後編

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後編

「今日は二月十日か」 宿に戻った私は、壁のカレンダーを見て呟きました。 「それがどうかしましたか?マスター」 荷物整理をしながらシロップが尋ねます。 「いや、あと四日でバレンタインデーだなと思って」 「…………!?」 目を丸くしたシロップが、慌てて部屋から飛び出ようとします。 「な、なんだ!急にどうした?」 「……私とした事が……その手があるのを忘れてました!すぐにチョコレートを買って来ます」 その言葉に、私の背筋に冷たいものが走りました。 「一応……念のために聞くけど、買って来てどうすんの」 「それは当然、新しいレシピを……」 「まさかとは思うけど、胸に塗って【チョコレート・】なんて言わないよね」 「チッ!」 「いや、チッじゃないし!いい加減から離れなさい!」 ふてくされるシロップを放置し、私はシュマロ姫との約束に集中しました。 姫が、あの人族の男性使用人に好意を寄せているのは間違いありません。 チョコレートも恐らく、バレンタインデーに渡そうと思っているのでしょう。 味見に執着するのは、出来栄えを確認したいだけではなさそうです。 恐らく、のでしょう。 だから、作れても食べれない自分に対して落ち込んでいるのです。 そうと分かれば、何とかしてあげたいものです。 「それにしても、なぜカカオがダメなんでしょうか」 「ああ、それについてはもう察しはついてるよ」 私の即答に、シロップは目を丸くしました。 「一応確認するので、カカオ豆の成分表を送ってくれないか」 「イエス、マスター」 返事と共に、頭の中に成分表が送られてきました。 多肢族は、とても記憶力の発達した種族です。 シロップの頭には、あらゆる食品の成分表が記憶されているのです。 「何々、炭水化物、脂肪、鉄分……か。ふむふむ……なるほど。やはりそうか!」 「どういうことです?マスター」 大きく頷く私に、シロップが問いかけました。 「ポリフェノールだよ」 「ボリスカーロフ!?」 「そりゃ。ポリフェノール……ほとんどの植物に存在する苦味や色素の成分だよ」 私は首を傾げるシロップに説明しました。 「種類も色々あり、その効能や作用も千差万別なんだ。たいていの植物を口にする獣人族が、なぜかカカオ豆にだけ拒絶反応が出た。それはこの豆にしかない成分に、からだ。それがこの豆特有のポリフェノール……だ。最初に話を聞いた時に、それしかないと思ったよ」 「さすがです!マスター」 シロップが器用に、四本の腕で拍手しながら絶賛してくれました。 「さて、原因はいいけど問題なのはここからだ。カカオ豆からポリフェノールだけを抜き取る方法なんて知りやしない。でも、チョコレートは作らなきゃならん……こいつは難題だぞ」 アゴに手を当て暫し思案した私は、おもむろに懐から一冊の小さな手帳を取り出しました。 「マスター、それは?」 「伝家の宝刀さ」 シロップの問いに笑顔で答えると、私は手垢でよれよれのそれをめくり始めました。 何を隠そう、これこそ我が祖父・千夜狐民斗(チヨコ ミント)(のこ)した宝物── 生前お爺ちゃんが世界をまわり、ありとあらゆる食べ物の作り方を記した、究極のレシピノートなのです。 名付けて『ミンくんのグルメガイド』。 これまでも難問にぶつかった際には、何度もこれに救われました。 「さて、答えが見つかればいいんだけど……」 私は夜が(ふけ)るのも忘れ、答え探しに没頭しました。 ********* それから二日後、ちょうどバレンタインデーの前日に私たちは再び宮殿を訪れました。 部屋に入ると、シュマロ姫が期待に目を輝かせて待っていました。 「職人(パティシエ)様、いかがでしょうか?」 私はニッコリ微笑むと、シロップに目配せしました。 シロップは(うなづ)き、姫に小さな箱を渡しました。 「開けてみてください」 私が促すと、姫は蓋を開けました。 中には、一口サイズの黒い正方形の物体が入っています。 「これは?」 「召し上がってみてください」 私の言葉に、姫は恐る恐るそれを口に運びました。 すると途端に、驚いた顔になりました。 「こ、これは……チョコレート!?」 慌てて吐き出す器を探そうとする姫を、私は手で制しました。 「大丈夫です。決して体調を崩されることはありません。どうぞ安心してお食べ下さい」 自信に満ちたその言葉に安心したのか、姫はゆっくりとそれを飲み込みました。 「……美味しい。」 その顔に至福の色が表れます。 「でも、どうして……?」 不思議そうに見つめる姫に、私は笑いながら説明を始めました。 「まずは、チョコレートが食べられなかった理由から説明いたします。結論から言うと、それは原料であるカカオ豆に含まれるカカオポリフェノールが原因でした」 私は宿屋でシロップにした説明を、ここでも繰り返しました。 「さて、豆からポリフェノールが抜き取れない以上、他の手段でチョコレートを作るしかありません。私は秘伝のレシピノートと、一晩中にらめっこをしてやっと答えを見つけました」 私はそこで一旦話を止めると、再びシロップに目配せしました。 助手は持っていた袋の中から、を取り出しました。 一つは瓶に入った黄色い液体で、もう一つは植物の球根でした。 「液体は、大豆から抽出したと呼ばれるものです。そしてもう一つは、ユリの球根のです。あなたが今お食べになったチョコレートは、これを使ったんですよ」 それを聞いたシュマロ姫の目が、大きく見開きました。 「そんな、まさか!?大豆と……ユリ根……?」 「私の祖父が昔、二ホンという国へ行った際手に入れたレシピです」 私は懐から、『ミンくんのグルメガイド』を取り出しました。 「二ホンでは昔、カカオ豆が輸入禁止となった時期があったそうです。当然、その間チョコレートは作れません。しかし、当時の菓子職人たちは諦めませんでした。なんとか、今あるものでチョコレートを作れないか知恵を絞りました。そして試行錯誤の末考案されたのが、この二つの食材を使ったでした」 私はシロップから、二つの食材を受け取りました。 「姫もご存じのように、チョコレートはココアバターとカカオマスによって成り立っています。これらを焙煎や摩砕をし、練り込むことにより、あの独特の食感が得られます。二ホンの職人は、このココアバターの代わりに大豆油を、カカオマスの代わりにユリ根を使うことで、限りなく本物に近い食感を出すことに成功したのです」 私は手にした二つの食材を、シュマロ姫に渡しました。 「あくなき探究心が不可能を可能にしました。同じ菓子職人として、私は彼らを誇りに思います」 シュマロ姫は感慨深い表情で、それを眺めました。 「これはあくまで代用品です。でも大事なのは、そんなことではありません」 私は姫の前にひざまずくと、その顔を真正面から見据えました。 「このチョコレートは、時点で、もはや代用品ではなくなります。この世でただひとつ……あなたしか作れない、素晴らしい逸品となるのです!」 姫は、その言葉にハッとしたように顔を上げました。 その目には、涙が溢れていました。 「ありがとう……ありがとう。職人(パティシエ)様」 私は大きく(うなづ)き、姫の手をとりました。 「さあ、今からレシピをお教えしますので、頑張って作りましょう!」 ********* 自宅に戻って暫くしてから、シュマロ姫から手紙が届きました。 あの後無事チョコレートが完成し、例の使用人にも渡せたようです。 その際、告白したのかどうかは書かれていませんでした。 でも、それは聞かない方がいいでしょう。 それから後は、二人の問題なのだから…… ただ、彼はとても喜んだと書かれていたので、きっといい方に向かうと思います。 だって…… お菓子好きに、悪い人はいませんから(笑)。 《マスター、味見をお願いします》 例のごとく、シロップの思念波が飛んできました。 「……一応聞くけど、何作ったの?」 私は、げんなりしながら尋ねました。 《……【ローズヒップ・クッキー】です》 ローズヒップとは、バラの果実のことです。 お茶やお菓子の原料として使われますが、シロップがとは思えません。 【】という単語に一抹の不安を感じながらも、私は調理室に向かいました。 いつになったら安息の日が訪れるのでしょうか…… 私の名は千夜狐零人(チヨコ レイト)── 人は私の事を「さすらいの異世界職人(ワールドパティシエ)」と呼びます。
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