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3/5(金)
小学校の頃だったかな。とても印象的な話がある。理科の教科書に、子供の成長過程として、卵子が受精してから赤ん坊の形になるまでが写真で載っていた。産まれてくる直前の赤ん坊の写真はぽっかりと羊水の中で丸まっていて、宇宙空間を漂う宇宙飛行士を連想させる。しかし、それ以上に僕の目を引くものがあった。それは、人の形になる前の胎児の写真だ。おおよそ人には思えない、けれど言われてみれば人のような奇妙な頭部。腕も足も無いぐんにゃりと握りつぶされたような胴体。そこから伸びるへその緒。そのどれもが不気味で、何人かはあまりの気味悪さに画像が見れなかったほどだ。
僕は子供が嫌いだ。そんなことを言うと「自分だって元々子供だったくせに」などという人がいる。しかし、小学校時代に胎児の写真を怖がっていた者たちに、そんなことを言う大人はいなかった。それが今でも、なんだが腑に落ちない。
「まぁ、確かに胎児の写真は気持ち悪いな。エイリアン映画とかで出てきそうだ」
ぱら、と小学生向けの理科の本をめくりながらナユタが呟く。今度の執筆の資料に必要らしい。
「そのエイリアンが自転車のカゴに乗っても、子供たち怖がって逃げちゃうね」
ほかほかと湯気の立つマグカップをローテーブルに置く。持ちてが尻尾になっているネコ型のマグカップはナユタの趣味だ。しかし、僕のボケは彼には伝わらず、きょとんとした彼と目が合う。僕は肩をすくめ、ベッドにぼすっと腰を下ろした。
「今度の新作は赤ん坊の話? なに、産むの?」
「産まないさ。産むジャンルはあるけど、今回は違う。小学校教師の話を書こうと思ってね」
ふぅん、と興味の無い返事を返してベッドに寝転がる。勢いでずれた眼鏡を直し、天井を見つめる。一秒、二秒、三秒。そして違和感に気付いた僕は、勢いよく起き上がった。
「待って、産むジャンルあるってどういうこと? ナユタってほら、えっ、男同士のえっちな本描いてるんでしょ? え?」
理科の教科書を閉じたナユタが肩をすくめる。彼は小説家だ。所謂BL小説、というものを書いているらしい。僕も何度か借りて読んだ。男同士の濡れ場があることは彼の小説を読んで知っているが、冷静に考えよう。男に子宮はない。困惑する僕をよそに、ナユタはマグカップから抹茶ラテを軽くすすった。
「オメガバーズ、だったかな。海外発祥のジャンルでな、人間が六つの性別を持つジャンルなんだ。男と女、あとアルファとベータとオメガ」
「ブロガーの」
「違う」
僕の茶々を軽くいなし、ナユタは説明を続ける。
「オメガだけは性別に関わらず孕むことが出来るんだ。だから、男の出産シーンを書いている作家もいる……まぁ、私はまだそのジャンルについて詳しくないけど」
そう言ってナユタは、一冊の本を差し出した。薄い本、所謂同人誌だ。
「それ一冊読めばだいたい分かる。書くのに十分な資料の量ではないけれど……まぁ、ミズキは書かないだろうから」
曖昧な返事と共にそれを受け取る。ナユタは立ち上がり、マグカップ片手にテーブルの方へ。そして猫のクッションが乗った椅子に座れば、パソコンを開いた。
どうやら執筆本気モードに入ったらしい。僕は彼を邪魔しないように、ベッドの上で本を開いた。
僕の名前は不見鬼と書いてミズキと読む。鬼は、古来悪いもの全般を指していた。だから、悪いものを見ないようにと不見鬼。初見殺しの名前だが、僕は案外気に入っている。
そんな名前だからだろうか。僕は、視界に子供が入ってくるだけでどうしようもなく恐怖を感じる。生で見るのは勿論、画面越しでも心臓の鼓動が早くなる。しかし、それでも。その胸の高鳴りを心地よいと思う自分がいることが、何よりも僕には恐ろしい。
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