星屑の女神

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 藤川マーベランスが注文すると、マスターは文句ひとつ言わずにカクテルを作って出した。しかし、片づけの手は止めない。電気も、カウンター以外の席は消されて暗い影があたりに侵食(しんしょく)している。  いつの間に、客は下がったのだろうか。酒が、強すぎるせいで、少しぼーっとしすぎたかもしれない。 「大丈夫さ。マスターと私は親友だからな。少しは許してくれる」  マスターはちらっと片目で藤川マーベランスを見たが。手を休めずに、作業を淡々(たんたん)と続けてる。 「私は(くず)だ」  カクテルに口をつけた藤川はそっと呟いた。 「クズ野郎という意味ではないよ。星屑(スターダスト)という意味さ。私達は一つの星だった。昔の話だがね。そこには、森があり、海があり、生命があった。自由でもあり、不自由でもある。なんでも、自由自在」  いったい何を言っているのかジュンヤには分からなかったが、じっと男の言葉に耳を傾け続けた。 「プロの歌手とはそういうものだ。しかし、私はその星から欠けて、取り残されて星屑となった。そこには冷たいばかりで何もない」  おい。っと藤川が声をかけると、マスターが奥から古いCDを持ってきた。そこには『藤川マーベランス』の文字と共に、さわやかな男がシルクハットをかぶっていた。 「……貴方は、プロの歌手だったんですか?」  目を見開いてジュンヤがきくと、藤川は重く頷く。 「一瞬の輝きさ。今でも、このころを引きずっている」  シルクハットをそっととる藤川。髪はまだふさふさに生えわたっているが、その白さがどこか疲れているようでもあった。 「何もなくなった私でも。歌が好きなんだ。今はただ、自分勝手で、自己満足に(うた)を歌うのだ。誰かのためではない。それでも、聞いてくれる人がいるなら、心から感謝しなくてはいけない」  その言葉に、ジュンヤは静かに(ひとみ)()らしていた。今まで、この男を嫌悪していた自分が馬鹿馬鹿しくてならなかった。自分もずっと前から欠けてしまっていたことに気づいたのだ。 「星屑でも私は月になれるのさ。誰かを温めることが出来なくても。暗い世界で()()うことはできる」  ジュンヤは顔を上げることができなかった。涙は頬を伝うことなく、瞳からそのまま雨のように膝に落ちた。 (今分かった。エマがこの男の歌に惚れた理由が。最後の絵の題材に選んだ理由が。彼女は本当に死ぬ気なんだ。だから、寄り添うこの人の歌が響いた) 「そんな月が人に寄り添うには、光り輝くためには。ある存在が必要だ」  急に、藤川はジュンヤの肩に手を置いた。目を()らしてジュンヤは顔を上げ、上目づかいで男を見つめる。 「私は、ずっと歌から逃げていた。歌うのが怖かった。だが、ある日。たまたま立ち寄った祭りでみたのど自慢企画で一人の少年の歌を聞いたんだ。何にも縛られずに、自由で自分勝手で、聞いてるこっちが温まるハツラツとした歌声。その楽しそうなこと。思わず、飛び入り参加で歌ってしまおうかと思ったくらいさ」  ジュンヤの涙が止まる。 「それって」  呆けた声に、藤川は力強く頷いた。 「君は、私の太陽さ。君は決して私のような星屑ではない。輝き続けることができるはずさ」
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