前編

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前編

私の名は千夜狐零人(チヨコ レイト)── 菓子職人をしています。 人は私の事を「さすらいの異世界職人(ワールドパティシエ)」と呼びます。 ちょっと気恥ずかしいですが、ありがたいです。 その異名の通り、あちこちの異世界(ワールド)を渡り歩いては、その土地その土地の特産品でお菓子を作っています。 いつもは気の向くままに旅するのですが、今回は先方からのお誘いで出向く事になりました。 目的地はレス・トラーン大陸の首都ビフエ。 人族と獣人族が仲良く暮らす交易都市です。 そこの国王、マ・カロン王から招待を受けたのです。 《マスター、味見をお願いします》 助手のシロップから、思念波が飛んできました。 四本腕の多肢族(たしぞく)の娘で、たまに自分で作ったお菓子の味見を私に依頼してきます。 ただ、これがちょっと問題でして…… とりあえず調理室に行くと、台の上で仰向けになったシロップがいました。 驚くほど豊かな胸にリンゴが一個のっています。 「……一応、念のために聞くけど何やってんの?」 私は眉をひそめて尋ねました。 「あ、マスター。【アップル・パイ】を作ってみました。リンゴと私の胸と、自信作です」 「いやそれ、の意味違ってるだろ!ただリンゴのってるだけだし」 「あ。これは私としたことが……」 声を荒げる私に、シロップは頬を赤らめてリンゴを外しました。 「マスターは、リンゴはでしたね。うっかりしてました……では改めて、私の胸だけどうぞ。レシピを【】に変更します」 「いやいや、おかしいだろ!それピーだろ。てか、もはや食べ物じゃなくなってるし」 私は、ひたすらツッコむしかありませんでした。 そう、いつもこんな調子なのです。 天然なのか、ふざけているのか…… 助手になって久しいですが、いまだに理解不能です。 「シロップ、そんな事より、今からビフエに行く。出発の用意を頼むよ」 「分かりました!マスター」 シロップは飛び起きると、そそくさと部屋を出て行きました。 私はため息をつきながらその後に従いました。 ********* 港に着くと、早速迎えが待っていました。 クッキと呼ばれるトカゲの引く馬車に揺られること一時間── ドーム型の大きな宮殿に到着しました。 美しい装飾類を鑑賞する間もなく、追い立てられるように玉座(ぎょくざ)の間へ案内されました。 「おおっ、待っておりましたぞ!職人(パティシエ)殿」 部屋に入るなり、毛むくじゃらの大男が走り寄ってきました。 マ・カロン王です。 有無を言わせず、頭の二本のツノを私の胸に擦り付けます。 この国の獣人の挨拶です。 「お、お初にお目にかかりまひゅ……お、おうひゃま」 顔面を上下するツノにむせながら、挨拶を返しました。 「こちらは助手のシロップです」 「よろしくお願いいたします。王様」 腰を屈めるシロップにもツノを向けましたが、見事な胸の膨らみを目にして動きが止まりました。 「【アップル・パイ】です」 王の視線に気づき、シロップが胸を張ります。 「と、ところで今回お呼び頂いたのは……」 胸にリンゴをのせようとする助手を押し留め、私は慌てて話題を変えました。 「おおっ、それじゃ!とにかく一緒に来てくれ」 我に返ったカロン王はそう言うと、せわしなく私たちを誘導しました。 長い階段を上り、最上階の部屋に着きます。 「シュマロ、職人(パティシエ)殿がおいでになったぞ」 綺麗な彫刻の施された扉越しに、カロン王が声をかけます。 かちゃりと扉が開き、若い娘さんが顔を覗かせました。 小さなツノの生えた綺麗な方です。 どうやら泣いていたらしく目が真っ赤でした。 「どうぞ」 通された部屋には、可愛らしい家具が並んでいました。 「娘のマ・シュマロと申します」 エレガントな所作でお辞儀をされますが、表情は沈んでいます。 「良かったな娘よ。これで菓子が作ってもらえるぞい」 「ダメよ!」 嬉々とした王の言葉を、シュマロ姫は厳しく遮りました。 「し、しかしお前の望みは……」 「私の望みはただ一つ」 そう言って、姫は私たちの顔を見回しました。 「自分の手でチョコレートを作ることです」 事の次第はこうでした。 シュマロ姫は、チョコレートが作りたかった。 それもどうしても、自分の手で作りたかった。 何度か挑戦しましたが、。 どうも味見をした事が原因のようです。 基本的に、獣人族は植物しか食べません。 肉や魚を始め植物以外を口にすると、体調を崩してしまうのです。 ご存知の通り、チョコレートにはカカオが使われます。 カカオはで、しかもです。 獣人族からすれば、何の問題も無いように思われます。 しかし実際は、味見をした途端具合が悪くなってしまったのです。 宮廷料理人にも相談しましたが、理由は分かりません。 シュマロ姫は思うように作れず、悩む日々が続いているという訳です。 「なるほど。では姫は作るだけにして、味見は誰か他の方にしてもらってはいかがですか」 私はふと思いついて提案しました。 「駄目です!」 シュマロ姫は即座に拒否しました。 「それでは駄目です。のです」 訴えるその目には、涙が光っていました。 それをみて、私は何か理由があると察したのです。 その時、ふいに扉がノックされました。 「入れ」 カロン王の威厳に満ちた声を受け、一人の使用人が入って来ました。 「失礼いたします。毛布の交換をさせて頂いてよろしいでしょうか」 使用人は人族の若い男性でした。 「……どうぞ」 シュマロ姫は俯いたまま、ぎこちなく返答しました。 よく見ると、頬に赤みがさしていました。 ははぁ…… その時、私にはピンと来たのです。 「分かりました……何か方法を考えてみます」 力強い私の返答に、姫の表情がパッと明るくなりました。 そして、すがるような視線を私に向けました。 「ありがとう……ございます」
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