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「ーーもしもし。ブラウン診療所です。どうしましたか?」
荒い息遣いとともに、受話器から女の悲痛な声が聞こえてきた。
『先生! 先生、母が、母が、発作を起こしました。お願いです、今すぐ、来ていただけませんか?』
電話の主は町外れの海岸に住む、未亡人のラサ・ラーソンからだった。数日前にも、母親の発作で電話をかけてきた女性だった。車で三十分の道のりを走らせるも、診察は空振りに終わった。というのも、医者嫌いの母親が部屋に鍵をかけて、私の診察を拒絶したからだった。
私はラサに落ち着くよう言葉をかけると、これから向かう旨を伝えた。
呼び鈴を聞きつけた助手のエルサが隣の棟から飛んできた。ネグリジェにナイトキャップを被った彼女は、手慣れた様子で往診に行く準備を手伝った。
「ブラウン先生、どなたですか?」
「ラーソンさんの娘さんからだ」
「まぁ、糸杉の家の、先生、お一人でいくつもりですか? 気が進まなかったらお断りになってくださいまし。先生はまだいらしたばかりでご存じないと思いますが、あの家はおかしな具合ですから、できるだけ関わらないに越したことはないのです」
エルサだけではない。この町の住人のほとんどが、屋敷に住む母と娘を忌み嫌っていた。噂話によるとラーソン家は貴族の分家筋にあたるという。母親は相当な偏屈者なのだそうだ。婿養子だったラサの父親はずいぶん前に亡くなっている。そのラサも結婚後すぐに夫を亡くしている。つまりはラーソン家の女は二代続けて未亡人だった。
「九時の診察までまだ時間があるから、一度、顔を見に行ってこようと思う」
「モロー先生のこともありますしーー、ともかく、私は先生お一人であの糸杉の家に行くのは気が進みません」
二年前、ロンドンの病院勤めをしていたモローが、ウエールズの片田舎にあるこの町の診療所の医師として招かれた。
半年前、日課の散歩に出かけたきり消息不明となった。捜索するも見つからず。地元警察に不審を募らせたモローの父親が、ロンドンの探偵を雇った。だが、その探偵もまた、ラーソン家の屋敷から程近い海岸で、遺体となって発見されたのだ。
モローだけではない。この町は以前からそんな噂が絶えなかった。若いバックパッカーや、郵便配達員がいなくなったとの話もある。ともかく、人口わずか千人足らずの町にしては行方不明者の数が多すぎた。それも働き盛りの比較的若い男ばかりだというからなんとも不可解な話である。
モローの失踪後、病院関係者を通じで診療所の後任を探しているのを知った私は、友を探すため、医者としてこの地に定住しようと決めた。
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