどは、和也の頭を真っ白にしてしまう原因。  いわゆる健常者であれば、ずっと同じ生活を送っていくことに苦痛を感じるだろう。定期的な休みがあるわけでもなく、何か特別な催し物があるわけでもない。友達と時間を忘れて飲み明かしたり遊んだり、どうしようもなく休みたい時などはあって当然だ。  しかし和也には、そういった意欲がない。やるべきことを、同じ時間に決められた手順で行う。決められたことは、丁寧に取り組むことが当たり前。毎日変わらないこの生活サイクルをこなしている時、和也の心は穏やかそのもの。  人間には“一人が好き”という人も多々いるが、和也は“一人の時だけ自分で居られる”という表現があっているのかもしれない。  地下の部屋に帰れば和也自身でも表情が緩むのを感じ、ピアノの椅子に座れば無意識に張りつめていた神経が少しずつほぐれていく。  一人にならなければ得られないこの感覚は、健常者の持っている安堵感とはレベルが違う。  これは自閉症スペクトラムを抱えている人すべてに当てはまるものではないかもしれないが、和也は自室以外では無意識に肩に力が入る。外出時よりも家や店にいる時はそれは軽減されているが、地下のシンと静まり返った自分の部屋に戻るまでは、心のどこかで臨戦体制を取っている。  発達障がいを持っている人は、いわゆる定型発達の人とうまくコンタクトが取れず、多かれ少なかれ傷ついたり傷つけてしまったりという経験をしている人が大半。和也もその例外ではない。  他人と関わることへの恐怖や、誰もわかってくれないといった絶望感や孤独感を持っている人もたくさんいる。  和也は恐怖も絶望感もたしかに持っているが、それよりも不意を突かれることへの警戒心が強い。だから一旦部屋に入ってしまうと、祖母である初音(はつね)以外の声掛けに和也が応じることは殆どない。  和也は口数が極端に少ない。信頼してない他人とは目も合わせないし、隙あらば全力で帰宅する。仮に顔見知りだったとしても、和也自身が信頼を置いていない限り話しかけられてもそっぽを向いて拒絶。大神や南教頭のように、付き合いが長くて自分の過去を知る人であれば、話しかけられれば頷いたり首を横に振る動作もするし、調子が良ければ会話もする。和也と日常的な会話が成立しているのは、初音と曾祖父母のみ。両親や事情で同じ籍に入っている義理兄達に関しては、他人以上に和也が彼らの存在を避けている。  とは言っても全く外でしゃべらないというわけではなく、お弁当のお使いを頼まれれば商店街の中にある店で最低限の声を発する。  その大半は肉や魚を購入する時に、「○○を○gください」というものであり、商品を手渡されると、会釈をしてさっさと帰宅。初音の頼み事は基本的になんでも聞くが、可能な限り家に居たいし部屋に居たい。  商店街の人たちの中では、和也はそれなりに知られている存在。医者の父と養護教諭の母の間に生まれた、発達障がいの一人息子。  これだけでもそこら辺のうわさ好きのおばさんにしてみれば、旨い話のタネだろう。  しかし和也が有名な理由は、それだけではない。過去の和也の行動や両親と義理兄たちが和也を残して引っ越していった話も、数年前までは噂のタネだった。  だがそれらのうわさは、時が流れていくことと比例して風に流れていってしまう。 和也が商店街で有名な最大の理由。それは、頑固で弟子一人取らなかった音楽家の祖父、一二三(ひふみ)の唯一の弟子であり、その音楽的な技術がずば抜けていることだった。  その昔、両親たちがまだ同居していた頃、居間にはアップライトピアノが置いてあった。両親たちが引っ越して出ていくまでの間、和也はそのピアノを弾いていた。  小学生だった和也は誰が聴いてもすぐわかるほどの難曲を弾きこなしていたし、技術の高さと呑み込みの早さも尋常ではなかった。発達障がいの人間は大きく欠けている部分を補うように、何か一つ秀でた才能があるものだという神話は世間でもいまだ健在であり、和也もその例外ではない。  障がい者だから天才。そんな曇った目で和也を見る大人は、正直たくさんいる。そして和也の両親たちの引っ越し後は、和也のピアノの音色が表に出ることはなくなった。  和也はピアノを辞めてしまったのか。一時期商店街で少しうわさになったことがある。 「あれだけ弾けるなら、障がい者の音楽家って名前で売っていけばよかったのに」 「あの子からピアノを取ってしまうと、何も残らない」 和也はピアノをやめたのだ。そんなうわさも、ちらちらと和也自身の耳に入ってきていた頃。 「ピアノ、辞めちゃったの?」 行きつけの(いずみ)精肉店のおばさんが、和也が買い物で訪れた際に声をかけた。彼女とプライベートな話しをするのは初めてだ。今よりも若干幼かった和也は、目を泳がせつつも小さく首を横に振った。 「そう。よかった。和也君のピアノ、不思議な音がするから。辞めちゃうなんてもったいないと思ってね」 そういうおばさんの声は、優しさがにじんでいた。 「辞めないでね、ピアノ。誰かの前で演奏しなくっても、音楽は絶対に和也君の心を豊かにするから」 彼女は自分を小ばかにしていない。障がい者相手だと思っていない。和也はレジを打つ彼女の方を見て、目が合ったタイミングで頷いた。 「またおいで。待ってるよ」 直感的にこの人は裏切ったりしないと、和也は感じた。だから自然と表情も緩んで、少し笑って会釈をした。  この商店街には、悪い人だけがいるわけではない。それは和也も知っている。しかし、他人との距離を適切に保つことが難しいことを自負しているからこそ、和也は外では声を出さないし、誰とも話そうとは思わない。他人が介入してくることで自分の生活リズムが崩れることが、やはり和也にとっては怖いことなのだ。  そんな和也の一日は、携帯でアラームが鳴るところから始まる。朝四時過ぎに起床して、亡き祖父から譲り受けたボロボロの麦わら帽子に作業着を身に纏い、地下の部屋から居間に上がる。 「おはよう、和也」 「畑に行こうか」 4時半過ぎの時点で曾祖父母は既に身支度が完了して、初音の淹れた熱いお茶をすすりながら和也を迎え入れる。老人という年齢層の人たちは、とにかく朝強い。  和也にとって曾祖父母と初音は、かけがえのない家族。声をかけられれば嬉しい。だから自然とにこりと微笑んで、曾祖父母の声掛けに対して頷く。  早朝の畑仕事は、曾祖父母と和也の三人が担当。初音は朝食の準備を行うため、家に残る。  年代物の軽トラに乗って、車で5分の場所にある畑に向かう。野菜の収穫や追肥や虫よけネットの整備を短時間で終わらせ、収穫した野菜は軽トラの荷台に積んでいた黄色いコンテナに手際よく入れて、早々に帰宅。帰宅後着替えて朝食を摂り、曾祖父母は先ほど収穫した野菜の袋詰めを、和也と初音は店に出す弁当作りに取り掛かる。  駄菓子店のシャッターを開けるのは、和也の仕事。和也の身長は178cmとそれなりに長身で、細身ではあるが筋肉もしっかりとついていて外見からは想像できない重い荷物も軽々持ち運べる。弁当の準備が終わると、和也は袋詰めした野菜が入ったコンテナと作った弁当を積んだコンテナを店に運び、運ばれたものを曾祖父母と初音が店に出したテーブルに並べていく。  駄菓子店の開店時間は7時過ぎ。開店と同時に8時くらいまでが1日の中で一番混雑する時間となる。  人が多い空間が苦手な和也にとって、この1時間は何よりの苦行であり修行の場。飛ぶように売れていく弁当の補充を行い、人が少なくなったら店の掃除をして朝の業務は終了。10時過ぎに大神牛乳店に向かうまでは休憩を取る。  大神牛乳店では平日の午前中のみ牛乳配達のアルバイトをしていて、配達先は限られている。個人宅への配達を和也が行っている最中に大神夫婦が中学校へ卸す牛乳の手配を終わらせ、和也の運転する軽トラの荷台に牛乳を乗せて素早く中学校まで配達をしている。  アルバイトが終わると帰宅して昼食を取り、基本的に夕食の時間まで約6時間、地下の自室にこもって休憩することなくずっとピアノを弾く。ピアノなどの楽器演奏の練習時間は、最大でも2時間ほどで一度休憩を取るという人が多い。体力的にも継続して練習し続けることは難しい上に、練習時間があまりにも長くなると集中力が持たない。だが和也はピアノへのこだわりが強く、過集中になって練習するため、時間を忘れて練習にのめり込んでいく。 ―音楽はまず正しい音で正しい表記を厳守すること。これは演奏者の果たすべき義務であり、作曲家へに敬意の表れだ 指揮者であり演奏家であった一二三の教えを、和也は今も厳守している。  この流れの生活が、和也にとって心地よい時間の流れなのだ。  和也の生活に若干の変化をもたらすのが、学校の長期休暇。  学校が長期休暇に入ると牛乳配達が個人宅への配達のみになり、アルバイトが早く終わる。学校に行くことも、月末の集金時くらいだ。  和也は中学校があまり好きな場所ではないが、体育館のピアノは好きだ。月末の集金時には、授業が入っていなければ体育館のピアノを弾かせてもらえる。だから車を出す。  7月の終わりが見えてきた頃。今月の集金に行くと大神から声をかけられたのは、週の初めだった。あらかじめこうして予定を教えてもらえることは、とてもありがたい。大体この日だろうという算段はついていたが、決定した日にちを大神から聞くと、予定が決まって和也はホッとする。連絡をもらったその日に、地下の自室のカレンダーに集金日と赤ペンで予定を記入した。  やってきた集金日は、とても暑かった。和也の軽トラはエアコンが全く仕事をしてくれないので、暑ければ窓を開けるしかない。いつもと同じAMラジオをかけながら、大神を助手席に乗せて中学校へ向かった。  いつも通り、大神はラジオの話を無視して和也にずっと話しかけていたし、和也もそれに頷いて彼なりの精一杯のコミュニケーションを取りながら車を走らせた。  山の中の中学校は、木々の影がそれなりの涼をもたらしてくれる。田んぼ道よりも、車の窓から入ってくる風が涼しい。その分セミの鳴き声も増えるわけで、耳に突き刺さるセミの声に和也はひっそりと眉をひそめる。  学校の砂利の駐車場に入って、いつも通りに車を停めた。一台南教頭とは違う車が停まっていて、和也は軽トラの隣の軽自動車に視線を向けつつも、先に歩き出した大神の後を小走りで追った。  校舎に入ると、大神はスリッパを履く。サンダルで来た和也は、裸足のまま校舎に入った。足の先に何か纏うのが苦手で、和也は真冬でもほとんど裸足で過ごしている。  そのことを大神は承知しているから、和也にスリッパを無理に勧めることは滅多にない。  スリッパで歩く音と、裸足で歩く音。それをかき消す、大神の大きな話し声。いつもと変わらない、集金の日の流れ。季節が夏だから、校舎に滞っている暑くてねっとりとした空気が全身にまとわりつく。  職員室に入ると、南教頭だけがデスクに向かっていた。 「ああ、集金の時間ですね。はいはい」 そういいながら南教頭は机の引き出しからお金が入った茶封筒を取り出し、それと同時に体育館の鍵も大神に手渡す。二人は子どもの頃からの幼馴染で、顔を合わせると時間さえあれば立ち話をすることを和也は知っている。そしてその時間、和也が体育館のピアノを弾くという流れが、いつの間にか出来上がっていた。  この日も当たり前のように和也の手の中には体育館の鍵がいつの間にか転がり込んでいたし、その鍵を持って和也は体育館へと向かった。  窓もドアも、可能な限り開けっ放しにしているのに、どうして学校という建物はこうも熱がこもるのだろうか。むっとした暑さが和也にもまとわりついているはずなのだが、なぜか彼はいつだって涼しく見える。  今の和也には、暑さなんかよりも体育館のピアノと早く再会したいという思いが強い。あのピアノには、返しきれない恩がある。  体育館の鍵を開けて中に入ると、空気が全く動いておらず、夏の暑さをこの空間に押し込んだような圧迫感に息をのむ。  肌から感じるこの重く熱い空気と、足の裏から感じる床にもこもった逃げ場のない熱気。  空気を吸っても吐いても暑い、この空間にとどまった空気を、小窓を開けて逃がしていく。足元から流れ込む空気もそれなりに暑いはずなのに、体育館に入ってくる空気が和也の足には涼しく感じた。  小窓を開けながら、ステージ脇にそっとたたずむグランドピアノのもとへと進む。このピアノは、おばあちゃんだと和也は思っている。  いつ来ても静かで、変わらずこの場所で自分を迎え入れてくれる。去り際に優しく背中を押してくれる。優しいおばあちゃんピアノ。  ピアノの蓋を開けて、椅子に座って鍵盤をなでる。和也の指先に、鍵盤にこもった僅かな熱が伝わってきた。このピアノのすべてが愛おしい。先ほどまで引き締まっていた和也の表情筋が、スッと緩む。 ―今日は何を弾こうか セミの声、重圧を含んだ夏の空気。足元の涼風と、風で揺れる木々の唸るような音。自然から湧き出るすべての音は、自然の奏でる今しか聞くことのできない、壮大な音楽なのだと一二三から教えてもらった。  この学校がある場所が山だから。ここが人が少ない田舎だから。こんな素敵な音色を、ゆったりと聞くことができる。和也は体育館で聴く、自然の音色が好きで好きで仕方ない。 ―この空気になじむ、自然の中に溶け込める曲 見上げた天井は、今日も高い。高い天井に音を飛ばすような曲を考えてみたけれど、今足元を歩いていく風には合わない。 『いつでもその場の雰囲気になじむ曲を弾きなさい。自分の手の中にたくさんの曲を持っていなさい。深呼吸をして周囲を見れば、この場にしっくりくる曲が浮かんでくる』 ふとよぎった一二三の教えに従って、和也は周囲を見渡した。  誰もいない体育館には、先ほどにはない空気の流れが生まれている。ほんのわずかなそれに、ピアノの上に乗せた和也の指が躍り始める。  今ある空気を裂かないように。今ある空気を流さないように。セミの声や森の音色の間に漂うような、ラヴェルの水の戯れ。  今弾いているこのピアノは、みんな扱いにくいと言っていた。音が割れるとか、ずれているとか。確かにそうだ。否定はできない。 ―もったいないな、みんな 和也の指先から滴る、音色のしずく。涼し気で、爽やかなそれは、体育館の中に深い森と川のせせらぎを生む。  このピアノにしか出せない音色は、音割れさえも持ち味にしているのに。今あるこの音色のすべてを含めて、和也にとって“音楽”となる。  弾くことや音色を出すことだけに囚われないその音色は、人の心を鷲掴みにして離さない。心地の良い音の響と、空気に溶けていく音符たち。圧倒的なピアノの技術さえも霞んでしまう美しい音色は、一二三とは正反対のものだ。  体育館のこのピアノは、弾くというよりも対話をするような気持で蓋を開けて指を躍らせている。  今日は暑いね。もう夏なんだって。この曲は、今日みたいな暑さを少し紛らわせてくれる気がするんだ。僕とこうして話している間は、貴女が涼しくいられてればいいな。  こんな対話をしていれば、すぐに時間が来てしまう。 「帰るぞー!」 1曲弾き終わったタイミングで、大神の声がした。和也はピアノの蓋を閉じて、閉じた蓋をさらりと指先で撫でた。 ―また、来るよ 心の中で別れを告げて、体育館の小窓をしめながらドアへと向かった。  ドアを出ると、女の人が渡り廊下の真ん中に立っていた。こちらを見ている。見たことのないその人に、和也の心臓の鼓動は跳ね上がり、一気に冷や汗が手の中に噴出した。  さっさとドアを閉めて鍵をかけて、迎えに来た大神の背中の向こうに隠れる。彼女はいつから居たのだろうか。全く気がつかなかった。大神の後ろに隠れながら、和也は足早に校舎の中に戻って行った。  南教頭に鍵を手渡して会釈をする。先ほど驚いた余波で、和也の目は泳ぎっぱなし。南教頭の姿を映す余裕は全くないまま、大神と共に学校を後にした。  軽トラに乗って山を下りて、ようやく和也の気持ちが落ち着き始めた。 「渡り廊下に人がいて、びっくりしたか? 」 大神から問われ、和也は素直にうなずいた。驚いていないわけないではないか、いきなり見ず知らずの人が立っていたのだから。  ガタガタ揺れる土の道を走る軽トラ。車内にはAMラジオの音声と大神の大きな声が同時に鳴り響いている。 「南先生と話してたんだが、あの人は音楽の先生なんだってさ。悪い人じゃないぞ」 豪快に笑った後に大神はあかりのことを少し話したが、和也の横顔は聞いているのかいないのかわからない、いつもと変わらない無表情さだった。  大神を送って車を停めて、台所にある勝手口から帰宅すると、曾祖母が昼食を作っていた。 「おかえり、和也」 彼女の優しい声に応えるように和也は微笑んだ。いつもの日常を心の中で噛みしめて、一気に心が安らいでいく。 「手、洗っといで」 今までの硬かった表情が嘘のように和らぎ、手を洗って居間に入り、いつものように録画のクラシック番組をつける。  ほんの少しいつもと違ったことがあると、和也の心は自分が思っている以上につかれてしまう。  テレビから流れてくるプロコフィエフの戦争ソナタを聴きつつ少しだけ眠って、その後和也はいつもの心地よい日常に溶けてこんでいった。
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