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3/7(日)

 他人からの評価とは恐ろしいものだ。その評価が良いものであれば、それは期待となってその後の言動の枷となる。その評価が悪いものであれば、言うまでもない。  とはいえ、評価されないというのも逆に考えものだ。最悪なケースは、他の人は評価されるというのに自分には見向きもされないこと。無視は人の精神を簡単に削ることができ、仕掛ける方もすることが少なくていい。だから、精神を壊したい時はまず最初に無視から始めるのが良い、と誰かが喋っていたのを、ほんのり覚えている。 「ねぇー、オッズくーん」  しかし、だ。人には、無視をしなければいけない時だってある。 「オッズ君ってば。鼓膜生きてる? オッズくーん」  例えば、集中して細かい作業をしている人には声をかけない方が良いだろう。細かい作業でなくとも、勉強中などは声をかけないに越したことは無い。 「『Hey』とか『OK』とか名前の最初に付けないと反応しないタイプ? でもアレクサは名前呼ぶだけで反応するよ」  ペンを置き、ゆっくりと立ち上がる。私の座っていた椅子に寄りかかっていたオクティオの腰を掴み、一気に背中をそる。ジャーマンスープレックス、と言えば分かる人は分かるだろう。ゴッと鈍い音が部屋に響いた。  そのまま頭の中できっちりスリーカウント。脳内でゴングを鳴らしながら、私は立ち上がった。 「いったーい……」  オクティオは起き上がらない。が、こいつがちゃっかり受け身を取っているのは分かっている。寝転がっても起きない様子の彼を放置し、私はまた机に向かった。 「えっ嘘、何事も無かったかのように勉強再開すんの? この流れで?」 「要件があるならさっさと言ってくれ」  オクティオはいつもこうだ。要件に入るまでが長い。だからと言って彼の話を聞き流していると、さらっと重要なことを言ったりするから本当に困る。 「いや、暇だから遊びにきただけなんだけどね」 「そうか。じゃあメズラ先生のところにでも顔を出してやれ」 「うっわーオッズ君酷い。俺に脇腹蹴られろって言ってるようなもんじゃん」  そう言って実際蹴られてもちゃっかり受け身を取るなりかわすなりをするだろう。片目が無い癖に、オクティオは変に動体視力は良い。 「なんの勉強?」 「英語」  ふぅん、と手元を覗き込んだオクティオが興味無さそうに応える。尋ねたのはお前だっていうのに。 「へぇ、受け身まで来たんだ。この前まで比較ですっごい詰まってたってのに。成長してくれてお兄ちゃん嬉しいよ」 「いつお前と私が血縁関係になったんだ」  使っているテキストは、中学生向けのものだ。義務教育を受けた記憶の無い私には、こうした知識も丸ごと欠如している。記憶が戻ったらもしかして無駄になるかもしれないが、どうせやることが無いのだ。興味があるうちに知識を詰め込むのだって、案外楽しいものだし。 「それじゃあ可愛い弟君がお勉強できるように、お兄ちゃんは席を外そうかな」 「最初からそうしてくれ」  私のため息も意に介さず、オクティオはのんびりと部屋を出ていく。本当に暇だから来ただけなのか。一度大きく伸びをすると、私はまた机に向かった。  確率論において、確率を示す数値をオッズという。細かいことは分からないが、賭け事などではこれが高いほど当たりやすく、これが低いほど当たった時の金額が高いという。  言うなれば、オッズというのは対象に対する期待値でもある。他人からの評価に常に怯えている私に、期待値の名が付けられているとは、妙な皮肉のようで何だか歯がゆい。第三者から見て、私に対する期待値は一体いくつなのだろうか。それを考えるだけでまた、背筋に悪寒が走った。
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