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妖怪退治
春も終わりの黄昏時である。
徳島城奥御殿の磨き上げられた長いお廊下に、女のような甲高い声が響き渡った。
「刀持てーー!」
物騒な内容はさておき、声の主はかの明君・阿波藩五代目藩主は蜂須賀綱矩様である。
この尊き玉音を聞きつけた家来によって、ただちに殿様の元へ一振りの日本刀が届けられた。
廊下にひょっこりとご尊顔をお出しになった殿様は、相変わらずの瓜実顔をこころなしか青白くしておられる。お肩をすくめて廊下の左右をキョロキョロと見渡され、家来から受け取った刀を鞘ごとぎゅっと抱きしめあそばされた。そしてそのまま、屁っ放り腰ですごすごと御寝間へと下がられる。
そのご様子を、殿様から遠く離れた場所より見守る影が一つ。
「あんのバカ殿め……」
御家老の三好藍右衛門は、廊下の突き当たりにある厠の脇に身を潜めたまま憎々しげにそう呟くと、唇をへの字に歪めた。
今やすっかり藍右衛門の相棒となってしまった御城使の細川蓮次郎は、その隣にしゃがみ込み、殿専用の厠から立ち上る臭気に露骨に眉をひそめている。
お殿様はお腹がゆるうあそばれる。
何を食ろうたらこのような匂いになるのか。
そうは思うたが、武士たるもの多くを語るべきではない。
蓮次郎は浅い呼吸を繰り返した。それから口に指を当て、親子ほども年の離れた藍右衛門をたしなめた。
「シッ、お言葉が過ぎまする」
「えぇい、過ぎるも過ぎぬもあるものか。何故あの殿様はああも臆病なのじゃ」
声を荒げる藍右衛門を、どうか落ち着きなされとなだめる蓮次郎は、ほんの一刻ほど前に起きた出来事を思い出した。
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