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番外編:花言葉 (1/4)
この世は、地獄だ。ごみ溜めだ。
一見美しい建造物も絹織物も宝石も、その汚さを隠すためだけのものに過ぎない。
この世は、陰と陽だ、と人は言う。
どんなに素晴らしいものにだって、陰は必ずある。
俺はいつだって、陰の中で這いつくばって生きてきた。
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「金襴、おいで」
美しい衣や宝石を身に付けた、上品そうな奥様。
それは表の話。
裏では、富豪の旦那の金で少年を買っていたぶるのが趣味っていう、えげつないご婦人。
「おや、金襴、ちょっと背が伸びたかい? 歳はいくつになった?」
「正確にはわかりませんが、13くらいです」
「そういう時期か.....どうか、それ以上伸びないでおくれ。そなたの魅力は、その女子のような可憐さなのだから」
背が伸びたり、髭が生えたり、声が低くなったり。
そうなったら、商品としての俺の価値はなくなるらしい。
だったら最初から女を使えばいいじゃないかと思って訊いたことがあるが、それはダメなのだそうだ。
男だから、それが付いているから、いいのだと。
この名前は、金襴草に由来する。
――別名、地獄の釜の蓋。
俺はどうやら、人の汚くて醜悪な部分の蓋を開け、曝け出させる何かを持っているらしい。
質の悪いことに、こういう人間は一人ではない。
この奥様に限らず、俺を買う奴は他にもいる。
中には俺を見て「目覚めてしまった」と言う奴も。
言われる通り、最近背が伸びてきた。
喉もなんか上手く声が出せなくて、おかしい。
潮時かもしれないと思いつつも、そうなったらどうやって生きていけばいいのかわからない。
いっそこのまま野垂れ死ぬしかないのか――。
物心ついた頃から地獄の釜の中だけを見てボロ雑巾のように生きてきて、ただ死ぬだけなんて、本当に何の為に生まれてきたんだろう。
お天道様は見てる、と人は言う。
見てるから、なんだっていうんだ。
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戦争によって孤児になった俺は、同じような孤児達とドブネズミのようにゴミを漁って生きてきたらしい。らしいというのは、そのあたりの記憶がほとんどないからだ。父も母も、それまでの生活も覚えていない。
だが人目を引く容姿だったらしい俺は、そういう斡旋業者に目をつけられて、あっという間に売り物にされた。
「ご主人様のお陰でまともな食事が取れて屋根のあるところで眠れるんだから感謝するんだよ」
そう言い含められ、言われるがままどんなこともやってきた。
客には、男も女もいた。
お偉い立派な肩書きや、財産を持つ煌びやかな人たち。
どんな人間も信用するに値しないと思うようになったのは、こいつらのお陰だ。
そこで過ごして数年が経ち、身体も成長してきた俺は、徐々に客が減りつつあった。
ある日、密かに#楼__みせ__#から逃げた。
追っ手は来なかった。
歳が二桁になって商品価値が下がってきていた俺は、もういいと判断されたのかもしれない。
逃げたはいいが、行く宛はなかった。
そしてそういう匂いというのは染み付いて取れないものなのだろうか、町で佇んでいるとかつての客と同種の人間から、声をかけられた。
それ以来、結局そういうことをして日銭を稼いできた。
店を介さない分、自分の自由になる金ができて少し安心できたものの、どこに行っても同じなのかと、地獄の釜の外には出られないのかと絶望したことは、今でもよく覚えている。
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「痛ってぇ、跡が残ったらどうしてくれる」
この日、俺は縄で締め付けられてできた傷口を洗うため、たまたま通りがかった泉に来ていた。
「……あの、これ貴方の?」
不意に後ろから声をかけられ、危うく泉に落ちそうになった。
振り返ると、可憐な少女が巾着をこちらに向けていた。
「素敵な刺繍ね」
それは、客の一人から与えられた物だった。
そんな薄汚いものだとつゆとも知らず、というか、そんな薄汚いものが存在していることさえ知らなそうな少女がそれを手にしていることが、酷く違和感があった。
俺はその巾着を分捕るように受け取った。
「ねぇ貴方、怪我をしているの? だったら手当しないと」
「自分でやるから、ほっといてくれ」
落し物を拾って貰ったというのに、俺は自分みたいな汚いものに話しかけて欲しくなくてぶっきらぼうに答えた。
「この泉は、うちのものよ? ここで怪我したんなら面倒を見る義務が私にはあるわ」
「……勝手に入って悪かったよ。あんた金持ちのお嬢様か? 俺、金持ちって嫌いなんだ」
「どうして?」
どうして、だと。
こいつ自身はまだ若いからどうかわからないが、きっとこいつの親だって人に言えないようなことをやってるだろうに、何も知らなそうな顔をして問いかける。
「金さえ払えば何やったっていいと思ってるからだ」
「お金を払えば、貴方の手当をさせてくれるの?」
「はあ?」
何言ってんだ、こいつ。
「いいから来て」
少女は強引に俺の腕を引き、屋敷の端にある自分の部屋へ連れて行った。
この時、俺は少し警戒した。
まさかこの若さで、俺がそういう商品だと見抜いて買おうとしているのか? と。
「はい、できた! この包帯もあげるから、汚れたら交換してね」
テキパキと手当を施し、俺はあっさりと部屋から出された。
そして少女はこう俺に問いかけた。
「あの……お金、いくら払えばいい?」
「は?」
「え、だってさっき」
本当に何を言ってるんだ、この女は。頭おかしい。
「いらねーよ、馬鹿にすんな」
ついかっとなって、俺は走って逃げた。
手当のお礼も言えてないと気づいたのは、しばらく走った後だった。
後日、またしても客に痛めつけられた俺は、無意識にこの泉へと来てしまっていた。
泉の水がきらきらと揺れるのを眺めていると、時間を忘れられた。
(でもこの泉だって、底はヘドロだらけかもしれない)
「こんにちは、また会ったね」
あの少女だった。
「あ、わ、悪い、勝手に入って」
その場から去ろうとする俺の腕を、少女が掴む。
「待って! 貴方、また怪我してるじゃない」
少女はまっすぐに俺を見て、続けて言った。
「貴方、どこの子? 虐待を受けているの?」
「そんなんじゃ……ちょっと、仕事で」
それを聞いた少女は、そこに座るように促した。逃げる気も失せ、それに従う。
「あの.....こないだは、ありがとう。手当」
この前言いそびれた御礼を、ようやく言えた。
「いいよ、私が無理矢理したんだし」
「.........」
しばらくの沈黙の後、少女がふいに口を開いた。
「ねぇ、その仕事、好き?」
なんて質問をしてくるんだ、と正直思った。
仕事が好きかどうかなんて、考えたことはない。仮に「嫌い」だと思ったって、何が変わるというのか。
むしろ、地獄の窯の蓋にへばりついていると思っているだけだったのが、実は既に窯の中に落ちていたと気付かされてしまうような、そんな恐怖がこの時全身を駆け巡った。
俺が黙り込んでいると、少女は言った。
「もしよかったら、うちの屋敷に来ない? ちょうど、私の部屋の奉公の子がいなくなっちゃって困ってたの」
ただ二回会っただけの俺を部屋で働かせようなんて、正気か?
「……俺みたいな汚い人間なんて、家に入れちゃだめだ」
「えー、そんなの洗えばいいでしょ」
(違う、そういう意味じゃない)
「拒否する理由がそれだけなら、むしろ決まり! ね、来て」
そう言ってこないだと同じように俺を部屋に引っ張って行って、傷の手当をしてくれた。
「強引だったかな?ごめんね。でも、なんか放っておけなくて。あ、今の職場にはちゃんと辞めること言わなきゃだよね? どうしよう」
こいつの中では、既に俺を雇うことは確定事項なようだった。
「.....俺は、個人で仕事してるから。別に言う相手なんていない」
一部の客から予約は入っていたけれど、そんなものはどうでもよかった。
少年を買っているという性質上、商品が現れなかったからと言って捜索など表立ったことは出来ないはずだった。
少女はほっとしたように、微笑んだ。
「貴方、名前はなんて言うの?」
名前。
忌々しい客達が呼ぶ、あの名前。
「ねぇ、教えて。名前が分からないと、呼べないわ」
「.........金襴」
「へぇ、織物の名前ね。素敵」
違う。
違う違う違う。
金襴草は、紫色の唇の形に似た花が咲く。
初めて売られる日、俺は血の気の引いた顔で、紫色になった唇を震わせていた。
それを見た水揚げ役の変態ジジイが、たまたま足元に咲いていた金襴草と重ねて付けた、この上なくおぞましい名だった。
「織物じゃなくて、金襴草が由来なんだ。あんな花、地面を這いつくばってる雑草だ。俺には似合いなのかもしれないけど、大っ嫌いだ」
吐き捨てるように、俺は言った。
少女はしばらく考えたあと、名案が浮かんだというように明るく言った。
「それなら、私が名付けてもいいかしら? ここで働いてる間は、私は貴方の主人よね。呼ばれたくない名前なんだったら、変えちゃえばいいのよ」
少女は楽しそうに、思案を巡らす。
「そうね.....喬、なんてどうかしら? 高くそびえるっていう意味よ」
地面にベッタリ張り付いた地獄の釜の蓋とは、正反対な名前だった。
「.....じゃあ、それで」
「気に入ってくれた? 私は紫苑。よろしくね、喬」
そうして、紫苑様に仕える生活が始まった。
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