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「勇者の母」と呼ばれた聖女の生涯
──わたくしは、ずっと人々の期待に応えようと頑張ってきた。そう、『聖女』として神の声を聞いたあの日から。それなのに、どうしてこんなに酷い仕打ちを受けなければならないの……?
名門公爵家の長女として生まれたわたくし、ジュスティーヌ・クレージュはルイン王国の第一王子、ディアス・アルベリク・ルインの妃として、近い将来王家に嫁ぐことが約束されている。
わたくしとディアス様の婚約は、ある日突然決まった。
というのも、わたくしが『神の声』を聞き、託宣を受けたからだ。
『よく聞きなさい、ジュスティーヌ。あなたは神に選ばれし聖女です。良き伴侶を探し、子を産みなさい。そうすれば、その子は勇者として覚醒し、この世界の危機を救ってくれるでしょう』
そんな声が頭の中に響いた瞬間、「ああ、あの予言が現実になったのか」と思った。
王城には、予言者と呼ばれる未来を透視する能力を持った人間が代々仕えている。
その予言者の予言の一つに、「古に封印された魔王が蘇り、魔物を率いて人間が住む村や町に攻め込んでくる」というものがある。
狼狽える国民に、予言者はこう言った。「心配はいりません。神に選ばれし聖女が産んだ子が、勇者として覚醒し、必ずやこの世界を危機から救ってくださるでしょう」と。
つまり、その予言の『勇者を産む役目を背負った聖女』とは、わたくしのことだったのだ。
それからは、円滑に物事が進んだ。
聖女として覚醒したわたくしは、すぐにディアス王太子殿下の婚約者として抜擢された。
確かに、神は「子を産みなさい」と言っていたが、「王族との間に子をつくれ」と指定されたわけではない。
恐らく、王家がわたくしを欲しがるのは、世界中から称賛を得るためだ。
王太子とその妃の間に生まれた子供が、『世界を危機から救う勇者』になるなんて、王家からしたらこの上ない名誉だろう。
魂胆はわかりきっていたけれど、元々王太子であるディアス様に密かに憧れていたということもあって、わたくしは快く婚約を承諾した。
それから一年ほど経ち、わたくしは十六歳の誕生日を迎えた。
腰より長い銀髪は毎日欠かさず手入れをしているし、メイドからは痩せすぎだと叱られるが結婚式に向けて体型にだって気を使っている。
わたくしは生まれつき左右の目の色が違い、左目は緑、右目は青のオッドアイなのだが、それも個性だとディアス様は褒めてくださった。
むしろ、わたくしの目の色が好きだと言ってくださる。
──夫となるディアス様との仲も良好だし、いつでも婚姻の儀式に臨めるわね。
そんな風に意気込んでいた、結婚を目前に控えたある日のことだった。
ディアス様から、突然婚約破棄を言い渡された。
「ジュスティーヌ・クレージュ! たった今より、貴様との婚約を破棄する! 王家を騙した罪は、万死に値するぞ!」
目の前にいる美貌の王太子、ディアス様が怒り狂った様子でそう言い放つ。
その透き通った琥珀色の目はキッとわたくしを睨みつけており、艶の良い黒檀のような黒髪も乱れていた。
次の瞬間、わけもわからずわたくしは兵士に捕らえられる。
「まさか、名門クレージュ家のご令嬢ともあろうお方が私利私欲のためにあんな嘘をつくなんて……心底見損ないましたわ」
ディアス様の隣にぴったりと寄り添うように立っている女性が、続けてそう言い放った。
緩く巻かれた金髪、豊満な胸、どこか舌っ足らずで甘ったるい声──彼女が持つ全てが男性受けが良さそうで、同性のわたくしですら目のやり場に困るほどだった。
確か、彼女はジラルデ伯爵家の令嬢、イリア・ジラルデだ。
数える程度しか話したことはないが、夜会でたびたび挨拶を交わしていたため、お互いに顔見知りという間柄だった。
──どうして、彼女がこんな所にいるのだろう。
そう思い、理由を考えてみたけれど、いくら考えてみてもわからない。
わたくしは弁明する暇も与えられず、そのまま城の地下牢に放り込まれてしまった。
そうして、わたくしは周囲を石壁に囲まれた薄暗い独房で数日を過ごした。
やっと理由を聞かせてもらえたのは、七日目の朝のことだった。
看守いわく、どうやらわたくしは世間から「偽聖女」と揶揄されているそうだ。
というのも、今から一ヶ月ほど前、あの時ディアス様の隣にいたイリア嬢が「自分が本物の聖女だ」と名乗り出たらしいのだ。
託宣を受けた時、わたくしは聖女の証として神から膨大な魔力を与えられた。
その魔力量がどれくらいなのかと言うと、この世界に存在する魔導師の中でも頂点に立つ大魔導師ですら敵わないほどだ。
聖女として選ばれた人間は神から多大な魔力を授かる──これも、予言にあった通りである。
確認のために、すぐ魔力値を測定したので間違いない。
けれど、ディアス様はわたくしを嘘つき呼ばわりした。
「貴様の魔力を測定した人間と口裏を合わせて、聖女のふりをしているのだろう」と。そう言われ、ディアス様の目の前で再び魔力値を測定させられることになった。
わたくしは、ディアス様の側近に魔力値を測定するための特殊な青い水晶を近づけられた。
暫くして、わたくしが持つ魔力が数値となって水晶に映し出される。
すると、どういうわけか、あれだけあった魔力値が大幅に低下していたのだ。
わたくしは「実際に魔法を使って見せれば誤解が解けるはずだ」と訴え、証拠として魔法を使ってみせた。
けれど、どれも威力が不十分な上、何故か凡人並みの魔法しか使えなくなっていたのだ。
わたくしは納得がいかなかった。きっと何かの間違いだと弁明したが、ディアス様には「言い訳は見苦しいぞ」と一蹴されてしまった。
ディアス様の話によると、あの時わたくしの魔力を測定した人間も共犯者として投獄され、拷問を受けているらしい。
それを知らされた瞬間、今まで知らなかった彼の残虐性に戦慄した。
ディアス様は、わたくしが「嘘をついていた」と自白すれば拷問を中止すると交換条件を出してきた。
わたくしは、確かに神の声を聞いた。そして、聖女の証だと言われ、その場で膨大な魔力を授かった。それは事実だ。
でも、わたくしはこれ以上自分の所為で他人が苦しむのを見ていられなかった。だから、大人しく彼に従った。
──ああ、神よ。こんな理不尽なことがあっていいのですか? どうして、あなたはあの者たちの凶行をお許しになるのですか?
そう問いかけたけれど、神の声が聞こえたのはあの一回だけで、その後はいくら問いかけても何も答えてはくださらなかった。
***
数週間後。
偽聖女と非難された上、謂れなき罪を着せられ辺境の地へと追放されたわたくしは、父上の伝手で小さな村にある武具屋の手伝いをして生計を立てていた。
どうやら、わたくしのような『卑しい嘘つき女』は修道院に入ることすら許されないらしい。
ディアス様からは、旅立つ直前に「処刑にならないだけ有り難いと思え」と言われた。
彼は、わたくしのことを信じないばかりか、本物の聖女であるイリア嬢と結婚する気なのだという。
もうその頃にはとっくにディアス様への愛情はなくなっていたし、むしろ憎んでいたのでわたくしは心の中で「どうぞ、ご勝手に」と呟きながら王都を後にした。
貧しい農村での生活は決して楽ではなかったけれど、忙しい日々を送っているうちにそれなりに楽しいと思えてきた。
村人たちは、わたくしが追放された公爵令嬢だからといって差別せず温かく迎え入れてくれたし、労働だって慣れてくればやり甲斐を感じられるからだ。
むしろ、王都のような息が詰まる場所にいるよりも、余程充実した毎日を送れている。
それからさらに数週間経ったある日、わたくしの妊娠が判明した。
わたくしは、ディアス様の希望により彼と婚前交渉をしていた。
しかも、追放されてからは誰とも性交渉を持っていない。
お腹の子の父親は、間違いなくディアス様だった。
──あの人のことは憎いけれど、生まれてくる子供に罪はない。父親がいないこの子には、寂しい思いをさせないようにたくさん愛情を注いであげなければ。
そう思い、わたくしはその子を産む決心をした。
それから数ヶ月後。
村人たちの助けもあって、わたくしは無事元気な男児を出産することができた。
わたくしは、その子にセルジュと名付けた。
セルジュは、黒檀のような黒髪に緑色と青色のオッドアイを持つ、怜悧な顔立ちをした子だ。
きっと、目の色はわたくし、髪の色はディアス様に似たのだろう。
セルジュはとても聡明な子で、五歳になる頃には武術の才能だけではなく類稀なる魔法の才能まで開花させていた。
わたくしは、そんな息子の成長を誇らしく思っていた。
日に日に魔法や剣への関心を深めていくセルジュを見て、わたくしはこう思った。
──もしかして、この子は勇者になるべき人間なのではないかしら? やはり、わたくしは偽聖女なんかではなかったのかもしれない。
そんなことを考えつつも、忙しい日々を過ごしていると、ある日、王都からディアス様の使者が訪ねてきた。
理由を聞いてみれば、どうやらディアス様とイリア嬢の間に生まれた子に勇者としての適性が全く見られず、困り果てているらしい。
そこで、セルジュの噂を聞きつけて村にやって来たのだと使者は説明した。
古の魔王が蘇ると言われている年まで、あと十五年もない。
焦ったディアス様とイリア嬢はこの五年間で四人ほど子をもうけたらしいが、どの子も適性が見られないどころか並み以下の魔力値しか確認できなかったそうだ。
使者が切羽詰まった様子で「とにかく一度、子供を連れて王城に来てくれ」と言うので、わたくしは詳細な話を聞くためにも王都に出向くことにした。
***
数日後。
長旅を経て、わたくしは使者とともに王都へやって来た。
すぐに王城に赴き、謁見の間に入ると、酷くやつれた様子で玉座に座るディアス様が目に飛び込んできた。
わたくしが追放されてから間もなく先代国王が急逝したため、弱冠二十二歳にして王位を継いだらしい。
けれど、何故か隣には正妃となったはずのイリア嬢の姿はなかった。
「ご無沙汰しております、陛下」
カーテシーをしながら、ディアス様に挨拶をする。
当たり前だけれど、今のわたくしは五年前のように綺羅びやかなドレスは着ていない。
けれど、貴族令嬢として身につけた礼儀作法を忘れたわけではなかった。
わたくしは、隣にいるセルジュにお辞儀をするよう促した。
「さあ、セルジュ。陛下にご挨拶をして」
「はい、お母様」
セルジュはそう返事をすると、とても五歳とは思えないような、かしこまった態度で一礼した。
「そう固くならずとも良い。ああ、セルジュ……私の大切な息子よ。こちらへおいで」
ディアス様はセルジュに近くまで来るよう言った。
セルジュは少し緊張している様子だったが、言われた通りに彼のほうに歩み寄る。
ディアス様はセルジュの顔をまじまじと見ると、彼を抱き上げ自分の膝の上に乗せた。
──大切な息子ですって……? 一体、どの口が言うのかしら?
正直なところ、不快感しかなかった。
確かに、この人とセルジュには血の繋がりがある。
セルジュ自身も父親を求めていたようだったし、できることなら会わせてあげたかった。
けれど、この人はわたくしとセルジュを捨てた張本人なのだ。
そんな人に、わたくしの息子に気安く触れてほしくない。
「お父様……? あなたは、僕のお父様なのですか……?」
何も事情を知らないセルジュは、無邪気にディアス様のことを「お父様」と呼ぶ。
すると、ディアス様は「ああ、そうだよ。私は、君の父親だ」と嬉しそうに返した。
──ああ、気持ち悪い。虫唾が走る。早く、本題に入ってくれないかしら? まあ、大体予想はつくのだけれど……。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。……ジュスティーヌ。その節は、本当にすまなかった」
わたくしが痺れを切らしているのを察したのか、ディアス様は話を切り出すなり謝罪をしてきた。
「いえ、お気になさらず。もう過ぎたことですから。それよりも、わたくしをここに呼びつけた理由を教えていただけませんか?」
そう訊ねると、ディアス様は意を決したように重い口を開いた。
実はわたくしが本物の聖女だったこと、偽物なのはむしろイリア嬢だったこと、イリア嬢の色香に惑わされ誑かされた挙げ句わたくしを罠に嵌めて王都から追放したこと──ディアス様は、自分が犯した罪を次々と告白していった。
「……なるほど、わかりました。では、あの時わたくしの魔力値が正確に表示されなかったのは、水晶に細工をしていたからだったと……つまり、そういうことでしょうか?」
「ああ、間違いない。その後、ジュスティーヌが思い通りに魔法を使えなかったのも、こっそり側近の魔導師に弱体化の魔法をかけさせたからだ」
「…………」
呆れて物も言えない。
そう思うと同時に、彼の人間性を見抜けなかった自分が情けなくなった。
「本当にすまなかった。私が馬鹿だったのだ」
言いながら、ディアス様は抱えていたセルジュを下ろし、玉座から立ち上がってわたくしに頭を下げる。
暫くして、頭を上げたディアス様は、さらに話を続けた。
「恥ずかしながら、私は勇者適性のある優秀な子供なら、聖女の力を借りなくとも誰との間にもできると思っていたんだ。……要するに、私は自分の遺伝子を過信していたんだよ」
「…………」
再び、絶句してしまう。
この人の頭は、一体どこまでおめでたいのだろうか?
しかも、自分の浅はかな考えの所為で魔王に対抗できず人類が滅んでいたかもしれないというのに、その自覚がまるでない。
「だが、私とイリアの間には優秀な子供ができなかった。このままでは、この世界は蘇った魔王によって滅ぼされてしまう」
「つまり、セルジュを引き取って、勇者として育成したいと……そういうことですか?」
ディアス様が言わんとすることは大体想像がついていたので、先手を打つ。
もしセルジュを欲しがるようなら、丁重に断ろう。
いずれ彼が勇者として旅立つ日が来るのなら、それまではあの村でわたくしが責任を持って女手ひとつで育てよう。
「いや、そうではない」
「……?」
意外な言葉が返ってきたため、わたくしは首を傾げた。
「私は……ジュスティーヌ、君にも戻ってきてほしいんだ。もちろん、イリアとは離縁した。元々、彼女とは喧嘩が絶えなかったし、反りが合わなかったんだよ。私には、君という存在が必要なんだ。それに気づくのに、五年もかかってしまったが……。国民には、『あれは勘違いだった、本物の聖女はジュスティーヌだった』と説明するよ。だから……どうか、やり直してはくれないだろうか?」
そう頼み込まれ、唖然としてしまう。
──なんて調子のいい男なんだろう。こっ酷く捨てた元婚約者と子供を今さら呼び戻して、あわよくば復縁しようだなんて。
そう思った次の瞬間、ふと頭にある名案が浮かんだ。そして──
「わかりましたわ。陛下のお望み通り、セルジュとともに王都に戻ります。過去のことは全て水に流して、二人で一緒にセルジュの成長を見守っていきましょうね」
気づけば、わたくしはにっこりと微笑みながらそう返していた。
復縁を拒否したところで、どうせ王命には逆らえないだろう。
それなら、こちらにも考えがある。
***
私は、マリアンと申します。
ルイン王国の王妃であるジュスティーヌ様のお付き侍女です。
まだまだ侍女としての経験は浅い新米ですが、ジュスティーヌ様は何故かこんな私をお付きに選んでくださいました。
理由は私の性格を気に入ってくださったのと、話しやすいからだそうです。
憧れのジュスティーヌ様にそんな風に思っていただけるなんて、感無量です。
ジュスティーヌ様は、本当にお優しい方です。
あまり大きな声では言えないのですが、国王であるディアス様は一度離縁なさっているのです。
つまり、ジュスティーヌ様は後妻なのですが……実子も義理の子も別け隔てなく愛情を注がれていたため、前妻の子である王子殿下や王女殿下たちは皆、心優しい立派なお方に成長していらっしゃいます。
ディアス様とジュスティーヌ様はお若い頃に一度、婚約解消に至ったそうです。
けれど、その後いろいろあって復縁されたのだと伺いました。
ディアス様は、ジュスティーヌ様が聖女だからとかそんなことは関係なく、中身に惚れ込んだのだとよく惚気けていらっしゃいます。
そう言われるたびに、ジュスティーヌ様も満更ではないご様子で微笑んでおられるのですが、その時の照れたように笑う仕草がとても可愛らしいのです。
同性の私が言うのもなんですが、ディアス様が彼女にベタ惚れな理由もわかる気がします。
お二人はとても仲がよく、傍から見ても本当に理想のご夫妻です。
今から三年ほど前、お二人のお子であるセルジュ王子殿下が勇者として魔王討伐の旅に出られました。
古代に封印された魔王が現代に蘇ってからは、魔物たちが一層勢力を増しています。
旅に出たセルジュ様のことはとても心配ですが、魔王を倒せるのは勇者適性が高い彼しかいません。(ディアス様とジュスティーヌ様の間に生まれたお子は他にもいるのですが、セルジュ様だけがずば抜けて勇者適性が高かったようなのです)
何とか、魔王を倒して無事に生還してほしいものです。
お二人の心境を思うと、私も胸が苦しいので……。
うぅ……無事を祈ることしかできないのが非常にもどかしいですね。
「ねえ、マリアン。このハーブティーとマカロンを寝室まで運びたいのだけれど……手伝ってくれるかしら?」
考え事に耽っていると、突然ジュスティーヌ様から声をかけられました。
ハッ……! 私としたことが、うっかりぼーっとしてしまいました。
これは、いけませんね。もしかしたら、仕事をさぼっていると思われたかもしれません。
「は、はい! 承知いたしました!」
私は慌ててジュスティーヌ様のほうに駆け寄り、色とりどりのマカロンが並んだ皿が乗っているトレーを受け取りました。
ジュスティーヌ様は、ティーカップが乗ったトレーを持っています。
後は、これをお二人の寝室に運ぶだけです。
ジュスティーヌ様ご自身が淹れたハーブティーに焼き菓子を添えて、それをディアス様が待つ寝室まで持っていく──この日課は、もう二十年近く続けられているそうで、私の前にお付き侍女を務めていた先輩もよく手伝っていたらしいです。
「陛下は、本当に王妃様の特製ハーブティーがお好きなのですね。毎日、欠かさずお飲みになっているでしょう?」
「ええ、そうね。あの人は、わたくしが作ったものなら何でも美味しそうに飲んだり食べたりしてくれるの」
「あはは……さり気なく惚気けていらっしゃいますね、王妃様」
「あら、ごめんなさい!」
そう言って、ジュスティーヌ様はくすくすと笑いました。
本当に、いつ話してもお茶目で可愛らしい方です。
実は、この特製ハーブティーに使われているハーブは、ジュスティーヌ様が自ら森に出向いて採取しているものなのだそうです。
やはり、愛する夫にはこだわったものを提供したいという気持ちの表れなのでしょうか。
そうして、月日は流れ。
ある日、魔王討伐の旅に出られていたセルジュ様がお供を連れて凱旋しました。
そうです。セルジュ様が、魔王を倒したのです。ついに、世界に平和が訪れたのです。
王都に戻られたセルジュ様は、程なくしてともに魔王討伐に向かった隣国の王女様とご結婚されました。
お二人は子宝に恵まれ、ディアス様とジュスティーヌ様もたくさんの孫に囲まれて幸せそうでした。
私はそんな彼らを陰から支え、精一杯お仕えしてきました。
そして──気づけば、私が新米侍女として王城に仕えてから二十年もの歳月が流れていました。
当時は十代半ばの若い新米侍女だった私も、今ではベテラン侍女の一人です。
そんな私は、相変わらずジュスティーヌ様のお付き侍女としてお側にお仕えしていました。
ディアス様とジュスティーヌ様は六十路を過ぎましたが、仲の良さは相変わらずでした。
しかし、平穏な日々は突如として終わりを迎えます。
お二人とも順調に歳を重ねていたので、このまま仲良く晩年を過ごすものだとばかり思っていたのですが……ある日、ディアス様が病床に臥せってしまったのです。
ジュスティーヌ様は、寝たきりになってしまったディアス様を献身的に看病しておられました。
もちろん、日課である特製ハーブティーをディアス様に飲ませることも忘れていませんでした。
ですが……そんなジュスティーヌ様の看病もむなしく、ディアス様の病気は悪化していきました。
お医者様もお手上げなのか、「もうあまり長くはないので、覚悟が必要でしょう」と仰っていました。
そうして、一年ほど経った頃。
ついに、ディアス様の容態が急変しました。
私はジュスティーヌ様から「すぐに主治医を呼んできて」と指示を受けました。
なので、急いで主治医がいる部屋へと走ったのですが、こんな時に限って普段は待機しているはずの主治医が見当たりません。
仕方がないので、私は城内にいる使用人たちに声をかけ主治医を捜してくれと頼み、一先ずディアス様とジュスティーヌ様の元に戻ることにしました。
寝室の前まで戻ると、ドアが半開きになっていました。
先ほど、私が慌てて部屋から出ていったため、きちんと閉まっていなかったのです。
すぐに部屋に入ってジュスティーヌ様に報告しようと思ったのですが、何やらボソボソと聞こえてくる話し声が気になり、思わずドアの隙間から中を覗き聞き耳を立ててしまいました。
***
「ねえ、ディアス様。わたくし、やっと解放されそうですわ」
わたくしは豪華絢爛な寝台の上でうんうんと唸っているディアス様を見下ろしながら、そう語りかける。
「ふふ……何から解放されるか、お聞きになられたいですか? 『良き妻』と『良き母』からですよ。わたくしはこの四十年間、ずーっと、あなたの理想通りの人間を演じてきました。何故かって? もちろん、復讐したかったからですわ。わたくし、こうやってあなたに『真実』を告げることができる日を待ちわびていましたのよ。……あなたの絶望した顔が見たくて」
そう言い放つと、動揺したのかディアス様の瞳が揺れた。
すっかり年老いて昔のような美貌はもう失われてしまったけれど、その透き通った琥珀色の瞳だけは変わらない。
「わたくし、本当はあの女とあなたとの間に生まれた子なんて可愛がりたくありませんでしたの。わたくしが可愛いのは、自分がお腹を痛めて産んだ子だけ。でも、復讐のためには平等に愛する必要があったのです」
苦しみと動揺の板挟みになったディアス様は、ぶるぶると全身を戦慄かせる。
「わたくし、気づいていましたのよ? あなた、わたくしを正妃として迎えてからも暫くの間は裏でイリア様と関係を持っていましたわよね? そのうち、本格的にわたくしに依存し始めたのか関係を絶ったようですけれど。ああ、そうそう。それからのイリア様の人生はそれは散々なものだったと伺っておりますわよ。なんでも、あなたとの関係を絶った後、程なくしてジラルデ伯爵家は没落寸前になり、借金苦でイリア様は娼館に堕ちたのだとか」
「あ……ぐ……あぁ……」
「え? なんですか? 聞こえませんわ」
ディアス様は悲痛に歪んだ顔で何かを訴えてくるが、お構いなしに話を続ける。
「ああ、それと……あなたが病気になった原因をお教えしましょうか。あなたが毎日『美味しい』と言いながら、お飲みになっていたハーブティーです。あのハーブティーに使われているハーブは、実はわたくしが森で採取してきた毒性のあるハーブだったのです。ああ、毒性があると言っても、とても弱い毒なので、ハーブティーとして煎じて飲んだくらいでは普通は死にません。ハーブティー愛好家の間でも割と人気のあるハーブなので、実際に飲まれている方もたくさんいらっしゃいます。でも……それを何十年と、それも毎日飲み続けたらどうなるでしょう? 当然、体に悪いですわよね。とはいえ、毎日飲み続けていたからといって、健康を害する方ばかりではありません。だから、思い切って賭けに出てみたのです。まあ……結果は、わたくしの大勝利でしたが」
「……っ!? あ……あぁっ……」
ディアス様の顔は、ますます悲痛に歪む。
「『どうしてこんな酷いことを?』とでも言いたげな顔をしていますわね。では、逆にお訊きします。ディアス様は、本当にわたくしが全てを水に流してあなたを許したとお思いだったのですか? もし、過去が帳消しになったと思い込んでいたのなら、あなたは真性の馬鹿ですわ。一体、どれだけおめでたい頭をしていらっしゃるのかしら」
「……ジュ……ス……ティ……」
ディアス様は目を見開きながら、わたくしの名を呼ぼうと口をパクパクさせている。
わたくしは、そんなディアス様にとどめを刺すべく、容赦のない言葉を言い放つ。
「ねえ、ディアス様。わたくし、昔からずっとあなたのことが大嫌いでしたのよ。……そう、酷い裏切りを受けたあの日からずっと」
「……っ!?」
「でも、あなたはそんなわたくしとは対照的に、年々わたくしへの愛情を深めていった。わたくしのことしか見なくなった。依存していった」
ディアス様の心境の変化を振り返るように、過去のことを思い出す。
「それだけの愛情を持てるのに、どうして最初からそうしてくださらなかったのですか!? どうして、わたくしの恋心を踏みにじるような真似をしたのですか!? わたくしは、あなたと婚約する以前から、あなたに憧れていました! お慕い申しておりました! ずっと劣等感を抱いていたこの珍しい目の色を『個性的で好きだ』と仰ってくださった時、聖女としてではなく、一人の人間として認めていただけた気がして嬉しかった! この方になら安心してついていけると……心からそう思いました! それなのに……! あなたという人はっ……!!」
わたくしが詰め寄ると、ディアス様の目から涙が流れ、つうっと頬を伝った。
もしかしたら、後悔による涙なのかもしれない。
でも、もうどうでもいい。例えそうだったとしても、遅すぎたのだ。
……そう、何もかもが遅すぎた。
「ジュ……スティ……ヌ……わ、た……し……は……」
「言い訳なんて、聞きたくありませんわ。例えどんなに真摯に謝ったとしても、失った信頼は二度と取り戻せません。……つまり、わたくしが負った心の傷は、それほど深かったということです。これで、ようやくわたくしの気持ちがお分かりになったのではないかしら?」
何かを伝えようとしてくるディアス様の言葉を遮り、言い訳をする暇すら与えずばっさり切り捨てる。
「……というわけで。早く死んでくださいな、ディアス様」
できるだけ低い声音で、そう凄んでみせる。
すると、ディアス様は絶望しきった様子でさらに目を大きく見開き────次の瞬間、完全に事切れた。
恐らく、すっかり信頼を寄せていたわたくしから真実を告げられたことで生きる気力を失い、絶命してしまったのだろう。
せめてもの弔いに、わたくしは大きく見開かれたディアス様の目に手のひらを当て、瞼を閉じて差し上げた。
きっと、彼は神に召されてからも、自分の生前の行いを悔いて酷く苦しみ続けることになるだろう。
「さようなら、ディアス様。精々、あの世で後悔してくださいね」
***
どうやら、私は聞いてはいけない話を聞いてしまったようです。
普段はお優しいジュスティーヌ様の裏の顔を見てしまった所為か、動揺するあまり心臓が早鐘を打っています。
ですが……立ち聞きをしていたことを知られるわけにもいかないので、私はそのまま踵を返し、主治医を捜しにいきました。
それから程なくして、セルジュ様が即位されました。
私は、あの日のことを誰にも言っていません。
ディアス様が崩御されて以来、ジュスティーヌ様は憑き物が落ちたように活動的になりました。
乗馬を楽しんだり、旅行をしたり、時には芝居を観に出かけて若い男性役者に夢中になって黄色い声を上げてみたり──まるで、失った青春を取り戻すように人生を謳歌し始めたのです。
ジュスティーヌ様は、よく私にこう言っていました。
「もしあなたが理不尽な目に遭って、その状況を何とかしたいと思ったなら、神に頼らず自分で行動を起こしなさい。じっと待っていても、神様は助けてはくださらない。神は、確かにわたくしたち人類の危機を救ってくださったけれど、わたくしたち一人一人の願いを聞き届けてくださる便利屋ではないのです。だから、自分の人生は自分で切り開きなさい」と。
そんな風に、強い心を持ったジュスティーヌ様も一年前に崩御されました。享年八十歳でした。
私は、今でも時々考えます。『勇者の母』や『聖女』という肩書きを持ったジュスティーヌ様の人生は幸せと言えたのだろうか、と。
ジュスティーヌ様の境遇を知った当初は、私は彼女のことを運命に翻弄された不幸な女性だと思っていました。
……けれど、最近は考えを改めました。
ジュスティーヌ様の生涯は、確かに波乱万丈であまり順風満帆とは言えなかったかもしれません。
でも、彼女は幸せになろうと努力していました。
泣き寝入りをすることなく、ひたすら自分を押し殺して、我慢して、耐え抜いて──ようやくやって来た機会を逃さず報復し、過去のしがらみを断ち切って最後は自由に生きて幸せを掴み取りました。
そんな生涯に、ジュスティーヌ様は自分なりに満足していたのではないかと……そう思うようになったのです。
私はこの先もずっと、あの日知り得たことを誰にも話す気はありません。
ジュスティーヌ様もきっと自分の秘密は誰にも知られたくないと思っているはずですから、あの日のことを思い出すのはもうやめておきましょう。
ですが……彼女と過ごした楽しい日々を振り返ることや、思い出に浸ることは今後も続けていこうと思います。
きっと、自分のことを思い出す人間が一人でも多いほうが、ジュスティーヌ様も浮かばれるでしょうから。
「さてと……そろそろ仕事に戻りますか。それでは、行って参りますね。ジュスティーヌ様」
そう言いながら、私はジュスティーヌ様が眠っている墓に向かって一礼しました。
その瞬間。ふと頭上から、「いってらっしゃい」というジュスティーヌ様の優しい声が聞こえたような気がしました。
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