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藤川マーベランスは二回公演する。人々が多く賑わう時間帯に優しい詩を歌いリクエストにも応える一回目、閉店ギリギリに悲しい詩をゆっくりと歌う二回目。まるで、その場所に自分しかいないように目をつむって孤独に、されど鋭く歌う。そういったところもジュンヤは嫌っていた。
入店するや否、ジュンヤの耳に入ってきたのは心が熱くなるくらい暖かくて優しい声だった。まるで、病室のベッド上のご老体が、あとわずかで死ぬという瞬間。囲む親族一人一人に言葉を紡ぐ。そんな、どうしようもない「ありがとう」の情景。
店の中もどこかしんみりとしていた。閉店ギリギリのため、普段は藤川マーベランスが歌いだすとオーダーストップになるが、マスターはジュンヤに飲み物を聞いた。
この歌はアルコールがないと全てを持っていかれる。
ジュンヤはカウンターで辛口の透明なカクテルを飲みながらその声に酔いしれた。
(僕が一番苦手だったのは、感情的に歌うってことだったなぁ。上手く歌うことだけは上手いなんて皮肉をよく言われたっけ)
いつの間にか、自分の声楽人生を思い返していた。小さい頃は歌うのが好きで楽しかった。皆から上手って言われて、自信をもって大きな声で歌えていた。そう、ジュンヤが三冠を手にしたのは、のど自慢なのだ、元気に、楽しそうに、大きな声で歌う少年に皆が元気をもらっていただけなのかもしれない。
そこには超絶な技術や、惚れ惚れする美声も何もなかったのかも。つまりは、才能の片鱗すらなかったのかもしれない。
ただ、少年が歌うとみんなが笑顔になった。
(あれは、子供だからできる歌い方……。そうなると、今の僕には何もないのだろうか?)
一人しんみりと酒を飲むジュンヤの横に誰かが腰を下ろした。気づけば、歌声は止み。店内はBGMも流れず静かであった。
「今夜は月がきれいだとは思いませんか?」
「……えぇ。ここに来る途中。思わず、立ち止まりましたよ。大きな月でした」
「でしょう。私も、そんな日は孤独ではないように思えるのです。お月様が見守ってくれている、どこか暖かい夜」
「だから、今日の歌はこれほど優しかったんですね」
「あぁ、そうさ」
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