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仔犬のお願い
「大臣、今決めたぞ。この女性を、私の妻――ひいては、皇后とする」
突然のその発言に、今この場にいる大臣と詩音の二人とも、驚きを隠せなかった。
何も言えずにいる詩音にと対照的に、大臣は遥星を問い詰める。
「一体何からお聞きしましょうか。陛下は先ほど、誰も娶る気はないとおっしゃっていたでしょう」
「だから、彼女が、その、私の恋人なのだ。ただ、身寄りを持たず……その立場故、一緒になることはできないと考えていた。だが、見つかってしまっては仕方ない。どうしても私の立場的に皇后を立てなければならないというなら、彼女を正妻として迎えたい」
「身寄りが、ない? そんなどこの馬の骨とも知れぬ女を、皇后にするとおっしゃるのですか」
大臣は長い顎鬚を撫でながら、詩音に侮蔑の眼差しを向けた。
遥星は怯むことなく、言葉を返す。
「皇后は貴族出身でなければいけないか? それは何のためだ」
「皇家に災いを持ち込むかもしれませぬ。それに、その女が悪い筋と通じている可能性だってあるでしょう。わざわざ皇帝である陛下に近づいて誑(たぶら)かしてくる女が、まともな感性をしているはずありません」
「詩音はそういう類ではない」
「……悪女に誑かされた男は誰しもそう言います」
「大臣、口が過ぎるぞ」
「失礼しました。ですが、そういう"女"は、普通は下位の妃嬪として迎え、皇后とは別に置くものでございましょう」
「それでは意味がないんだ」
詩音は自分のことを話されているはずなのに、全く口を挟む余地がない。ただただ彼らの応酬を聞いていることしかできなかった。
「……大臣、母上だって、元々は貴族ではないであろう?」
「まぁ、そうですが。それには事情があってのことですし」
「それに、貴族なら、というが、あの女だって貴族出身ではないか。奴が何をしでかしたと知る」
「それを言われると痛いですな。ですが、だからといってその女が安全という保証にはなりませぬ」
大臣は遥星と詩音を交互に見ながらバシバシと言葉を返していく。
「私は……彼女でないとダメなんだ。他の女など考えられない」
台詞だけ聞けば、なんと熱い言葉だろうか。何か理由があるのだろうとわかっているが、詩音は思わず赤面した。
「そもそも、そちらの女性とはいつからの仲なのですか」
「……事件の後、だ。実は忍んで城下に行ったことがあってな」
「また勝手なことを。それから、この部屋で匿っていたと?」
「いやいや、それはない。えっと、それは、き、昨日? 密かに連れてきただけだ」
「陛下。そういった勝手で危険な行動は慎んでくだされ」
「す、すまぬ」
先ほどまでの威勢はどこへ行ったのか、形勢逆転の模様だ。
「大臣、この通りだ。私はそなたを信頼しておる。彼女を私の后とする方法を、考えてくれぬか」
遥星はそう言って、右手の拳を左手で包む礼をして片膝を地面につき、上目遣いで大臣に懇願した。
「へ、陛下、おやめくだささい。貴方のようなお立場におられる方が、臣下に向かって膝などつくものではありません。何故、そこまで……」
そうお願いされてしまった大臣は、眉間にしわを寄せてこめかみを押さえた。
そしてしばらく押し黙ったあと、ゆっくりと二人に向かって言った。
「では、そちらの女性には、今日このまますぐに後宮に入っていただきましょう。自宅へ帰ったり、外部と連絡することは許しませぬ。後宮の外へ出ることももってのほか。……取り急ぎ、これでいかがでしょう」
遥星はそれを聞いて、ぱっと顔を輝かせ、飛び跳ねんばかりに喜んだ。
「大臣! さすがじゃ! ありがとう礼を言うぞ!!」
(……出た、仔犬モード)と、詩音はひそかに思った。
「また御父上に、陛下に甘いと咎められてしまいそうですな。
では陛下、私はこのための準備をして参りますので、一旦これで。後ほどまた伺います」
髭の大臣はそう言って両手を前に掲げる礼をして部屋を出ていき、この場には遥星と詩音の二人だけとなった。
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