最善の選択と最善の結果

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最善の選択と最善の結果

最近麻雀を始めた。きっかけはにじさんじというバーチャルユーチューバー団体で行われた麻雀大会だ。参加者がみな楽しそうにやっている姿を見て私もやってみるかと軽い気持ちで始めたのだ。 (ちなみににじさんじも最近見始めた。よく見ているのはリゼちゃん←可愛い、とこちゃん←かわいいとギバラ←あーーーーーゴミカス死ねーーーーーーの人、だ) やってみると、これが面白い。別に麻雀のルール説明をしたい訳ではないので簡潔に話すが、十三枚の牌(トランプのようなもの)を自分で持っておき、山から一枚引いて、いらないものを捨ててを繰り返し、十四枚で役を作り、その役の点数をもらう。それを何回か繰り返し、最終的に誰が一番点数が高いか競うゲームだ。昔、周りの人が何かに取り付かれたように打っていたが、何がそんなおもしろいのだと思っていた。しかし、このゲームはよくできている。 一番は運がなければならない。最初の十三枚や、その後持ってくる牌によって役の作りやすさや強さが全く違う。しかしながら、プロのリーグがあるほど麻雀の技術は複雑で難しい点も魅力の一つだ。 麻雀を打っているとよく聞く言葉に「プロでも初心者に負けることがあるゲーム」というものがある。これはつまり、運がこのゲームを大きく左右する事を意味している。しかし、これは一戦だけの話で、これを何千回とやればその結果は如実に表れる。これが技術の差だ。 そして私は、このゲームを通して「最善の選択」と「最善の結果」が別物であることに気づいた。よく考えれば当たり前の事だが、これがなかなか気づけない人が多いと思う。 麻雀で話すのは難しいのでもう一つたとえ話をしようと思う。 三つの箱ABCがあり、一つだけ賞金百万円が入っている。ゲームの参加者はこのうち一つ、ここではAを選ぶ。するとゲームの司会者は「是非ともあてて欲しいので、選ばれなかったBとCのうち賞金が入っていない箱を一つ開けましょう」と、司会者はBの箱をあける。そして、「さあ、もう一度選びなおしてもいうですよ。選択を変え、Cの箱を開けるか、そのままAの箱を開けるか」と言う。 このゲームはモンティ・ホール問題と言い、人間の錯覚を逆手にとった確率の問題である。実はこの問題は、選びなおした方が選び直さないよりも二倍あたりやすいのだ。今は特に確率の話をしたい訳ではないため、なぜこのようになるのか気になった人は各自で調べてほしい。 さて、このゲームは確かに選びなおした方が二倍あたりやすいのだが、勿論選び直さなければあたった、ということも大いにありえる。つまり、このゲームの仕組みを知っている人と知らない人が一回だけやるとき、後者が勝つこともあると言うことだ。そして、ゲームの観戦者は言う。 「なにやってんだ。選び直さなければ当たっていたのに。自分の信念を曲げるからそうなるんだ」 だんだん私が話したいことがお分かりになってきただろうか。このとき、「最善の選択」と「最善の結果」が異なるという事象がうまれた。読者の方々も、こういった経験一度や二度ではないのではないか。そのとき、「不利だけどこっちにしておけば良かった」などと思っていないだろうか。しかし、私はその考えは間違いだと言いたい。 ゲームの司会者は言った。 「このままでは当たらなかった方が可哀想なので、もう一戦やりましょう。しかし今度はまた違うルールです。3つの箱から賞金をあてることに変わりはありません。そして選択されなかった二つの箱のうち、一つを開けることにも変わりありません。しかし、その賞金は千円になります。また、このゲームは千回やります。これで賞金の総額は百万円で変わりません。さあ始めましょう」 そしてゲームの仕組みを知らない人は直感で、仕組みを知っている人は選び直し続け、ゲームが終わる。そのとき、ほぼ間違いなく後者が勝っているだろう。理由は簡単で、後者の方が圧倒的に良い確率、最善の選択を出し続けているからだ。 確かに、最善の選択に最善の結果がついてこないことは多々ある。しかし、一度や二度失敗したからと言ってその最善の選択を捨てることはない。それを何千、何万回と続ければ自ずと結果が出てくる。もし最善の結果が出なかったときは「今のは仕方がない。私は最善の選択をした。不利なほうが勝ったのは結果論だ」と考えればよい。それは強い麻雀打ちには必ず持ち合わせている思考である。
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