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3/3(水)
口は災いの元である。不用意な発言は悪影響を自らに及ぼすという意味の言葉だ。だから、だろうか。人によっては、画面越しのコミュニケーションは問題ないのに対面は嫌という人がいる。画面越しの場合、発する言葉は大概キーボードで打ち込むものだろう。打ち込んだ言葉は、添削が出来る。しかし、発した言葉は添削が出来ない。あれは言わなくて良かったな。これは言っておけば良かったな。そんなことをくよくよ悩むのも、思えば対面でのコミュニケーションで多発している気がする。
言葉を仕事として使っていた者として、言葉の使い方というのはどうしても気になる。だからだろうか。私は、自らが発する言葉が、どうしても恐ろしい。
パタン、と詩集を閉じる。詩は良い。言葉の組み合わせが不自然な方が私は好きだ。天が熱い漁の日の魚取り。ひなでいっぱいの葦の隠れ場。支配人の背中が見える。そんな分かりそうで分からない言葉が頭の中にすとん、すとんと落ちてきて、それが形作っていく世界を見るのが面白い。
胸を満たす満足感に吐息を漏らしつつ、本棚へ向かう。次は何を読もうかと思いながら詩集コーナーに辿り着く。が、本棚の前に人がいる。しかも、ちょうど立っているところの足あたりがこの詩集のいた位置だ。ならばこれを戻すには彼に声をかけなければいけない。だが、なんて声をかけようか。どうやら何か本を探しているみたいだが、ただ本棚を眺めているだけのようにも見える。どうしよう、どうしようと悩んでいると、本棚をじっと見つめていた彼がこちらを振り返った。
「あぁ、ジャバさん。すみません、邪魔でしたか?」
私はあわあわと端末を取り出す。声帯の無い私は、他人とのコミュニケーションのためだけに端末が一つ、支給されている。それに言葉を打ち込み、少し添削。そして、機械の声がそれを読み上げた。
『本を返そうとしていただけだから、大丈夫だ。ところで、アブキールは何か探し物か?』
元学者であるアブキールがこの棚にいることは滅多に無い。さっきも本を取りに行くとき何か書いていたから、今日も何かしら研究か何かをしていたのだろう。とはいえ、彼の研究に関係する本が何かここにあっただろうか?
「あー、はい。『生活に疲れた者の魂との対話』っていうものを探しているんですけれど、見つからなくて」
そのタイトルには覚えがある。私は持っていた詩集をアブキールにぐっと押し付ければ、端末に指を走らせた。
『悪い。今ちょうど読んでいた』
「いえ、全然悪くないですよ。ありがとうございます」
悪くない。その言葉にふっと不安がよぎる。気分を悪くしてしまっただろうか。ぶわり、と嫌な汗が噴き出す。詩集を抱え、ぺこりと礼をしたアブキールの背中を見送れば、私はふーっと大きくため息を吐いた。
かの有名な『鏡の国のアリス』には、ジャバウォックという怪物がいる。その怪物は、言語の混沌を象徴しているとも言われている。そうした言葉の混沌を愛するからだろうか、私はその怪物からとったジャバという名前で呼ばれている。
私の残ったかすかな記憶は、自分が詩人であったことを覚えている。しかし、作品は一つとて覚えていない。作風も、名義も、代表作も思い出せない。だから自分が詩人であったことすら不安だが、今でも詩が好きだから、きっとそうだったのだろう。けれど、今は言葉を紡ぐことが恐ろしくて仕方がない。他人とのコミュニケーションならば多少は良いのだが、いざ詩を書くとなると腕が震えて仕方がない。かつては商売道具だったかもしれない言葉は、私にとって、今では内に眠る恐怖でしかないのだ。
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