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あれからどれだけの時が過ぎたのだろう。
「婚約を破棄する! ですって。あんな公の場で」
「まぁ……」
気の強そうな眦をつり上げて、ふわふわとした髪を揺らしながら少女は語る。私は眉を下げて頬に手を当てた。
「だから言ってやったのよ。証拠はございますか、って」
「それで?」
少女はニヤリと笑って、こちらに得意気に言い放つ。
「男爵令嬢の証言だけみたいだったから、ならばこちらには証拠がありますよと、たっぷり出してあげたわ。あの子、本当にたくさんの生徒に粉かけてたんだから」
「まぁまぁ……」
驚いたように扇を開くと、少女は大きく息をついて、同じように扇を広げた。
「その上で、浮気をなさる殿方は信用なりませんので、婚約の話はなかったことにしてください、と言ってしまったの。それで私と王太子の婚約は解消されたのですわ」
ぱたぱたと少し早めに扇ぐさまは、興奮を恥じたのかその時の屈辱を思い出したのか。
「あらあら、そうだったのね」
痛ましそうに微笑めば、大丈夫ですよ、と紅茶を含んだ。
ここは辺境伯邸、西の庭のあづま屋。
私は孫娘のジルフィアと一緒にお茶会をしていた。公爵家の出である夫は王城に出向いていて居ない。恐らくこの問題の後始末をしているのだろう。
元王妃の叔父であり辺境伯という夫を、休戦中である隣国とのバランスを取り続ける実力者である夫を、ないがしろにした今回の問題を何事もなく終わらせることなどできない。
あのときと同じように廃嫡かしら。あの子も子供には伝えても孫には甘かったのかも知れないわね。
「おばあさまも、かつて当時の王太子に正妃にと請われた経験があるとお伺いしましたが」
無邪気に聞いてくるジルフィアに、私はにっこりとほほ笑みを返した。
「ええ。でも私はその時にはすでに家を継ぎたいと決心していて」
「再三請われたと聞きましたよ?」
くすくすと笑う彼女に嫌味の影もない。この子は本当に私を自慢に思ってくれている。
私も一緒にくすくす笑う。
「私は正妃の器ではないもの」
「デルフィア王国の賢女がですか?」
笑い含みに言われたデルフィア王国の賢女、というのは私の異名だ。前世を含めて大量に知識を詰め込んだのが仇となってこんな大層な異名をつけられるに至った。私の功績と言われるものの大多数は、夫の功績なのに。
「きっと、頭でっかちで可愛いげがないと婚約破棄されたわ。辺境伯でも十分贅沢よ」
「頭でっかちで可愛いげがない……」
私がよく言われた言葉を言えば、ジルフィアが眉をひそめた。この子も賢い子だ。けれどそこを請われて婚約したのに。
「ジルフィアは愛らしいじゃないの」
「同年代からはそうは見えませんよ」
うって変わってほほを膨らませる孫娘は本当に可愛い。王太子とやらはよくもこの少女を手放す気になれるものだ。趣味が悪いとしか言いようがない。
「じゃあきっと、少し年上か精神的に成熟した方から求婚されるわね。お手紙は私にも見せてね」
そう言えば、ジルフィアはすぐに頷いた。
「ええ。もう届き始めていて、父母はおばあさまに相談するためにチェックすると言っていましたわ」
「そう。楽しみね」
王太子は生母の身分が低かった。なかなか子が生まれなかったゆえの側妃だ。ところが側妃が子を身籠ったとたんに正妃が身籠り、今は王子と姫の両方がいる。なんとも皮肉なことだ。
それでも子を生すために請うてきてもらった妃。長男を王太子にするために、王太子妃を血と権力のある家から選びたいと、私の孫娘が選ばれたのだ。
思えば、私が婚約者に望まれたのも、派閥のバランスと、母の祖母が王族であったという血の強さを加味されたものであった。
結局侯爵令嬢が選ばれたのだが、あの男はまたも婚約中に浮気した上に冤罪を被せて殺そうとした。令嬢が殺されずに済んだのは私と夫の仕業だ。思えばあれが、初の共同作業だった……。
あの男……元王太子は廃嫡されて、辺境の争いに巻き込まれて死んだ。侯爵令嬢は他国の有力貴族と結ばれ、今も幸せに暮らしている。
「おばあさま」
過去に思いを寄せていると、愛しい孫娘から声がかかった。
「ん、なぁに?」
にっこりと問い返すと、照れたようにジルフィアは聞いてくる。
「おばあさまは幸せですか?」
私は満面の笑みで答えた。
「ええ、とても幸せよ」
素敵な旦那さま、良くできた子供たち、可愛らしい孫もいっぱい。
虐げられることも冤罪を被せられることもない、忙しくも充実した時間。
これ以上の幸せなんてあるかしら。
神様は私を嫌ってなどいなかった。
神様、私に二度目の人生をありがとうございます。
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